日記2004年、〜9月
戻ります


9/25
最近プロ野球がにぎわしいようです。
私が野球を見ていたのは、松本・クロマティ・中畑が活躍し、押さえのエースはサンチェ(こんな名前?)だった時代。
もはや興味もありません。
関心をなくした原因が何であったか、その確定は困難です。
ただ近年の、読売巨人に著しく戦力が偏ったこともその一因かと。
それでも優勝できないのだから、なかなか難しいようですね。
主題は、数日前のNHKのニュースにあります。
新規加盟申請2社がともに本拠地として申請した仙台市でのインタビュー。
青年がこのように述べていました。
「ライブドアは金の事しか考えてないから嫌いだ。」
このコメントをいかに解釈するかです。
私の隣の人物は、この青年を馬鹿だといいました。
「プロスポーツなのだから、利益追求が第一であるべきである。」という根拠に基いてです。
そしてこのようなインタビューを放送するメディアの愚を笑いました。
確かにその評価自体は間違ってません。
それは完全なる正論だと思います。
ただ、最近私は異なった解釈を採用するようになりました。
あの青年のインタビューをオンエアした意図は、球団合併を巡る昨今の論争の多くが、非常に短絡的な無思慮なものであることを示すことにあるのではないかと。
少なくともあの青年は、自身の愚を全国にさらす結果となりました。
無論、彼の発言は前後に多大な文脈があり、その一部のみが作為的に引用されたものであるかもしれません。
ならばそれは、マスメディア(特にTV)というものが、浅薄にして視聴に値しないものであることを示しているでしょう。
NHKのプロデューサーが、意図的に自局の愚かさを示そうとしたのかもしれません。
この意味では、前述の青年のインタビューは非常に示唆的でした。
あえて感情的になってみれば、かの青年に共感してライブドアを批判する満足を得ることができます。
またちょっと斜に構えて、青年の愚を笑うこともできます。
かく解釈すれば、実はテレビのニュースというものは、たとえ民放のものであれ、相応の価値が見出せるかも知れません。
そのニュースでアナウンサーが如何なる解釈を示そうと、終局的に事実の評価主体は自身であるからです。
むしろ久米宏氏のように適当なことを言ってくれたほうが、事実を自身の知見に基き学問的に評価する訓練として有益です。
それに、無思慮なコメントを連発してくれれば、それに怒りを感じないだけの忍耐力を養う訓練ともなります。
何があったかを映像付で見せてくれるだけで、ニュースは十分有用です。
そのうえ、批判的教材としてアナウンサーがいろいろしゃべってくれたら最高。
(その意味だと、NHKのニュースはちょっと物足りないかも)
ただ、日本のニュースは非常に外国事情(特に中東、ロシア)の報道が少ないことが残念です。
だからやっぱり、BBCとかABCをネットやBSで見ると面白いと感じるんです。

9/18
ゴールデンウィーク以来の3連休です。
最近は、パブリックな機関のホームページに載せる文書を大量に製作していました。
そこにおける文書のことです。
パブリックな文書であるが故にか、そこにおける文書には相応の配慮が求められます。
現実の場において、差別的や批判めいたコメントがあったばあいには、その表現を是正しなくてはなりません。
(往々にして、発言趣旨まで変えてwebに掲載することがあります)
果たしてこれが正しいあり方なのだろうかと、私はそこそこの疑問を感じています。
恐らくそれと対照的であろうものが、当サイトの文書です。
そこにおいては、私の知能程度の低さと、批判に悪意に満ちた表現もまま見られます。
(特にサイト創設時の4,5年前の文書は非常に程度が低いです)
ただ私は、それらを意図的に訂正しておりません。
文書は、読み手がその知識をベースに自身の判断のみによって解釈しするものであらです。
当然に、執筆者(私)の知識水準、知能程度、良識程度、学歴など、全て読み手の側で判断するものでしょう。
読み手はその責任においてサイトを閲覧するものであるという、自明の理に私は則るのみです。
(この場合の責任とは、閲覧によって不快感を覚える不利益を蒙ることです)
そこで、テーマを私の作成しているパブリックな文書にもどします。
もしも仮に、その文書が事実をありのままに記したばあい、それによって如何なる問題が生じるというのかが、私の規範的意味における理解を超えています。
特定団体に対する批判的言論があった場合に、その関係者がその記録を読むことで不快になったら何だというのか。
自身の判断でウェブを閲覧する以上、それによる不利益(不快感)を感受するのは当然の理です。
もちろん、読み手の精神的成熟具合が問題となることは否定の余地がありません。
しかしウェブに接触する以上は、その主体は成熟した精神能力の持ち主とみなされるべきものです。
それにまた、パブリックな機関のサイトであるからといって、その文書が十分な内容程度を持っていると考えること事態が間違っていると思います。
むしろパブリックな文書とはいえ、内容の低さを読者に感じてもらうことこそが、より適切に実体を世に伝えることになるのではないかと私は思っています。
これこそが、私の感じる疑問点の焦点ですね。
また、仮にパブリックな文書に不適切な表現があるからといって、それが訴訟上の請求権をうむものでもありません。
(無論、刑法の名誉毀損の問題となりうるものは、修正削除も正当化されると思います)
結局、ウェブであるか紙の媒体であるかに関わらず、もっとも期待されるべきものは読み手の成熟か・・・・。

9/13
土曜出勤は6時間に限ります。
机に向かうのは中学高校の時分から嫌いではないですが、残業をすると体調が悪くなる。
疲労の蓄積なのか、もう若くはないようです。
昨日ほたるいかミュージアムなるものに足を運ぶ機会がありました。
内容の貧弱さと子供だましぶりに、失笑が漏れるという表現がこれほど似つかわしいものもないと感じました。
同行の学芸員(の資格の身を保持している人物)によれば、博物館の類はパネルを並べて読ませるだけではすぐに飽きられてしまうとのこと。
博物館でもピーターを確保することがもっとも大切だそうでした。
やっぱり上野の国立西洋美術館とか国立科学博物館はよかったなと。
先日ふと発見しました。
株式会社ケイブのホームページ。
リニューアルされてます。
一観したイメージでは、携帯端末のソフト事業が中心の会社です。
あくまで一事業として、業務用ゲーム開発も行なっているようなイメージ。
なかなか、うれしくなりました。
彼らも頑張ってくれてるんだなって。
それが現実としてのビジネスのあり方です。
ただ、同時に一抹の寂寥感を覚えたのもまた事実。
詳しいことは解りませんが、このようなお店も経営している模様。
bise bise AOYAMA (ビズ・ビズ青山)。
オリジナル・ビーズアクセサリー・ブランドらしいです。
過去との決別の証に、今度なにかここで買ってこようかしらん。

9/10
しばらくまた、忙しいです。
最近windouwsのSP2というのを入れました。
どうやら、悪い霊にパソコンが憑かれて、OSの自動更新がoffに設定を書き換えられていた模様。
ノートンアンチウイルスって大して役に立ちません。
もっとも、非常に活躍はしていても、その成果が見えないだけかもしれませんが。
感じられた唯一の害悪は、エクスプローラーのホームページが以下にされてしまったこと。
http://www.microsoft.com/isapi/redir.dll?prd=ie&clcid=0x0411&pver=6.0&ar=home
通常は「空白を使用」してるのですが、デフォルトの設定がこれにされてしまってました。
そもそもPC関係を学ぼうとする意図がない以上、この現象が悪意のものか、マイクロソフトの意図なのかすらわかりません。
とりあえず、OSのアップデートがoffになっていたおかげで、しばらくの重要な更新がインストールされていなかったようです。
ですので、久々にウインドウズアップデートを選べば、SP1,SP2という更新があった模様。
SP2は様々な問題があるらしきことを、日経パソコンで読みました。
でも今のところは、ポップアップ広告の自動遮断のみでも非常に有用。
ただ、ノートンアンチウイルスの存在を感知してくれないで警告を出し続けているのは、まだ正規リリース前であるからなのか。
閑話休題。
ちょっと前に非常に面白かったのが、下です。
アーケードゲーム戯言
「全一ミッドナイト」というパロディーが最高でした。
このような素晴らしいユーモアのセンスばかりは、学習と努力で習得できるものではないですね。
敬意を表します。

9/6
今日は午前半休です。
久々に思ったことを書き連ねようかと。
題材は、昨日金沢駅でもらった新興宗教のビラです。
転載が面倒かつ、公式サイトが閲覧できない模様なので、ビラの写真を貼り付けます。

何のことだか解りませんが、一般論として恐怖心をあおるのは新興宗教の一つの手法かと。
でも多分、ザビエルとかあのあたりから、正統を自称する教会の布教手段もまた、地獄の恐怖の強調であったかも。

まず最初の赤線部。
その、詳しいことは解らないし、私の価値判断です。
恐らく、「神」と呼ばれる存在を、何らかの人格的存在と把握することそのものが間違っているのではないかと。
多分不可避性とか、不変法則とか、そういったものが神と通称されるのであって、それが何らかの意思を持つということはありえないのでは?
多分密教でいうところの、「大日如来」というものも同じだったはず。(情報源は確か岩波新書の「密教なんとか」)
神が人格を持ち何かを考えるという発想は、あくまで理解を容易とするための一種の方便なのではないでしょうか。
いわば、対象の具体的イメージとして、形を与えて偶像を作り上げるのと同じこと。
それで結局その意味が理解されずに、偶像そのものもが崇拝の対象となることと経緯は同じ。
あたかも神なる人格が存在するように、誤解が広まったのではないかと私は思います。
次の下線部、「テクノロジーの進歩」と「愛が冷え」って、何の相関関係があるのでしょう。
説明もないし説得力がない。
正確にはテクノロジーの進歩と無関係に、人は当初から愛は冷えていたということではないでしょうか。
過去を理想化しているだけです。
それと、「悪」って何なのでしょうか?
あたかも、「悪」なる実体が存在し、それに責任を転嫁しているとしか思われない文書です。
次の「神の民」という表現はいうまでもなく、独善性を感じさせます。

で、次の緑線部。
「終わりのとき」として具体例が連ねられていて、その引用元は「ルカ21の9-11」となっております。
実際に該当箇所を日本聖書協会のサイトから引用してみます。
-----------------------
そこで、彼らはイエスに尋ねた。
「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」
イエスは言われた。
「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。
戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」
そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。
(ルカ21の7-11)
-----------------------
まず些細な点として、「戦争と騒乱のうわさ」と「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる」の間には一文があり、その2者には明確な時間的差異があると書いてある。
このビラだとそれを無視して、連続的イベントにしてます。
で、多分より重要なのは、「こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」との一文です。
このビラではご丁寧にも、この一文だけを抜いた引用がされています。
この一文の意味するとことは何かというと、多分こんな感じ。
原始キリスト教は恐らく、イエス死後直ちに世の終わりが来るという新興宗教的な布教を行なっていました。
ところがその世の終わりが、何十年もたってもやってこない。
そこでこのルカ福音書の著者はそのつじつまを合わせる必要に迫られ、イエス自身の口に「世の終わりはすぐに来ない」という台詞を押し込んだ。
この証拠となるのは、ルカ福音書よりも早くに記されたマルコ福音書。
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イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
(マルコ13の5-8)
-------------------------
このマルコでも既に「まだ世の終わりではない」と終末の遅延を意識した記述がされています。
それがルカだと「世の終わりはすぐには来ないからである。」とより明白に、終末が先延ばしされてます。
とりあえず確実にいえるのは、このビラは都合の悪い部分は無視しているということ。
それと最後の、「アンチキリスト」って一体誰で、その話が後につながってないのですが。

それで最後。
この応報思想というものは、極めて即物的かつ次元の低い意識だと思うのですがいかがでしょう。
天国にいけるから信仰しろっていうのでしょうか?
次の「この世においても」という表現からは、「天国」が明白に彼岸の存在とされていることが伺われます。
該当箇所が見当たりませんでしたが、確か「神の国はすぐ手の届くところにあるのだ」という趣旨の発言があったはず。
天国はこの世のものと、イエスは考えていたのではないかなと自分はおもってます。
最後に気がついたのですが、このビラはいわゆるキリスト教の主要ドクマのひとつであるところの、「贖罪信仰」がみられません。
イエス自身に贖罪の意図があったわけではないので、それ自体に問題はないのです。
ただ、人によってキリスト教の理解は実に多用だと、このビラを見て思っただけ。

9/5

デジカメ紛失中につき、携帯のカメラですいません。
「リアルアーケードPRO」購入しました。
情報が遅かったせいで、近所のゲームショップでは既に入手できず再生産の年末まで待ってくれとのこと。
それでネットの通販をいろいろとあさってみました。
大手は軒並み品切れで、アマゾンなんかもだめでした。
そこで行き着いたのが、結局製造元のホリ電子の通販部。
定価ですが、しっかり在庫もございました。
振り込み手数料420円+送料500円+定価とかなり高い買物ですが、やっぱり手に入るという事実が一番大切ですからね。
やっぱりものはいいですよ。
レバーはそのうたい文句のとおり、アーケードのものと同じ感覚で扱えます。
やっぱりこれが一番ですね。
スティックそのものの重量も既存家庭用スティックよりは遥かに大きく、安定感もあります。
格闘ゲームで熱くなっても、スティックごと動いてしまうということはなさそうです。
そしてボタンは8個にスタートとセレクトボタンとPSのコントローラーに準拠。
各ボタンに連射(23/s)を任意に割り当てることが可能です。
不満といえば、ボタンが少し大きすぎること。
指の短い私はこれをいつも感じます。
あと、スティック単体でのボタンの配置変更や同時押し設定はできないようでした。
ソードボタンとか、B+C、A+Bのボタンを作ることはできないですね。
もっとも、これでシルバーガンはできませんけど。
今のところというか実は、PSには一度も接続したことがありません。
専らパソコンにエレコムのアダプタを介して使用中。
事前にネットで検索したところ、リアルアーケードをエレコムのアダプタでパソコンにつないだ場合に、上方向入力が入りっぱなしになるという不具合が報告されていました。
しかし、当方の環境では今のところ全く不具合が生じておりません。
当面リアルアーケードは、パソコンのシューティングで使用する予定。
連射ボタンがついたので、念願の「超連射68k」をここ数日はじめております。
2周クリアまではやりますにょ。

8/16
夏休みって何ですか?という感じでした。
10日あるらしいですが、まだ一日しか休んでない。
せめて特別休暇の5日ぐらいは消化できますように。
週末やすみだからいいけど、それ以外毎日残業です。
過労気味なので、またしてもドリンク剤に頼る日々。
とりあえず、10本セットの箱買いです。
安いやつ(1000円以下)のものしか買わないので、ほとんど偽薬効果かもしれません。
唯一の薬効は、尿を黄色くすることかも。

ここ数日熱中していたものがこれです。
わざわざ新品とりよせてかってしまいました。
中間段階の感想として、相当なボリュームがあります。
しかもイベントの成否によって、物語が分岐する模様。
たとえば、恐怖新聞の内容どおりに友人が死ぬか、もしくは救出に成功するかで次の物語は違うようです。
ただ、セーブは一箇所のみしかできない模様。
実写を多用して、制作費の軽減と、胡散臭さを同時に実現してくれています。
やたらと女子中学生・高校生がでてきて、「胸を腕に押し付ける」という類の描写が目立ちます。
誰を対象に作っているのか、まるでわかりません。
捜索シーンはバイオハザードになるのですが、ここの操作性が些か悪い。
しかもダッシュボタンもなくてかったるいです。
でも、かなり遊べるゲームです。
是非皆様も新品を購入されて、つのだじろう先生を潤わせましょう。
もう一つの熱中は、未だにGallshellでした。
ノーマルモードを残ハート11でクリアと、ようやくのハードモードクリアも達成です。
ラスボスの、丸い弾とひし形の弾の連射の部分の安定避けパターンがまだできません。
それとハードモードは4面(巨大ボイン戦艦の前の面)が一番難しい。

8/3
またしても間隔があいてしまいました。
その、ちょっとばかり忙しかったんです。
前回の日記から、週5回の残業と土曜出勤でした。
今週は週4の残業ですませる予定。
でも土曜出勤だけど。
超勤手当て出るから悪くもなし、人生暇なときもあれば忙しいときもあります。
最近の事件。
Gallshellのノーマルモードをクリア。
結構熱中してました。
実に面白いゲームでした。
不可解なシステムはなし。
敵に張り付いてワイドショットを全部あてることが攻略法。
そしてスコアは打ち込み点が殆ど全て。
厳しい場面を覚えて、そこでサブショットを押しっぱなしにする様にさえ習慣ずければそこそこ簡単かも。
最大の敵は肩こりと横スクロール。
未だに1ボスの2番目の攻撃を食らう事がある程度の弾避け能力しか、横方向にはありません。
実はこのゲーム、途中までモニターのリフレッシュレートを75Hzでやってました。
だから敵弾が早くて非常に難しいと感じてたんですが、60Hzにすれば私でもクリアできる程度に落ち着きます。
是非お試しください。
次、神通峡までドライブにょ。
その足で、第58回北日本新聞納涼花火(富山会場)に。
中部高校となりの安野屋小学校に車を止めて、裏の神通川をちょこっとあるく。
花火は儚さと物悲しさが漂って、夏を感じさせてくれます。
そういえば、私の在学した頃の中部高校とはそこそこ感じが変わってる。
もうずいぶん昔のことだし。
実は本といえば、未だに講談社学術文庫の「イエスキリスト」読んでます。
上巻の4回目を読み終わったところで、下巻3回目にかかっているところ。
法律上の予算・経費費目の勉強とかいろいろしたいんですが、その時間がない。
今のところ夏休みを取れる気配なし。

7/24
20日あまりの間隔をあけてしまいました。
別に何をしていたということもなし。
少々忙しくはありましたが、それでも11時には家に帰ってました。
仕事は持ち帰らず、週末はしっかりと二日休み。
十分に恵まれてます。
結局日記というのはやはり、習慣なのだろうということを認識。
考えることはいろいろとあったのですが、結局どれも文章の形を見ることはなし。
自分の楽しみとして自分のために書いているわけです。
文書を書くことはすきなのだから、より負担にならないで継続できる仕組みを模索してゆきたいですね。
とりあえず今日は高校時代の友人と食事して、肩こり治療に行って、プールはどうしましょ。
明日は金沢に行きます。
とりあえず最近面白かったものを少々。
http://homepage3.nifty.com/kazano/200406b.html#14_t1
なんでも、ウェブ上における小学生のコミュニティーの観察だそうです。
リンク先を記された方が「文化人類学者のようだ」と仰ってますが、読み手の私としても文化人類学の教養書を読んでいるような楽しみがあります。
現代文明化の低い社会には、人の行動様式の基本が明白に現れてくる。
(ここにおいて「現代文明化」そのものを肯定的評価するわけではないです)
いわゆる未開の社会が主として人類学者のフィールドワークの対象となりますが、
小学生のコミュニティーというのもそれにそっくりですね。
小学生であればこそ、思いのほか、自己相対化の契機を与えてくれるかも知れませんしね。
もう一つ面白かったのは、人名に使用できる漢字を追加するかどうかという現在の議論。
姦とか糞という字がどうか以前に、漢字使用に制限が加えられるという事実そのものの是非を議論するという方向性はないのでしょうか。
フランス革命時には、革命政府が人名を60程度(パウロなどの聖人の名前だけ)に限定しようとしたという事実はあんまり知られてないのだろうな。
「姦」はよくないというレベルの低い正義感を振りかざすことによる害悪の大きさを認識して欲しいもの。
それだけの学識すらないからこそ、かかる暴挙にでられるわけですか。

7/3
梅雨というのに、最近は雨も降らずにどうしたことか。
忙しさも一段落です。
本日は、久しぶりのプール、そして参院選の期日前投票に行きました。
11日は仕事なので、投票できなさそうなので。
それにしても、参院の比例区に全国区があれば「世界経済共同体党 又吉イエス」に投票できたのに。
でも全国区だと開票作業が大変ですな。
その分の手当てが出ればいいんだけど。
最近Galshellなるフリーのゲームが面白いです。
日々改良が重ねられているようで、いい感じ。
画面前方張り付き命のパターン横スクロールシューティングゲーム。
今のところかなり難度が高く、まだ2ボス到達が最高です。
えっと、1ボスの攻撃から見切れません。
横スクロールの高速弾を見切るのって、すごく難しいです。
練習かな。

6/29

先ごろ購入した洗顔料です。
このシールと、「洗顔」という効果に何の関係性を見出せというのか?
宣伝の手段と目的の関係性が希薄なのではないかという疑いがもたれます。
せめて、「北斗女人像」でも使えばよかったのに。
先週後半は、あわただしくも何とか生存しておりました。
週末を楽しみに生きる、という言葉の意味が少し感じられたような。
これが「終末」を楽しみに生きるだと、どこぞの狂信集団にはや代わり。
最近よく分からないこと。
「結婚」というものは、「子どもを作ること」を必然的に伴うものなのでしょうか。
別に自身の身が、という意味ではなく、単なる一般論として疑問なだけです。
どうも私、その二つは決して等号で結ばれるものではない、という意識がまず第一に表層に上ります。
そういうものなのかな、という環境で生きていたせいなのでしょう。
ところがこちらでは、皆ほぼ疑いなく、その両者を結合させています。
しかも皆私より若い人々なのに。
いやむしろ、若いが故に、その結合に疑問を持たないのかもしれません。
以前の私の周りには、その両者の結合に疑いを持たない人が殆どいなかったから、少々カルチャーショックかも。
尤も私の場合、子どもを持つ以前に、自身に然りを宣告できるか否かという問題がついてまわりそうです。
どうしても、自分と同じ苦しみを子どもに味合わせたくないと思ってしまうし。
この問題の一つの回答を、酒席で同僚の女性が与えてくれました。
「皆そんな難しいこと、考えてないよ。」
そうなのかもね。
この場合、「難しい」ことを考えるから優れている、という価値判断は一切含まれません。
それに、考えずにすむなら、それは楽でいいだろうなと、私も思います。
世の子どもを持つ人は、如何なる実存的問題に直面し、それを解決し、子を作るという決断に到ったのか?
興味があります。

6/25
ガルダのDVDようやく見ました。
面白い。
所用ありまして、地方議会を聞くことに。
「社民クラブ」の演説。
小泉内閣の自衛隊イラク派遣を憲法前文と9条に違反していると批判していました。
首相の行為の違憲性および地方議会でそれを論ずる必要性、という観点はここでは一切無視しましょう。
私が強度な違和感を抱いたのはこの点に終始します。
その議員は、「憲法前文、9条」に違反していると主張しています。
しかしながら、憲法前文及び9条のどの文言に反しているのか、という具体論が完全に欠如しているのです。
違憲性を主張するなら、最低限の手順は踏まなくてはなりません。
まず条文の引用。
そして派兵がどの文言に反しているかを主張し、その文言の解釈をしなくてはなりません。
文言解釈のためには、当然にその制度(条文)が何を目的としているのか、という本源に立ち返ることが必要です。
これらの最低限の手順を一切無視して、自衛隊イラク派遣の違憲性を主張してどうなるのか。
「あいつは馬鹿だ」と何の根拠もない誹謗中傷を浴びせているのと何ら変わりません。
「馬鹿」である理由を明確にせず主観のみによって「馬鹿」と認定したところで、誰がそのような言説に耳を傾けるというのでしょう。
その言葉を発している人間が自身が「馬鹿」であることを自認しているにすぎないのです。
今回の社民クラブの議員も全く同じです。
小泉政権を批判する前に、自身が最低限度の学を身に着けることが必要であるという、誠実さはないのでしょうか。
こんなのばかりだと、「地方議員とはこんなに程度が低いのか」と思われても仕方ないですよ。
(むろん一部を持って全体化する偏見なんです)
選挙で当選することに比べれば、この程度の政治に携わるに最低限の教養を身につけるのは比較にならないくらい簡単だろうに。
国政レベルの民主党にもこの社民クラブと同じことを感じるのは嘆かわしい。
私も民主党に期待したいのに、あまりに程度の低い発言が目に付きすぎる。

6/23
そういえば、夏至って今年は21日だったんですね。
中高生のころは、和歌や俳句の「季語」なるものをならうと奇妙な感覚を覚えました。
旧暦を新暦に訂正したとしても、歌に読まれる季節には違和感がある。
8月を秋といってみたり、6月が夏だったりとそんな感じで。
でも歳をとってくると、そういう季節感にも、ちょっとばかり同意できるような気がしてきました。
一体何が変わったのか。
季節の循環を理解したうえで、次の季節を考えることが多くなったからなのかな?
閑話休題。
最近なにやら、環境が変わったせいなのか、大学やら偏差値という話を耳にすることがたまにあります。
そういえば私、大学受験生だった頃も偏差値なんて考えたこともなかったのに。
何でこの歳になってそんなことを聞くようになったのでしょう。
つまり回りの人間が、なんでそんなことを気にしているか?ということなんですが。
そこで気が向いたので、少々googleで調べてみました。
でも結局、代ゼミだのなんだの、検索かけた限りではどこもかしこも各大学の偏差値が違うんです。
(無論母集団によって異なるのは当然なんですが)
やっぱり、偏差値なんて無意味、と思った瞬間。
本当にそんなのが当てになるのでしょうか?
よく知らないのですが、「お茶の水女子大」ってすごい大学だったんですか?
(一体何を持って「すごい」と形容するのかは謎)
かりに「すごい」としても、それはあくまで所属個々人の知性の問題。
大学の総体としての評価に意味など存在しない、というのが理性的な解答だと思うのですが。
偏差値って、UFOと同じく共同幻想なんじゃないのかな。

6/21
台風は四国沖合いにいるというのに、昨日はフェーン現象でした。
風向きをどう考えても、南風が北アルプスを越えるように吹くことが説明できなかったんですが、何ででしょう。
ともかく気温36度超、今年はつのクーラー起動日でした。
午後からちょっとばかりドライブです。
二上万葉ラインなるところに少々。
「大伴家持」像(リンク先上から2段目左)というのがありまして、それ見ようと車を止めました。
そしたらあの、隣にとまってるワゴン車の中で、カーセクースしててとても困ったですにょ。
ドアを開けて車を降りるや否や、隣の車で営まれてました。
もう恥ずかしくなって、すぐにその場から逃げて、銅像見てすぐ帰ったんです。
それはその、人にはそういう時期があることもわかるし、若いとお金がないこともわかるし、いろいろ理解はできるんです。
健康な人間なら、決しておかしいことじゃない。
でもその、いくらなんでも午後3時ごろの駐車場でやらなくってもいいんじゃないかなー。
人様に文句を言う気はないけど、せめて夜とか、誰もこなさそうな場所コソーリとやってくれないでしょうか。
やっぱり車社会は怖いですにょ。
「ダイソー」でネクタイが100円で売られているのを発見。
ちょっと生地は薄いけど、いい色合いのものが多いです。
グレーとブルーのモノトーンのものを4本購入、400円なり。

6/19
面白いのみつけました。
http://www2.famille.ne.jp/%7Efkawachi/cgi-bin/bbs/bbs.cgi?subject=dcs
人間はこんなことができる存在なのか、と素直に驚けます。
ここまでくれば笑えます。
最近読んでたのが、専門家に聞く恋愛相談なるもの。
(膨大なバックナンバーがあるので、順に読んでました)
その専門家のアドヴァイスが適切なわけでも何でもありません。
端的に言うと、文書が非常に面白い。
相談の内容で示される価値判断は、むちゃくちゃです。
規範的に評価して、著しく差別的一面的単純化の産物、といってよいでしょう。
しかし文書を読みすすめれば、「専門家」が明確な意図の下に破綻した価値判断を用いている、ということが判明します。
自身の主張の手段として、そういった表現を用いているわけです。
したがって読み手としては、こんな感じ。
この人はこの表現によって、何を言いたいのだろう。
これを常に考えながら、先を読み進めることができるのです。
例えば、恋愛関係を純粋にセックスのみで説明してみたり。
(そういえば、「ふたりエッチ」ってこうでした)
そうやってセックスの獲得というのみで論を進め最後の最後で性行為を、愛情の諸側面の元に止揚してしまうのです。
前半部においては、事象の単純化が新たな側面の認識をもたらし、読者を楽しませるかもしれません。
そして後半部において、見事読者の予測可能性から逸脱し、「してやられた」という喜びを与えてくれるのです。
相当に豊かな教養と文書構成力がなくては、これほどの文書は作成できません。
さすがはプロフェッショナル、と感激しますよ。
ということで、お試しにでもバックナンバーの1あたりからちょっと目を通してみてください。
「専門家」に岡田トシオまではいってました。
彼の論の破綻振りと発想の異常さがまた、新たな認識を与えてくれます。
(そういえば私は彼の講義で教養課程の1単位を取得していました・・・・・)
ともかく、面白いです。
こういう豊かな評価基準を我に与えてくれた、阿刀田高氏に感謝です。

6/17
本日はエスプガルダ発売日らしい。
一応予約してあるので引き取り。
多分やらないだろう。
結局4700万であきらめてたな。
パターン作りが非常に難しかった。
勿論、客観的に考えれば大往生より遥かに簡単である。
ただ、方針が見えなかったのだ。
大往生は難度自体は高かったが、何をなすかが明確であった。
コンボをつなぐために、敵弾誘導パターンを作るだけだったのだ。
私がシルバーガンや斑鳩が簡単と評価する理由はここにある。
両者ともに、何をなすべきかで悩むことは皆無なのだ。
既にあからさまな解答が画面に示されている。
自身のなすべきことは、その解答を実行するパターンを作成し、反復練習により精度を高めるのみ。
シルバーガンを簡単(正確には方針が単純でわかりやすい)といわずに、どう形容しようというのか?
対するガルダ。
敵弾消去数*4000点が主たる得点源である。
どのシーンの敵弾が多いのか、そしていつ敵弾消去モードを発動するか。
これが非常に困難だった。
敵弾数は、結局のところ上昇スコアで概算するしかない。
当然、ある程度のデーターは必要だ。
ところが、この計算を為すには、各場面におけるスコアがほぼ一定でなくてはならない。
(ACゲームではポーズ機能等ないのだ)
すなわち、わずかでもパターンからそれるとスコアの計測が不可能。
(もっとも、一度死ぬとハイパーゲージとランクが変化して大往生はパターンの実践が不可能になるが)
クリアだけなら、この上なく難度の低いよいゲームだったのだが。
その文脈で高く評価するべきなのだろう。
自身に合わなかっただけのことだ。
閑話休題。
ロンドンハーツがトップ 見せたくない番組なるニュースがあった。
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日本PTA全国協議会が16日公表した調査で、
親の26%が「子どもに見せたくないテレビ番組がある」と答え、
トップには「ロンドンハーツ」が挙がった。
調査対象は小5と中2の子どもと親。
見せたくないとした親の17%が「ロンドンハーツ」を挙げ、
次いで「水10!」が13%、
昨年トップの「クレヨンしんちゃん」は11%、「志村けんのバカ殿様」が7%だった。
 理由は「ばかばかしい」「常識を逸脱」「言葉が乱暴」など。
(中略)
逆に「親が見せたい番組」のトップは「プロジェクトX」の27%で、
2位の「どうぶつ奇想天外!」「その時歴史が動いた」の10%を大きく引き離した。(共同通信)
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残念ながら私はその「ロンドンハーツ」なる番組は存在すら知らなかった。
ただ、それ自体はどうでもいい。
「ばかばかしい」「常識を逸脱」「言葉が乱暴」というのは恐らく事実なのだろう。
ただより重要なのは、「親が見せたい番組」のトップは「プロジェクトX」という事実。
価値観の単純化。
構造的男女差別。
事実の歪曲。
この番組を貫く、恐ろしいまでの偏見と無知のもたらす害悪は、「ロンドンブーツ」の比でないだろう。
そもそも、「ばかばかしい」「常識を逸脱」「言葉が乱暴」が故に規制されるべきという発想。
それ自体が信じがたい害悪である。
「ばかばかしい」「常識を逸脱」「言葉が乱暴」をみれば、人はそのままの影響を受けるとでも思っているのだろうか。
人間の自律思考作用に対する恐るべき蹂躙である。
悪影響をもたらす可能性があるが故に、規制してやらなくてはならない。
憲法学的に言うところの、パターナリズムなる概念である。
国家の肥大、規制の容認、人間の尊厳の無理解。
多くの社会悪の根源は、このような単純な無知から生じるものだ。
この調査はそもそも何を言いたいのか。
番組の悪性を調査すると見せかけて、調査対象者の品性を浮き彫りにすることが目的ともいえる。

6/16
最近はプライベートの文書が主体。
相手は一人ですが、そのほうが重要。
自分の魂を救済したいんです。
このwebという媒体は実に不思議です。
一体何人の方が、そしてどういった方々が、この文書に目を通されるのか。
人の日記って、時間つぶしになかなか面白いし。
さらに興味があって読まれる場合だってあるでしょう。
ウェブ上の文書の閲覧数に影響を及ぼすのは、最大要因が更新頻度。(特に日記だから)
内容は二の次ぐらいかも。
となると、この文書は相当多くの方が読まれてるんでしょう。
そう考えると、ちょっと怖いかも。
アクセス数を増やそう、人に読んでもらおう、という発想を完全に放棄したことで逆に閲覧が増えてるような気がします。
完全に人の視線から自由ということはないでしょうが、専ら自分のための文書だし。
(でもたまに、面白い話を他者と共有したいとは思いますよ)
田川健三氏によればこんな感じ。
「自分が価値があると思うから書くのである、ならば当然にそれは他者にとっても面白いはずなのだ」

6/14
ちょっと本のメモの転載。
昨日少々総括的な書き込みを行なったもので。
対象はあいも変わらず、講談社学術文庫の「イエス・キリスト」
今回は上巻3回目終わって、下巻いかずにもう一度上巻読んでます。
概要は贖罪信仰の発生の由来。
42ページあたり。
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復活の意味は、およそ次の理解であった。
すなわち、復活はイエスの生に対する神の然りであり、すなわちそれはイエスの業に対する然りであった。
そこにおけるイエスの業とは、罪人を一個の独立人格として尊重したことであった。
そしてここにおける「罪人」とは、政治経済的に虐げられ、律法を守り得ない地位に貶められていた不可触民のことであった。
しかしながら、イエス伝承を担った人々は、この不可触民から有産市民階級に移行してゆく。
この伝承者の階層変化に伴って、「罪」の意味内容が変化していった。
不可触民の罪とは、前述のように律法を守りえない地位に貶められ、他者から「罪人」であるとみなされていた状態そのものである。
対して有産市民階級にとっての罪とは、神の意思(律法)に忠実でありえないという自身の宗教的実存的な無資格性である。
ここにおいて、イエスの復活は宗教的無資格者に対する神の然りであると理解されるようになったのである。
これをイエス伝承を担った有産市民階級は、イエスが死によって彼らの罪を許したのだと理解した。
この神の然りからイエスの贖罪という発想は、明らかに論理の飛躍を伴っている。
その飛躍を可能としたものが、恐らくユダヤ教における贖罪の発想であったのだろう。
すなわち、個々人の罪(宗教法規の違反の度合いという具体的計量可能なもの)に応じて、生贄を捧げて罪を贖うというものだ。
ユダヤ教という、至極限られたロジックの内部においてのみ、イエスは「贖いの供物」と同定され得たのである。
以上の考察からは、「復活信仰」と「贖罪信仰」が必ずしも論理必然の結合ではないことが導かれるだろう。
「贖罪信仰」は論理として考慮に値しないが、「復活信仰」はその事実性を別として、規範的次元において考察に値するだろう。
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過去の自身を否定するようで好ましくない表現だが、犬養道子氏がいかに浅学無知な独善者であるかを改めて認識させられる。

6/13
被害児童の父って、自分の娘が悪かったという意識はないのでしょうか?
確かに被害者の行いは決して死に値するものではないです。
でも、あれだけひどいことやってのけたんですよ。
場合によっては殺意を抱かれるほどの恨みを持たれて当然でしょう。
なんかあの、イラクでつかまった連中の家族の愚かな兄妹を思い出す。
閑話休題。
でも実際にイラクで捕虜になった方が起した訴訟はいいですね。
彼は実際の事件の被害者であって、当事者適格がある。
この訴訟そのものの意味はなかなか大きいと思う。
もちろん仮に判断がされるとしても、まさに統治行為理論が適用される場面だろう。
この判断を司法が下すなら、それはまさに政治への干渉であって権力分立を危うくする場面だ。
民主的基盤に基かない権力に、それを判断する権能が与えられるのは好ましい事態ではない。
ともかく、それ故に本件訴訟をDQN扱いするのは、視野の狭隘と言うべきか。
ネットを見ていると、せめて最小限度の学識は積んでから発言すべきではないかと感じさせられることが多い。
むろん、謙虚であるための知識すらないゆえの振る舞いなのだろう。
重要なのは、それらを馬鹿と切り捨てることではなく、自身も同程度の愚者であるとの認識を抱くこと。
閑話休題。
パラサイト・シングル増加はGDP押し下げる?なる記事。
その趣旨は、これ。
「パラサイト・シングル」の増加は、住宅投資の減少を通じて国内総生産(GDP)を押し下げる。」
記事自体は純然たる予測なのであろうが、そこにある種の価値判断を感じざるを得ない。
すなわち、パラサイトシングルの否定的評価である。
結婚したくてもできない人だって多いだろうという一般論もある。
それ以上に、住宅建設に依存した経済構造そのものにゆがみがあるという認識はないのだろうか。
「住宅建設」という現実の財の消費を前提とした環境負荷は自然環境そのものの破綻をもたらす。
大局を見据えれば、この認識が第一にたつべきだろう。
しかも対応策が、「配偶者控除の拡大」とは。
それは「結婚しやすくすること」以上に専業主婦なる社会構造の固定化をもたらすのではないだろうか。
構造的差別とはこのことである。

6/12
昨日のこと。
胃薬を飲みながら焼肉を食べるとは、人は奇妙な存在である。
その席にてストレス性胃炎の同士を発見し、ちょっとうれしい。
それにしても、牛角とは久しいな。
ひどい雨。
前述の欝の女性に帰途の車を提供して頂く。
夜のドライブとは、心落ち着いてよいものだ。
無論運転する側は神経を使うことこの上なし。
自宅前まで送っていただき、礼を述べて下りる瞬間。
雰囲気とは恐ろしいものである。
双方、ある種独特の心情を抱いてしまう。
何を言っても、恐らくその言葉が実現されたであろう瞬間だ。
そしてそれを口に出してはならないことをお互い承知で、その場を分かれる。
車の不要な文化圏に長らく生活していた都合上、このような状況は生まれて初めて遭遇した。
人との距離とは難しい。
それが男女の間で、恋愛感情が絡まないように・・・・・
車で送ってもらったのは、間違いだったらしい。
一つ学習した。

6/10
どれくらい楽しめる? 日本の「美少女ゲーム」 (Hotwired)
この記事が結構面白かったです。
日本のアダルトゲームが米国市場において、部外者から如何様に認定されるか。
その端的な評価が非常に興味ぶこうございました。
それにどうやったら、これほどユーモアに満ちた文書を書けるのか、私も見習いたいです。
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 こうしたシミュレーション・ゲーム
――美少女ゲームとも呼ばれる――
は大いに楽しめるかどうかというと、残念ながら、実はかなり退屈だ。
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といいつつ、この記事を書いている方は相当楽しんでそう。
価値を見出さないと、これほど面白い記事はかけないですよね。
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 アダルトもの、つまりエッチなゲームの割合は、
日本のゲームソフトの25%以上を占めると言われている。
だが、こうしたゲームの米国市場への浸透は、
それほど進んでいない。
そこで、ラスベガスの『Gコレクションズ』や
日本に本拠を置く『Jリスト』といったオンラインショップが、
大きな可能性を秘めた米国市場への浸透をねらい、
美少女ゲームを輸入している(日本語版記事)。
米国版ゲームの小売価格は35〜50ドルほどで、
モザイクを使ってぼかしが入っている日本版と異なり、
性的描写が露骨で無修正という特典がある。
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私実はエロゲーのシェアは5割程度と思ってました。
それは秋葉限定ですね・・・・・・・・・
それと米国版の小売価格、ちょっと安いかも。
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 ゲームのタイトルをざっと見ていると、
近所のアダルトビデオ・ショップに入った気分になる――
『エッチなバニーさんは嫌い?』
『プライベートナース』
『出血簿』『人妻〜姫〜倶楽部』
『尽くしてあげちゃう』などなど。
 よくある設定は、バニーガール姿のウェイトレスのいるレストラン、
女子寮、女子高といった場所で働くとか、
少年の家庭教師になるがその母親は平凡な日常に飽き飽きしている、
とかいったものだ。
ゲームのなかには、SMやボンデージ、近親相姦が絡むものもある。
『ペントハウス・フォーラム』の読者なら、
お馴染みのシチュエーションだろう――
ありがちな設定と登場人物による浅はかな展開。
とはいっても、もちろん目当ては画像なのだけれど。
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この記者さんよくタイトルをしってます。
「シスタープリンセス」はやはり、「近親相姦が絡むもの」なのでしょうか?
それと「ペントハウスフォーラム」という雑誌が些か紀になります。
「あさはか」といっても、人はその「あさはかさ」を楽しんでるわけだし。
ハリウッドにも「あさはか」なものは多いけど、決してそれは悪いことじゃないのと同じこと。
「目当ては画像」っていうのは本当なんでしょうか。
僕は笑えた方がいいけど。
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「こうしたゲームに登場する少女は、
アニメならではの美しさを備えている――
切なく訴えかけるような大きな瞳、
色とりどりで豊かに流れる髪、
そしてもちろん、あり得ないような大きな胸。
恥ずかしがりやで世間知らずの少女もいれば、
大胆で挑発的な子もいる。」
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この評価がなかなか興味深いです。
一アメリカ人が見ても、あのグラフィックは「美しい」と感じられるんですね。
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「そしてクライマックスでは、体液にまみれ、
みだらに陰毛を露出させた裸のキャラクターを目にすることになる。」
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この「今昔物語」の如き何らの特殊意図を持たないストレートな評価がよいと私は思います。
それはそうと、世の中には「体液マニア」という方々がいらっしゃるんですよね。
世界は広いと思います。
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こうしたタイトルをゲームと分類するのは、どうかとも思われる。
ゲームは至って単純だ。
グラフィックスは静止画像で構成され、
キャラクター(だいたいは、性的な要求に応じる女性のみ)は
2Dフォーマットで描かれている。
そして単調で安っぽい打ち込みポップスをバックに、
青臭い物語がのろのろと展開される。
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「こうしたタイトルをゲームと分類するのは、どうかとも思われる。」という評価はちょっと疑問かも。
ゲームっていろいろなあり方があっていいとおもいます。
多様な需要と多様な供給が存在することが重要なんじゃないかな。
今私が読んでる講談社学術文庫は、筆者の論旨を負うのが非常に困難な上に、常に原典を参照せねばなりません。
半年かけてようやく3回目ですよまだ。
こういう本って確かにこの上なく面白いんですが、こういう本ばっかりだと疲れます。
私だってやっぱり最近、「動物のお医者さん」とか「あさきゆめみし」とか、マンガ読んじゃったし。
大往生とお手軽ノベルゲーム、ともに楽しみの質は違うけど両方おもしろいしね。
その寛容な評価を下せることが、人間の成熟なのかなと最近思うです。
「単調で安っぽい打ち込みポップス」というのは、音楽理論を全く知らない私は評価できません。
「青臭い物語」。
一部の人がどう萌えて泣こうと、客観的にはそいういうことですね。
この一言でエロゲーを否定するのではなく、自己相対化の視座と理解すべきでしょう。
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キャラクターどうしの会話は、
その息づかいと共に日本語で聞こえてくる。
画面下部に英語に翻訳された吹き出しの字幕が表示される。
卑猥な言葉も逐一訳されていて
(「オーッ」とか「アアーッ」ばかりだが)、
これがけっこう笑えたりする。
気分が高まってしまったときに備えて、
実に思慮深いことに、
マウスをクリックしなくてもゲームが勝手に展開していく機能も用意されている。
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この最後の一文をひねり出せる文章力が私は欲しいです。
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それはそうと、ほかの方法で欲求を満たすことも忘れちゃいけない……デートに出かけるとか。
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最後が教訓で終わるのも、「今昔物語」そっくりです。
それに事実の認識が率直で飾らないところも、今昔物語そっくり。
「たかが情事ですよ、食事と同じじゃないですか。」
阿刀田高氏談。
なんといっても、教訓が本文のまとめにちっともなっていない点が今昔物語なんです。
えっと、この原文が消えちゃうと怖いので、やたらと引用してみました。

6/9
数日風邪で床に伏せていることが多かった。
そのかん、「あさきゆめみし」読み返してました。
大和和紀さん、初期はちょっとばかり絵が奇妙ですね。
勿論全体的に非常に上手なんです。
ただ、源氏の君や頭の中将がやたらとあごがでっぱってたり。
幼少時の紫の上の裸体をかいたときに、顔と体のバランスが逸していたり。
それにしても、高校古文という痛い思い出がありつつも、ついつい原典を読みたくなってくるマンガです。
やっぱりこう思いました。
「源氏の君って、ひどい男。」
紫の上を愛しているのか否か、非常に微妙です。
やっぱり、紫の上を通して背後に藤壺の女御をみているだけという評価だって十分になりたつし。
何しろ最後には紫の上を差し置いて、女三宮を正室に迎えた男だ。
それに、花散里の扱いもひどいですよ。
多分生活費は常に与えていたのでしょう。
でもたまに通うだけ(そりゃ最後に六条院にむかえてるけど)
僕が源氏の立場にあれば、妻は花散里ひとりでいいとおもうんですが。
紫の上にいいことをいろいろいいつつ、朧月夜の君に、六条の御息所に、葵上に夕顔に・・・・・・
どういう精神構造をしていれば、こういうことができるのか?
虚しくなってこないものでしょうか?
もっとも、この物語で紫式部が何を主張したかったのかは難しいところ。
「源氏は悪い奴だ!」っていうのが主題かもしれん。

6/8

生まれて初めて胃カメラ飲みました。
その記念写真。
異常なし。
ここにおいておけばなくならないし。
こういう本を読みました。
なぜ生きる
普通の人はこんな本読まないですよね。
かかる実存的危機に直面していた、かつ病院の待合室にあった。
このニ条件がそろって初めて、私も手に取ったのです。
内容は、些か評価しがたし。
些細な点は挙げればきりがないのです。
むやみやたらと、有名人の言葉を引用して自説を権威付ける。
あまりものの解っていない方のよくやる過ちですね。
権威とは、他人に表白されて始めて発生するもの。
自身が他の者の権威をいくら借りたところで、それは己の品位を低めるに過ぎないという真理が見えていない。
しかし、これは本書に関しては些事です。
「なぜ生きるか」という問いかけに、本書は「人生には真の目的があり、それを追求するためである」と回答しています。
(その回答自体は、親鸞会の本だから、親鸞の思想と著者が思い込んでいるものが挙げられています)
どうも私は、この回答は問いかけに答えていないように思うのです。
「なぜ生きなくてはならないか」と悩む人間は、当然に私も含まれますが、このように考えていると思うのです。
「自身に価値を見出すことができない」
人生の目的の存否と、自身に対する然りの宣告の有無は、直接的に関係を持たないはずです。
人生に目的があると認めつつも、自身の無資格性を重々認識した結果として、自身を然りとできない場合だってあるはずなのです。
目的を見出せば(親鸞の言葉で言えば、弥陀の本願ですか?)、自身を肯定できるというほど単純な問題でしょうか?
それにどうもこの、「人生には目的がある」という発想は、目的を持たない人を差別しているように聞こえてします。

6/6
レーガン大統領が死去されたそうです。
私の幼児体験として、大統領といえばレーガン、総理大臣といえば中曽根康弘、書記長といえばゴルバチョフでした。
時代が流れてゆきます。
最近ちょっとばかり理解したこと。
キリスト教関係の文言で、有名なものに次があります。
「父と子と聖霊のみなにおいて・・・・・」
「父」と「子」が何を意味するかくらいは、犬福でも理解できます。
そこで謎として残ったものが、「聖霊」。
それは何ですか?という疑問は、多くの人が抱かれているのではないでしょうか。
その正体が不明な理由は何かといえば、端的に言って福音書に殆ど登場しないから。
福音書といえば、いわゆるイエスなる男の宗教活動と刑死を描いた書物。
たぶんキリスト教文献中で一番有名。
読んだことはなくとも恐らく誰でも、アニメや小説で間接的にその内容は知っているはず。
対して「聖霊」なるものが頻出するのは、書簡文学や使徒行伝など。
「深く学ばなければ、教義の中核たる聖霊はわからないのだ」という弁明も不可能ではないです。
でも端的に評価して、こう考えるのが素直というものです。
教義上極めて重要な位置を占める実体が、同じく宗教的に重要な文献である福音書に登場しないのはおかしい。
どうやらこの場合は、後者の考えをとるのが学問的には正解のようです。
福音書が記されたのは、おおよそどれも現在のパレスティナからシリア方面。
この地方では、「主の名において」悪魔祓いや祈りが捧げられていた模様。
福音書の記述も殆どが、「主の御名において・・・」となっています。
ところが書簡文学の主体であった地中海(ローマ)世界になれば、「聖霊」の働きが非常に強調されます。
逆に「主の御名」という記述が殆ど見られなくなる。
要するに、同じキリスト教でもパレスティナ一体に広まったものと、ヘレニズム世界に展開したものは異なっていたらしい。
(もっとも、「キリスト教」という自覚があったかどうかの次元で既に怪しいです)
ヘレニズム世界の書簡文学と、パレスティナ一体の福音書文学が、双方ともに正典として採用された。
もちろん、分裂を恐れた政治的理由からです。
その過程で、福音書には殆ど見られなかった「聖霊」という概念が教義の中枢を占めるようになった。
だからイエスが何を言ったかぐらいしか書いてない福音書しか知らない一般人には、「聖霊」と言われてもぴんとこない。
当然至極のことでした。
勿論正当神学の立場からは、このように説明されるのでしょう。
「父と子と聖霊は同一実体の異なる位格であるから、福音書には聖霊という単語はなくとも、聖霊についてはしっかり記されているのである。」
三位一体説によれば何とか説明がつきますが、あとからとってつけたような感は否めません。
因みにこの「聖霊」というものも、書簡文学を文字どうりに読む限りでは、相当奇妙な存在であったようです。
信ずるものには「聖霊」がくだされ、それによって人は異言をはいたり預言したりしたそうです。
端的に評価して、シャーマンのトランス状態と全く同じ。
当時のキリスト教とはみんなラリってたんです。
(使徒行伝や書簡文学を読めば、この奇妙な場面はあきれるほど頻出します)
大使徒パウロ氏自身が、預言の仕方とかその信憑性のみきわめを論じているくらいです。
この書簡文学の聖霊は、どう控えめに見ても「父と子」の異なるペルソナとは認定できない代物です。
よくもまあ、「三位一体説」などというむちゃくちゃな理屈が2000年近くも持ちこたえたもの。

6/5
プールいった翌日から風引きました。
筋力は落ちていないものの、体力は衰えているのだろうか・・・・・・
ここ数日、読売新聞に「アメリカ、勢いづく保守」という特集が掲載されてます。
その第一回(6/4)の感想。
まず、その要約。
USAでは「禁欲教育」が近年勢いを増している。
その内容は、「結婚まで性交渉を持たない」というもの。
そのために、性病の恐怖、妊娠の不都合、感情的ダメージを徹底的に教え込むらしい。
その教育の実施主体はキリスト教系の宗教団体。
上記運動は、カジュアルセックスやシングルマザーといった極端な現象に対する対抗運動である。
が、行き過ぎの修正が別の方向に行過ぎているのではないか、と記者の論評。
以上要約。
結婚までに性交渉を持つか否か。
それは個人の性的自由の問題であって、他者がどうこうというべきものではないというのが一般論。
それを持つことによる、利点もあれば短所もある。
この程度は私でさえ認識せざるを得ませんでした。
だから、結婚まで性交渉を持つべきではない、という主張自体は別に悪いものではない。
ただ問題となるのは、その主張の表現方法です。
読売報道によれば、禁欲教育の実体は「キリスト教倫理に基き、婚外セックスを禁じるもの」であるそうです。
確かに福音書には強度の禁欲思想が盛り込まれています。
しかしそれらの大半はイエス本人にはさかのぼりません。
イエスを律法の完成者とみなし、ひたすらの律法(ユダヤ教宗教法規)遵守を唱えた、キリスト教律法主義者がその主張をイエスの口におしこんだもの。
だから、禁欲を強度に主張するのはマタイ福音書。
最古のマルコ福音書には、さほどの禁欲思想は見られません。
そもそもあのイエスという男が最も強く主張したのは、次の点だろうと私は認識しています。
「何らかの規則(権威)によって自身を絶対化し、それ(規則や権威)を守りえない他者を差別することは間違っている。」
今回のUSAの禁欲教育は、まさにこの自己絶対化と他者の差別そのものですよ。
「性病の恐怖や、妊娠の不都合」を強調するということは、性病に感染した人や妊娠した人を否定しているわけです。
初めて恋愛感情を覚えて、性交渉を持ったら偶然にも妊娠してしまった。
このどこに非難されるべき点があるというのでしょうか。
誰にだってそうなる可能性はあるのに。
性病だって、全く同じ理屈でしょう。
宗教の名の下に、イエスが最も否定しようとした自己絶対化が顕現しているんです。
この保守主義者って、やっぱり記述の意味を考えるという習慣がないのだろうな。
キリスト教の倫理は、本当に禁欲などという単純なものだったのか?
この程度の発想はあっていいと思うのに。
どうも最近私、あのイエスと言う男が主張したものは宗教ではなかったような気がしています。

6/3
長崎で素敵な事件があった模様。
判明している限りでは、事件の端緒が極めて痛ましい。
「子どもにネットは・・・・」とよく言われます。
実際私もそう思います。
子どもは知識経験思慮分別、すべてにおいて不十分です。
でもこれって、決して年齢的な「子ども」に限定される問題ではない。
20過ぎた社会人でも、思慮分別が未発達の人は数限りない。
当サイトのBBSでさえ、どれほどそのような例を目撃できたことか。
「メディアリテラシー」なんてものじゃないですよ。
対面しての会話、文書でのやり取り全て同じ。
一方的な自説の展開。
それに対する論理的な根拠の完全なる欠如。
自説が否定されるや激怒。
相手の話は聞かない。
子ども以上に性質が悪い例は枚挙に暇がない。
問題の本質は、「顔の見えないネット」という媒体にあるのではない。
属人的な精神的成熟の問題である。
このように私は思います。
今回の事件は、殺害という実行行為を離れて評価すればどうなるか。
責任非難の度合いが大きいのは、被害者の側なのではないだろうか。
尤も、小学生に言葉に責任が伴うというテーゼは理解できないだろうと予測されますが。
命と引き換えに責任の意味を学んだわけか。
いや、学んでない・・・・・
事実からその意味を認識するのは決して容易ではない。
できない人も少なくはない。
そして彼女の場合、それを考える時間すらなく、結果のみを引き受けることとなった。
無論本来的に、言論の責任は言論の次元における不利益にとどまるべきもの。
しかしこの原則論は、意味を理解した人間のうちでしか通用しない。
むしろ言説の結果として、言葉を遥かに超えた不利益を蒙る点にこそ、責任の現実的意味がある。

6/2
最近ふたたび、旅行記作成が停滞中。
9日目の途中まではできてるのに。
最近鎮痛剤の消費量がちょっと多すぎるような気がしてます。
一日一回2錠だけですが、飲んでない日が思い当たらない。
「胃が痛い」と、これに尽きます。
昨日はその胃痛で通院。
多分潰瘍までは行ってないけど、胃が荒れてます。
前回薬を処方されたときよりは、かなりよくなっているはずです。
とりあえず、35日分の薬が処方されました。
飲まないと確実に腹が痛いので、めったに飲み忘れないというありがたいお薬です。

6/1
スターバックスからはがきが届きました。


アンケートの返答。
なかなかデザインよし。
こういったアンケートはどのように扱うべきものなのか?
私の要望は単純明快。
日本進出当初の、あのパッションティー(蛍光紫)とシナモンロール(パンの塊)の復刻です。
はたしてこういった、極端な要望に耳を傾けるべきか否か?
往々にして、極端なファンというものは、視野狭隘にして独善的。
こんな連中に付き合っていては、展望は開けません。
経験的にウェブサイトの掲示板においても、一方的な賞賛を与えてくる人間は近いうちに一方的な憎悪を送ってくるもの。
こういった知恵の発育が阻害された方々は、自身しか見えないものである。
話題を戻します。
私のアンケートは、どう処理されているでしょう?
「回答無し」フォルダにつづられて、回覧されて終了かな。
私が担当者なら、そのように処理する可能性大。
でも、昔のメニューの復刻はそこそこ要望があると思うのです。
例えば5年くらいアメリカで暮らしていたという人が日本に戻ってくれば、必ずメニューに落胆を覚えるはずで。
ということで、スターバックス様、よしなに願います。

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