2005〜2007年
戻ります


5/30
読書する時間は殆どとれなくなりました。
ただ、最近は通学時の車(自転車+JR+自家用車通学で片道90分)の中で、 4/29
昨日、予習を終えてから帰った。
一応、大学院なので24時間開いてる図書室と、個人用の机とロッカーあります。
民法U、次は予習がらくだと思った。
でも客観的に見ると3時間半ほど。
体が慣れてきたのだろうか。

4/28
つらい。
勉強できない。
というよりも、少しでも時間を浪費すると罪悪感にさいなまれてしまう。
本日も、4時間程度は予習はしたのだが、あとをシレンで浪費してしまった。
明日は民法の復習テストがあるというのに。
というよりも、最大の問題は自身に自信がもてないこと。
無駄に年を重ねたせいか、人を笑えない。
自分も同類だという発想が必ず出てしまう。
今の法科大学院には東京大学法学部も4人いれば、金沢大学や富山大学卒だっている。
侮辱する意図は全くないし、彼らには人間的に好感を抱いているのだが、
その程度の大学を出た彼らが自信に満ち溢れていることに対し、私は東京大学という肩書きが余計に自己の無能さを鮮明にする。
私に法的なセンスがあるのかないのか、この時点で低回してしまう。
まだ少なくとも試験は3年以上先であるのに。
私は無駄に教養をつけすぎたのだろうか。
教官の弁護士などと話しても、彼らはなんて視野が狭いのだとか、斜に構えてしまう。
自分自身は、自己の能力は総合と幅広い知識から来る直感だと認識している。
さほどロジカルな頭脳の構造ではなく、法的思考に向いているのかは全くの不明である。
それでも法曹資格を取得する程度は頭脳の余技として十分に可能だと以前は思っていたのだが、今はその自信がもてない。
勉強をするとはつらいことである。
かつて、理系は文科系より楽(率直に言えば司法試験より楽という意味)だと思っていた。
しかし先日、大学を11時過ぎに帰るころふと悟った。
理系は殆ど求人がないのだ。
(推測だが、基本的に人が死なない限りその補充としての求人はないだろう)
それに比べれば、たとえ3割でも司法試験の合格率がある文科系の方が、はるかに恵まれている。
人の芝生は青く見えるものだった。
全て愚かしいのは己である。

4/20
予想通りというか、予想以上というか、なかなか大変でした。
アメリカではロースクール文学というのがあるそうで、いかにロースクールがつらいかを延々とつづってあるそうです。
童貞ニート日記みたいな読み物だと想像頂けるとちかいのかも。
とりあえず、まだ開始1週間少々ですが、その分量はなかなかのもの。
講義自体は週8回なのですが、一こまの予習に平均すると5時間以上かかっているように感じます。
(時間は体感で正確でない。)
最も近い比喩で言えば、高校数学のようなものかもしれません。
全て予習がしてあることを前提に、授業は生徒を順次指名して発言を求めていきます。
先週は水、木あたりは3時間ほどしかねれませんでした。
もっとも、自ら望んで法科大学院に身をおいたわけであり、その分量に不満はありません。
ただ、今のところはもう少し予習の仕方を考えないと、まず体を壊し、次に心がくじけそうです。
自身の能力が日々試されるというものは前職になかったことなので、割合に充実しています。

4/11
大学院生になってしまいました。
ただ、卒業して得られる学位はなんとも微妙なもので、「法務博士」(専門職)という不可解なものだそうです。
むろん、こちらはおまけであり、本質は司法試験の受験資格が得られることにあるでせう。
とりあえず、勉強に継ぐ勉強があるのみです。
それにしても、3月31日まで仕事をしていたのが嘘のような境遇です。
今のところはですが、勉強をしているのは仕事より楽です。
ただ、まだ生活にもなれず、なかなか机に向かうことも難しい。

  我、生きずして死すこと無し、理想の器、満つらざるとも屈せず。
  これ、後悔と共に死すこと無し

  自らの意志が、強固であるほど様々な試練に苛まれるものだ。
  無論、試練を目前に避ける事も出来れば、逃げる事も出来る。
  だが、試練の真意は、そんな己の心を克服する事にある。

  浮き世に絶対などというものは無く、理不尽な思いを前にして途方に暮れる事もある。
  これを乗り越える為には、確固たる信念と洞察、そして幾分かの行動力を持つ必要がある。

  そして現実はその姿を現す。
  何を求め・・・・・・・・・・
  何を見て・・・・・・・・・・
  何を聞き・・・・・・・・・・
  何を思い・・・・・・・・・・
  何をしたのか・・・・・・・・

  やがて一つの因果は、その意志を元の場所へと回帰させ、記憶の深淵に刻まれた起源の意識を思い起こさせるだろう。
  故に、斑鳩は行く・・・・・・

  それ故に・・・悔いの残らぬよう、やり遂げなさい。
  我、生きずして死すこと無し、理想の器、満つらざるとも屈せず。
  これ、後悔とともに死すこと無し・・・
  わかっていたはずだった・・・私達は、自由を見られるかしら?

  これで、良かったのか?
  大丈夫・・・何時か、きっとわかり合える日が来る。
  そして、遠い未来へ・・・命は受け継がれるから。

3/31
本日最後の出勤日です。
とはいうものの、土曜日も出社して、午前に片付け、午後に残務整理。
最終日の本日も、簡易ながら決裁文書を2件とその他少々が残っております。
4年間の勤務にして、退職金は40万強。
この額面はなんとも評価が難しいです。
とりあえずここ数日で、車検13万、バッテリー交換1.5万、家賃自己負担5万、自動車保険4万強、職場への送別記念品2.5万強、妻に貯蓄2.5万が消滅しました。
何一つ自分で使ってないのに25万・・・・・・
果たして本当に3号被保険者として、妻の扶養になれるのか。
ところで、明日からすぐに院です。
環境の変化は夢のよう。
そういえば、ここ富山でもそろそろ桜が開きます。
昼休みに毎日歩いていた(外周2周していた)高岡古城公園
蕾が大きくなり、開く花も少々あり。
最近は桜を見るたびに思い出します。
願わくば 桜の下にて 春死なむ この如月の 望月の頃

3/23
4月1日から大学院というに、31日までは仕事です。
しかも現職の残務整理が(むしろ新規に事務が発生し続けており)忙しく、有給休暇を消化するどころではありませんでした。
「寿退社の人は、有給を全て消化してその上で退職」というのはきっと、都市伝説なのでしょう。
法律の勉強はここ何年間していないというのに、こんなことでどうなるのやら。
ただ、隣で眠っている妻の寝顔をみたり、またいつかは生まれるであろう私の子のことを考えれば、彼らのためにも私は頑張れるような気がします。
ところで、現職も最後が見えてきまして、仕事が押しているとともに、職場の人との別れの酒席の機会が多くなってきました。
今週は3回(火、木、金)、先週は2回(月、水)などなど。
ちょっと前のはなしです。
現在配属されている部署で送別会がありました。
いかんとも評価し難いのですが、しかもこれが日本全体に普遍化できるのかどうかは解りませんが、参加者は芸を行なうことが要求されます。
(私は送別される主賓なのでその必要はなかった、カラオケでyesterday唄ったけど)
席の近い女の人が3人、ステージでピンクレディーの「年下の男の子」を歌ってくれました。
しかも学生服(ブレザーとかセーラー服とか)
宴席自体が愚かしい風習であり、しかも芸を強いるなど蛮習でしかない。
私のために演じてくれた人々を前に、このようなことを言えるでしょうか。
いい年をした人たちが(一人だけ27歳)恥をしのんで・・・(実際に恥ずかしいかどうかは謎である)
素直にうれしかった私です。
日本の伝統的な宴席風景、私はあまり好きとはいえませんが、なんとも評価が難しい。
私は組織を離脱し自身の才覚で生きることを選び増したが、仮に弁護士になりえたとして、客商売ですからより一層に人付き合い(場合によっては食べていくための阿諛追従)が必要になるでしょう。
例えば、上位の人(年齢、金力、役職、顧客など)に酒をついでまわること。
私は蛮習だと思いますが、世にはそれを受けることによって力関係を確認しようとする人がある程度は存在します。
そういう人が客なら、従わざるを得ないでしょう。
また肯定的な面として、自身が真に尊敬する人であった場合には、酒を注ぐことを口実に、会話を持つことも出来ます。
悪くいえば、顔を売れるということか。
ただ、とりあえず酒に弱い私は、ビールではなく日本酒をついで回り、かつ注がれることにしています。
そうアルコール摂取量は日本酒の方が少なくて住むので。
あと、ビールを少量づつ注ぐというのは、極めてまずい飲み方である。

1/9
これまで、世に倦む日々と記してきた司馬氏の本は世に「棲む」日々の誤りでした。
端的に、私に「棲む」を「すむ」と読む知識がなかっただけ。
この書名は、高杉晋作の辞世の句、
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは こころなりけり」
に着想したものと思われます。
冷静に考えれば、世に棲む(住む)のは当たり前であって、一種の形容矛盾です。
どうやらこれは、物語の一人の主人公である高杉晋作の思想であるところの、魂は目的を与えられて一時的にこの世に生を受けている、という発送にあるものと推測します。
とりあえず、この本も2度目を読了したので、次は「歳月」を読み始めました。
こちらも著者は司馬氏で、江藤新平が主人公の模様。
出来れば大学院進学前に、次の「飛ぶが如く」全10巻を2回よみたいところ。
閑話休題。
私の勤務する地方自治体では、本日平成20年度予算の内示がありました。
私にはもう関係がないといえばそれまでですが、大変厳しい減額査定。
端的に評価すれば、諸事業の実施が不可能に近いレベルでした。
(ただ、ひとつの事業の全額がゼロ査定となるのではなく、一部費目(例えば委託料など)のみがカットされる状態)
解りやすく表現すれば、コピー代などの事務費減額にとどまらず、事業費そのものが大きくカットされた状態です。
その原因は、地方交付税交付金の減額、地方税収の減額、新幹線建設等の地元負担金、などが大きいものと思われます。
これらの要因は誰の目にも、何年も前から明らかだったはず。
何年も前から、その対策を講じるべきでした。
具体的に言えば、事業そのものの大幅な取りやめです。
少なくとも組織の建前としては、このレベルでの判断は各事業部局ではなく、財政担当部門が行なうべき判断でした。
  (本当は各部署の事業担当自身で気がつくべきかも知れない。
   ただ、多くの場合彼らは日常業務に追われており、また国の交付金の額なども正確にはわからない。
   見積もれるのは地方税収程度か。)
それを怠ったために、今年になっての急激にしてしかも趣旨の一貫しない減額査定によって業務の遂行が困難になる状態。
なんと先見性のない・・・・。
ともかくも、地方自治体の(国も同様ではあるが)放漫な財政運営により、不利益はその住民に降りかかります。
組織というもの一般の特徴でしょうが、多くの場合構成員の一人一人は愚かではありません。
しかしそれが組織として意志を決定する場合、しかもそれが重要な意思決定であればあるほど、信じ難い愚かさを呈するものです。
自治体は、法律に根拠のない事業は行なうべきではありません。
往往にしてそれは、首長の政治目的(得票増大)に過ぎないからです。
またそれは、租税の無駄の元となります。
そして自治体は、法にだめられた戸籍や地方税を効率的にこなすことこそ最も重要です。
主権者たる国民が国政を信託したのはその代表者である立法府(国会議員)であり、地方自治体ではありません。
(憲法前文に明記)
我々が政策の遂行を期待するものは国であって、地方政府が自主事業を行なうことに私は肯定的ではありません。
地方自治体は権力分散が期待されることからその自治が憲法により保障されるに過ぎません。
「福祉国家と小さな政府は両立しない。」
この当たり前の原則が、誰もに理解されることを期待しつつ。

1/6
今年のシレン初クリア。

年末からの継続プレイです。
シレンはもう止めようと誓ったはずだったのに。
大学院に行ったら辞められるでしょうか。
閑話休題。
本日無意味に歩く。
自宅から富山駅まで。

マピオンのキョリ測定βによれば、道のり13.6km、消費カロリー756Kcal。
司馬遼太郎の「世に倦む日々」を読みながら比較的ゆっくり歩く。
かくして、私32歳の誕生日を迎えました。

1/2
司馬遼太郎氏のこと。
少なくとも、彼の主題のひとつに日本の国民国家形成期を描くということは含まれると思います。
彼の著作はほぼ、幕末から日露戦争期に集中しておりますので、客観的にも間違いないでしょう。
ここではそれとは別に、彼の精神について一言。
もっともその思想が端的に現れていると私が思う箇所を引用してみます。
千葉一刀流の祖、千葉周作氏を描いた「北斗の人」
この作品自体は、さほど思想的なものでもないし、フィクションが多く娯楽作品としての要素が大きいと思われます。
周作は、剣術の修行中。
とりあえずついていた師から、一刀流の皆伝を得て、秘伝書を授かる場面です。
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余談だが、古来、兵法の流祖というのは無学なものが多い。
それが一流を起こし、伝書を作り上げるとき、学問のある禅僧などに頼んで件の「教義」を書いてもらった。
自然、文書が晦渋で、何が書かれているのか解らぬものが多い。
解らぬことがむしろ尊げに見える、という点も兵法教義の晦渋さの狙いにもなっている。
例えば周作が学んでいる一刀流は、諸流派の中ではもっとも合理的なものとされているが、それでもその正伝総目録の本文は、次のような文書からはじまっている。
  端末いまだ見はれず人能く知る漠し
  天地の神明、物と推し移り
  変動常無し、敵に因って転化す
周作ははじめてこの文書を見たとき、
(なんのことかわからぬ)
と思い、養父であり師匠である浅利又七朗にきくと、
「心眼で読んでみろ、わかる」
という答えしか得られなかった。
浅利又七朗もわからないのであろう。
(以上文庫257ページから) -------------------------------------------------------------------------------
「浅利又七朗もわからないのであろう。」
このくだりが最高です。

1/1
大晦の夜から就寝にかけての行い。
食事。
家族と叔父家族が集まった。
居宅にもどり、妻と会話。
いささか妻の気を暗くさせた。
妻就寝。
私はせめて新年に期待を駆けて、年の瀬は机で書に向かい、かたちだけは繕おうとした。
「イエスという男」、1回は読了したので、二回目は新約聖書をともに並べて引用箇所を確認しながら読み進める。
11時30分。
入浴し、身を清める。
心の中の妄念、私の心をこのとき支配しがちであったのは、性欲ではなく怒りであり怨念だったのだ。
それらを忘れ、心を静めるよう勤める。
0時。
NHKの行く年来る年で新しい日付の到来を確認してから、宮に詣でに出る。
徒歩にて、近所の神社まで。
参道を登り、手と口を清める。
賽銭を投入し、鐘を鳴らして手をたたく。
夫婦の融和と、家族の健康と、学問の進展を祈願した。
雪もしくは霙の落ちる天候であったが、鳥居を出るときは大変に晴れがましい気分であった。
「なにごとの おわしますかはしらねども かたじけなしに なみだこぼるる」
0時20分
帰宅。
風呂を掃除し、神社でお神酒のかわりに配られていたみかんを食べる。
この日記をつける。
0時40分
以上の儀式は終了。
改めて、自宅でお神酒として酌んだ酒を一杯。
そしてアップロードの後、再び書物に戻る。
来るべき一年に、希望と平安があるように。

12/18
最近の読書。
「坂の上の雲」(日露戦争)二回目読了。
「世に倦む日々」(吉田松陰)一回目、第一巻途中。
以上ともに司馬良太郎。
「イエスという男」、田川健三、イエスはキリスト教の先駆者ではなく、歴史の先駆者であったというはなし。
こちらは途中。
最近のゲーム。
シルバーガン、5面練習中。
とりあえずAC版では、5面で300万点強(赤のチェーン)は取れるようになりました。
ワンコインクリアでクリア時1200万が今のところの最高。
(ステージ5を黄色でつないで1453万が4年前のスコア)
現在、サターン版でゲームスピードを5/8にしてスローモードで練習中。
この状態でようやく赤で最後までつながり、933万が今のところの最高点です。
また、5面序盤のベルム編隊も練習中で、通常スピードでは27000か30720まで。
ゲームスピードをおとし新パターンに取り組んでいる途中で、先ほどはじめて4万超えました。
まだシレンは継続中。
ちなみに、友人からアスカの実勢価格が3万円弱であることを聞き驚愕する。
アマゾン参照
なお私のアスカは、プレイ時間が999時間を越えてカンストしてしまいました。
さて、仕事のはなし。
現在主たる業務として、「特定健康診査等実施計画」というものの素案を作っています。
(無論私一人ではなく、5人程度のチームで)
この「特定健康診査」というものは、いわゆる健康診断です。
通常健康診断は、事業所に勤務している人は、事業主が労働安全衛生法により検診の実施義務を負います。
そして、学生ならば学長が。
また、以上に漏れる住民は自治体が実施義務者です。
自治体の検診は、従来は『基本健康診査』と呼ばれ、老人保健法に基き40歳以上がその対象となっていました。
来年度からは、「高齢者の医療の確保に関する法律」に基き、基本健康診査ではなく特定健康診査というものが開始されます。
その実施に当たっての計画は、自治体が作成義務を同法によって負っております。
その素案を私は作っております。
そこで焦点のこの「特定健康診査」ですが、「特定」の意味は対象を生活習慣病に限定している、ということにあります。
生活習慣病の指標として、現在話題の「メタボリックシンドローム」という概念に着目するのです。
すなわち、検診で受信者の腹囲を測定し、一定以上の腹周りの人が「血糖」「血圧」「血中脂肪」「喫煙」の要件のいくつかを満たしている場合に、その人をメタボリックシンドロームと認定します。
そしてメタボリックシンドロームの該当者に、保健指導を受診させるというものです。
この、「基本健康診査」から「特定健康診査」へという制度変更の主眼は、医療費の削減にあります。
すなわち、医療費の多くを占める生活習慣病の予備軍を減少させる、ということが建前です。
(検査項目も減少しているので、その実施に当たっての費用も減少します。)
(そして、費用は各自治体持ちですが、その三分の一は国が負担するので、国の負担も軽減されます。)
ただ実際のところ、この特定健康診査は次の目標の達成が事実上義務付けられています。
・平成24年度に受診率が65%。
・同じく、特定保健指導の実施率が45%
・メタボ該当者の10%減少。
以上の目標が達成できなかった場合には、国から各自治体への補助金が10%削除されます。
(正確には、後期高齢者医療制度への支援金の減算)
そしてこれらの目標は実現がほぼ不可能です。
もっとも端的な理由は、保健指導を呼びかけても、誰も応じてくれないというものです。
(私の職場で昨年の保健指導通知の実績は、1000通を発送して3名だけだったらしい。)
多分この特定健康診査は、国の補助を削減する口実に使われているに過ぎません。
(あなたの自治体は目標を達成できなかったので、補助を減らします。ということ)
このこと自体は別にいいのです。
国にお金がないのだから、それ自体は仕方がない。
私は、基本的に各自治体の最も重要な業務は、法に従った国の事務の執行であると考えています。
「自治体」というものの存在理由は、国に対する権力の分散という程度に過ぎません。
自治体は必然的にその範囲が狭いことから、住民は近視眼的となります。
また、それに選出される首長及び議員の程度も、必然的に著しく低いものとならざるを得ません。
これは政治家は自己の得票機会の最大化を行動原理とせざるを得ない以上、誰であれ不可避的な状況です。
したがって、その自治体が独自性を出すということは、結果として統計的に見れば、多くは愚行を生むのみです。
であるからこそ、自治体は国法の忠実な執行を最大の忍とするべきなのです。
ところが、この「特定健康診査」(すなわち高齢者医療確保法)は、机上の空論という以上の評価が出来ません。
そもそもです。
現在日本で「メタボ」といえば、肥満した人のこととおおよそ認識されています。
その理由は、日本の「メタボ」の認定基準として、腹囲が採用されていることにあるでしょう。
しかし、「metabolism」の意味は「代謝」であり、メタボリックシンドロームは直訳すると「代謝異常症候群」となります。
メタボリックシンドロームとは、世界的通説では「インシュリン耐性」とされています。
つまりインシュリンの代謝異常が「メタボリックシンドローム」の正体であり、腹囲とメタボリックシンドロームを関連付けるのは、日本の学界だけという状態です。
日本での通説では、内臓脂肪(メタボの人は腹囲が大きいので内臓脂肪も多い)が内分泌期間として機能し、そこから分泌されるアディポネクチンガ生活習慣病の原因となるとされているのです。
そこで、保健指導により内臓脂肪を減少させれば、生活習慣病も減少する、というのが国の言い分です。
まず、保健指導に人は来ない。
そして、内臓脂肪が生活習慣病の原因となると考えるのは、日本の学界のみです。
(内臓脂肪も皮下脂肪も、同じく健康に悪影響を及ぼす。)
そもそも生活習慣病の原因は、内蔵脂肪ではない、。 自ら仕事を通して実感したことは、国も馬鹿なことをするのだ、という当たり前の事実の認識でした。
それでも国法を遵守することは大切ですが、難しいはなしです。
結局のところは、この特定健康診査という制度は実施後数年で見直しもしくは廃止が不可避であろうと考えられることから、国の基準どおり単純に、決まりきったことのみを記入して計画を作っている昨今です。

12/10
まず、嫁とディズニーシーに行ってきました。
金曜休暇をとって金土の一泊2日です。
金は一日ディズニーシー。
昔は私はディズニーが嫌いでした。
ウォルトディズニーはファシストだった、ナチス支持者だった、白人優越論者だった。
さらにはディズニーはアメリカ帝国主義の尖兵だと思ってました。
校舎は議論の余地があれ、前者は全く現在のディズニーに無関係。
これらの偏見が先にあるために、ディズニーとは無価値であるという判断が先にあった。
それゆえに、目は何も見ても、ディズニーランドを否定する方向にしか働かない。
だから昔はディズニーランドは(見てはいても)何も見ようとしていませんでした。
対して今回、私の意志は「目に映るものを素直にそのまま見る、価値を受け取る」ことでした。
そこに投入された膨大な資本、来客数、細部への作りこみなどなど。
すごいものだの一言です。
2日目は、いろいろ散歩。
まず東京駅を出て、皇居に行きました。
二重橋前の風景。
ここで回想しました。
そういえば私が地元に帰ったのは丁度4年前。
全てに夢やぶれ、人生の意味を見出しがたく、自殺すらかんがえた期間でした。
帰るその直前に、ここで一人夕日を眺めていました。
「思えばバビロン捕囚の人々も、紀元前8世紀頃に、ユーフラテスの河岸で同じ夕日を見ていたんだ。」
自身を相対化し、自殺するくらいなら死んだつもりで地元で恥をさらして生きようと考えたときでした。
それからほぼ4年。
肩書きはないものの、一応低所についており、将来の希望も見出せ、妻帯しました。
4年間無駄ではなかったな、いい事もあったなと。
妻にこの感動を聞かせつつ、自身も感慨にふけっておりました。

12/5
本日、父親に法科大学院に進学するため退職する予定である旨を伝えた。
(新年度に向け、所属長対象の人事ヒアリングが開始されており、自身は職場に対し来年の方針を伝える必要があった)
おおよその事情を知っていたことはあれ、父は同意してくれた。
無論、自分の稼ぎで生活し妻帯した私に、親としての資格で口を挟むことは出来ないという一般論はある。
しかし、自身の意向に同意してくれた父に感謝したい。
父は(父に代表される両親は)、私のためにどれだけのことをしてくれたか。
そのために彼がどれほどのものをあきらめたかはわからない。
ただ、自身の養育にかかった費用(少なく見積もって2500万)を支弁する為に、どれほどの労働が要されたかは十分に推測できる。
現在の父の年間の収入(退職近し、800万程度)にして、3年分以上。
必要経費(半額と推定)を除けば、6年以上を私のためだけに働いたことになる。
(無論母の収入は父と同等であるが、私には弟もある)
そして、私がどれほど親の期待を裏切ってきたか。
地元の進学校(文科系)は次席で卒業、一浪後東京大学文科一類に入学。
結局のところ方向性を見失い、大学は6年で卒業(意図的に2留している)。
司法試験は、執行猶予の口実であった。
その後の無職を経て、学歴からは考えられない地元市役所に就職。
(就職時に27であり、勤続年数のみで給与を評価する行政組織体においては、年齢のわりに著しく低賃金であるが)
その市役所も4年で離職。
いまだに「青い鳥」を追おうとしている。
客観的には、ただのダメ人間でしかない。
公務員という身分は、賃金は低いが(というもののそれは大企業との比較であり地方企業からみれば安くない)、現行法上はリストラ・大幅な減給の心配もなく安定している。
そして私には、(今は昔と違いやる気はあるものの)司法試験に合格するという保証はなく、さらには弁護士になったところで仕事があるという保証もない。
この身分を棄て、しかも自分とともに生きることを選んでくれた妻に負担をかけることとなる。(たとえ経済的出演を求めることがなくても)
客観的には、合理的な選択肢ではない。
ただ私が青い鳥を追い求める故である。

 なお、本文書は4日に途中まで作成したものを9日に読み返し、加筆している。)
 このときは、アルコールを摂取している。
 さらに「希望と光」「さよなら青い鳥」(フリーのノベルゲーム)をプレイし、涙を流して精神が高揚していた。

普通に生きることがどれだけ大変であり難しいことか。
極当たり前の仕事(ルーチンワークもあれば新規業務もある)をこなし、人間関係などのストレスに耐えて仕事を投げ出さないこと。
あたりまえではあるが、その難しさも私は十分に認識することができた。
私が無能と見下した人(多くは高齢である)が、どれほど勤勉に仕事をしていることか。
単純に代行するだけならば容易だが、それを継続することは出来るか。
そして一定期間以上の継続が伴って初めて、それは任に堪えうると社会的に評価が与えられる。

無論、投げ出せない事情はかれらにもあるだろう。
子どもを抱えている、妻が専業主婦である、ローンが残っているなどなど。
そうであっても、人はそれらを投げ出して逃亡することが可能である。
さらに死を選ぶことも、極めて合理的な選択たりうる。
であっても、それを選ばず、定年退職まで働いていく。
少なくとも、私には出来ないことであった。

12/2
法科大学院合格しました。
まず試験。
一般の大学(学部)入試と同様に、一次試験と二次試験の合計による合否判定。
一次は6月、二次は11月10日でした。
(一次試験の実施主体は日弁連と大学入試センターの2者があり、任意の一方を受験する)
これもセンター試験と同様に、一次試験の特典に応じて2次試験の出願先などを判定する模様。(無論私は金沢大学以外の選択肢なし)
一次では、「分析的判断力を測る問題」との分野で平均を大きく下回る。
分析的とは言うものの、事実上は練習量がものを言うパズル問題。
練習zeroの私はここでは敗北。
ただし、1次試験の他の2問は文書読解(マークシート)と論文なり。
こちらは事前の対策の必要が殆どなさそうな分野で、こちらでは平均点を上回る。
結局のところ、全国平均144点(/300点)程度のところを170点。
かろうじて平均は上回るものの、これが東京大学のロースクールならば足切ライン(180点程度らしい)に到達していない模様。
今回は超低空飛行で必要最低限の努力(というよりしてない)で通過すればよいという感じ。
二次試験は論文+面接+成績書なり。
合否判定は、一次試験100点+論文100点+成績書20点の総合判定らしい。
(面接は合否のみを決定するとのこと、社会不適応等の明白なものを排除する趣旨か?)
合格に際しては、社会人優先枠というものが3割あるとのこと。
根拠はないものの、論文試験なら何とかなるだろうと楽天的観測。
私は成績書はよろしくない、可も混じることである。
そもそも在学中は良い成績を取ることに必要性を認めていなかった。
(成績書の取り寄せでは教養課程と専門課程を一括発行してもらえず、それぞれ別校舎に問い合わせる必要があり面倒だった。)
以上に基いて、試験を受けてくる。
二次試験は2題。
1問目は論文に名を借りた文書読海、サッカーにおけるナショナリズムについて。
2問目は消費貸借契約における利率の法規制の可否について、資料を与えテーマを指定した論述なり。
問題なくかけたと思ったが、あとは発表まちであった。
面接は失敗なり。
自身の考えることの半分も表現できず。
事前の準備を行なった責任であった。
少なくとも、「法曹を志望する理由」程度は、事前にまとめておくべきでした。
これが官庁訪問や企業面接等の選別を目的とした過程ならば、確実に落とされていたと思います。
以上が試験の経緯。
結局のところ、定員40名に対して65名が合格であり、志願者は191名なので倍率は3倍弱。
大学院のための試験勉強は全くのゼロでの超低空飛行。
正直に言えば、去年はたまらなく仕事が嫌で脱出のためのインセンティブが大変大きかったことに対して、今年は職場環境にも恵まれこのまま安逸な環境で公務員を続けることも悪くないと感じてしまっていました。
そして勉強はせず、ひたすらに司馬遼太郎ばかり読んでいた。(無論、読書量は少なくないですが)
そしてその場の流れで試験を受験した運任せ。
実家から通えるというのみの理由で、大学は金沢大学。
端的に言えば、周囲の水準が低いことに救われたと。
無論この学生の水準の低さは大きな問題であり、現に金沢大学のロースクール卒業生の新司法試験合格率は著しく低いです。
入学後は自身との勝負です。
多分、周りは芋だと最後まで思えるほどに努力しなければ、司法試験の合格はおぼつかないでしょう。
とりあえず、まず第一は親との交渉から。
退職について同意を頂かなくてはなりません。
次は会社に正式に退職する旨を連絡する必要があります。
12月10日にボーナス支給があれば即退職と行きたい所ですが、今の私にそこまでの行為に出るインセンティブはありません。
私自身組織に所属している以上、人が一人足りなくなることによりどれだけ他に迷惑がかかるかという要素は無視できません。
それに今の職場の人は好きです。
とりあえず、3年間大学に通い、すぐに司法試験に合格したらという過程で必要経費をシミュレート。
学費入学金で270万、通学費用(JR定期券+金沢での駐車量借料)で60万。
書籍等は年間10万と仮定して30万。
これで学校関連で360万。
自身の現金預金は退職予定時には500万程度になる見込みなので、車の維持費等を加えても、3年間は問題ないでしょう。
注目すべきは、就学期間中の医療保険と年金保険料。
これらは妻の扶養と言う形式を取ることにより、完全に免除されます。
現行法上結婚には法的な優遇が設けられているようであります。
そして、妻に支給される扶養手当と配偶者控除による減税分を3年間合計すれば、70万程度。
ありがたいことです。
ただ、なぜか公務員は失業保険が給付されないそうです。
掛け金を支払っていないので当然ですが、なぜそういう制度になっているのか。
(自分のための計算ですが非常に詳しく書いてしまった)
以上、試験と金銭のことのみでした。
希望ですが、「シューティングゲームが好きな弁護士」になりたいと思います。
憑かれてきたので、動機等はまた次回に。

6/24
日記もこれほど間隔が開くと、記録するべきことが多すぎて迷いますにょ。
まず、2月24日に結婚しました。
会社は10日間の休みを取って、土日を入れると16連休と素敵。
その間に式が終わって、新婚旅行はローマからパリまで。
挙式はキリスト教式が嫌なので、神式にしました。
賛美歌を歌うなんて耐えられません。
それにイエスはきっと無心論者だったに違いない、復活信仰と贖罪信仰はイエスとは無関係に違いない、なんて風に信じている私です。
多分イエスの言う「父」というものは、この世のありようそのもののこと。
大日如来とか、真如とか、そういった無人格神のように、世界や宇宙そのもののありようのことなんだと、私は考えるに到っております。
むろん、こんな話しを嫁にしてもわかってもらえないので、「なんとなくキリスト教は嫌」という風に弁解しておきました。
というものの、別に私は「神道」というものの信者でもなく、さらに言えば「神道」そのものに実態があるわけでも無し。

神道=実体が無い=思想として低級、という単純な図式は成立し得ない。
むしろ、正典の成立と教義の確定は、思想的低迷を生み出すことが歴史的には多い。

ただ、この神前結婚という形式自体、明治天皇の時にキリスト教式を模倣して作られたものだそうです。
確かに私のときも、挙式中に指輪交換があったり、「神の御心によって結ばれし」という祝詞があったりと、そんな事情はよくわかります。
以上取りとめもないことを書き綴りましたが、めでたいことでした。
そして旅行は、関西空港から、アムステルダム経由で、ローマ、フィレンツェ、シエナ、ピサ、ミラノ、パリでした。
式の費用は30万ほど、旅行は諸費用込みで一人50万弱、指輪が7万ほど。
指輪は結婚指輪のみ作ってそれぞれ7万ほどでした。
プラチナの簡素なもののみで、宝石入りの婚約指輪は購入しません。
(自分はチタンの指輪・・2万ほどで完全つやなし・・に惹かれましたが、さすがに妻が同意せず)
とりあえず、無駄にお金をかけることは良くないと考えている妻には感謝するべきですにょ。
新婚旅行は写真もたくさんあるので後日記録を作りたいと思いますが、果たしてそんなことは可能なのか。
書きたいことがいろいろあったのに、これだけで終わってしまいました。
最後に現状は、本日ロースクールの適性試験を金沢大学で受けてきました。
問題なく普通に書いてきたのですが、出来は不明です。
正直なところ、現在の安逸な生活に流されて、試験勉強をしてなかったので良い成績がくるとも思えず。
大学院は一年延びそうな予感です。
それと、仕事が今ちょっとばかり忙しくなってしまいました。
地方紙には報道あったのですが、勤務先の部署で健康診断受信票に誤った情報を記載して発送、という素敵な事故があって、本来業務と違うことで仕事が増えました。
直接的な原因は、管理システムを製作したインテックの作業に瑕疵があったことなのですが、
発送前に全くチェックをしなかった行政の側にも問題がないわけではなし。
(過去の受信票と出力した最新受信票の照合を怠った)
最近のニュースでも、広く全国区では東京都の宛名ミスとか、酷くは社会保険庁の年金番号とか。
トラブルは事欠かず。
私に比べたら、社会保険庁の方はきっと大変だろうなとお察しするのみです。
結局年金を食い物に箱物を作り続けてきたのは政治であって、その政治が責任回避に行政のクビを切ってごまかそうとしているだけだし。
世の中矛盾ばっかりですが、そういった中でしばらく勉強する気力を失っていた私は、ゲームを除けば司馬良太郎ばかり読んでました。
まず、「竜馬が行く」(幕末の尊皇攘夷の中での竜馬の国民国家や憲法思想)全8巻を2回。
「菜の花の沖」(封建社会における物流経済の発展と対ロシア外交)全6巻
「燃えよ剣」(新撰組で土方という人間以外はあんまり得るものがない)上下
「新撰組血風録」(ただの趣味で得るもの少なし)
「11番目の士志」(小説で得るもの少なし)
「最後の将軍」(徳川慶喜のはなしで、竜馬死後の日本史がよく分かる)2回
「この国のかたち」(まだ途中で3巻までは2回読んだ)
えっと、私は意味ある本は少なくとも2度読むようにしてます。
まずは中身を記憶し、次に事象の意味を考え、それを現代に適用してその評価を行なうことが、私にとっての読書という作業の意味です。
というところで、今の仕事も珍しくやるきを感じてみたり、司法試験の勉強を怠ったりで、方向性を見失っていた私は、久々に古典文学に手をつけることにしました。
バニヤンの「天路歴程」
私は自身の道を見つけることが出来るでしょうか。

2/6
メガマック食べる。
ひどい胸焼けで後悔の嵐。
悪い意味で予想を裏切られました。
残業帰りにたべるものでない。
「竜馬が行く」を一回読んで2度目に入ったので、記憶定着のためにメモを残そうと思いました。
竜馬データーのために、女もすなるブログなるものをしてみたいとこですが、今はわからずこのままで。
・源爺ちゃん
坂本家の従僕
・乙女
坂本家三女、5尺8寸(1尺=10寸=30.3cm、175cmほどか)、19貫(71.25kg)
・竜馬
天保6年(1836年生まれ)、楠山庄助塾にかようも落ちこぼれる、小栗一刀流の日根野弁冶に師事、坂本家は高知市だろう(土佐藩の城下町)
・坂本八平
竜馬の父
・坂本権平
竜馬の兄
・春猪(はるい)
権平の娘
・千葉道場
千葉周作、北辰一刀流の道場「玄武館」、令弟の千葉貞吉道場に竜馬入門
・三大道場
京橋アサリ河岸の桃井春蔵「錬兵館」鏡心明智流、京橋桶町の斉藤弥九朗「士学館」神道無念流
・福岡宮内
竜馬の主家(坂本家はその預かり郷士)
・お田鶴さま
福岡宮内の娘
・四国山脈
四国の中央を東西に走る山脈、1000m強
・武市半平太
桃井道場塾頭(鏡心明智流、国許では一刀流の皆伝)、竜馬の6つ上br> ・切紙
切紙、免許、皆伝の順で進む修行の位階のようなもの
・貫
重量の単位、貫=1000匁=3.75kg
・七蔵
鳴門丸の舵取りにして、竜馬の船の師
・播磨灘・鳴門海峡
徳島高知と淡路島の間
・岡田以蔵
大阪で竜馬に切りかかる、女郎屋に入り浸り
・寝待(ねまち)のとうべい(ねざむらいでない)泥棒
寺田屋
伏見の船宿、大阪と今日とは淀川で結ばれていた ・千葉重太郎
千葉貞吉の長男
・千葉さな子
重太郎の妹
・黒船
1853年
・山田は知恵門、もりもとさんぞう、やまうちしもうさ
黒船来航時の土佐藩下屋敷の重役、無能
・弘瀬伝八郎
黒船時の上士のリーダー、北条流軍学の師範、首実験の作法を教えた。
・首実検
首実検(くびじっけん)とは前近代、配下の武士が戦場で落とした首が、誰の首であるかを大将が判定し、論功賞の重要な判定材料とするために行われた作業。
・冴
毘沙門堂門跡家来、山崎右近の娘。
・信夫左馬之介
山崎右近を切る、無眼流
・渡辺剛蔵
京都奉行所与力
・島村衛吉
黒船時土佐藩の剣術師範、軽格、鏡心明知流
・益田越中
長州藩家老、竜魔の二つ上
・桂小五郎
錬兵館神道無念流塾頭、長州、吉田松陰に師事、洋式砲術、測量術学ぶ、山田八衛門の命で長州陣視察に出た竜馬と交流

2/4
直前の女神転生に追加。
ふたり旅の記録の補足。
ウィルオウィスプの能力は、(デスタッチ、デスカウンター火炎・氷結・衝撃・電撃反射、破魔・精神無効)
デスカウンターはただの浪漫魔法
物理反射の方が効果的なんですが、強すぎるのもどうかと思って。
攻撃力を除けば相当強いんですが、弱点が魔力と神経。
もともとのウィルオウィスプの防御属性が(物理に強い、魔法全般に弱い)。
魔力と神経までは、スキルでカバーすることができませんでした。
このウィルオウィスプの役割は、敵のターンを終わらせること。
及び、「次に送る」コマンドで、主人公「だいじろう」の行動回数を二回にすること。
全体攻撃系の魔法がくれば、それでもう反射して敵ターンの終了効果は大きいです。
ついでに、こちらのターンでは「気合、物理攻撃」が可能。
バアルアバター戦で魔力属性のバエルの呪いでハエにされることと、
カグツチの無辺無尽光に絶えられないこと以外は全般で役立ちました。
クリアレベルは70ほど。(主人公は102ぐらいだと思う)
主人公のスキルで重要と思われたのは(あくまで単独で戦うこととして)
物理攻撃2.5倍の「気合」と防御力アップの「ラクカジャ」。
雑魚戦での「デスバウンド」、回復用の「ディアラハン」、電撃の「ショックウェーブ」。
敵攻撃力を下げる「雄たけび」とこんなところ。
実は北海道旅行ゲーム「風雨来記」をやりたいんですが、なかなかメガテンから離れられません。
閑話休題。
いざ結婚しようと思うと、なかなかやることが多く面倒ということが判明。
まず、いわゆる結婚準備の本を読んでみると・・・・。
1年前には式場の予約、新婚旅行の予約、式の招待者には3ヶ月前に連絡、
(新生活費を除いて)挙式費用は300万以上・・・・
などなど。
まず、時間がない。
とりあえず結婚することを決めたのが今年の初めで挙式は2月末を予定。
この時点で既に、関係者に通知の期間を(書籍によれば)過ぎています。
次にお金。
上記費用なら出せないわけではないのですが、それはロースクールの学費等の予定です。
(幸いこの点だけは嫁と合意が成立しておりまして、ありがたいことです)
そして披露宴はやりたくない。
なんだかんだで、ゼクシイなんか読んでると頭が痛くなってきます。
(この本をコンビニで買うのは、エロ本以上に恥ずかしいものがありました)
読むこと事態が憂鬱で、これでは婚姻の準備段階で関係が破綻することが懸念される事態です。
世の中の人はよくこんな煩雑な手続きをこなしているものだと、信じ難い気分でした。
まずやることが多すぎ、次に金がかかりすぎます。
冷静に考えれば、これらの書籍は結婚関連産業の業界の意図の下に刊行されております。
彼らや利益を上げることが当然の目的であり、その意図の下に当然こういった書籍は、
大量の経費をかけさせるよう仕向けられているものでしょう。
だから結婚準備本などというものは読まないことに決めました。
とりあえず思いつくのは、挙式と旅行と戸籍関係の手続きぐらい。
それらの仔細などをまた後日。

2/1
最近やったこと。
・真女神転生3
ひたすらです。
3週して、3週目はウィルオウィスプとのふたり旅クリアでした。
ウィルオウィスプ(デスタッチ、火炎・氷結・衝撃・電撃反射、破魔・精神無効)
苦戦したのが、肉弾攻撃主体のキンキ、そしてオベリスクの3姉妹に、バアルアバター、最後のカグツチでした。
キンキはラクンダで守備力を落としてくるのがつらかったです。
主人公はデクンダ(能力低下魔法解除)を覚えないし、アイテムでも代用できないし。
結局、デカジャで敵のタルカジャを無効化してようやく倒す。
3姉妹は、火炎・氷結・電撃無効を覚えて衝撃はマガタマで無効化すればなんとか。
最大の敵はバアルアバター
結局のところ、オセ・ハレルが龍の眼光を5回ほど連続して使用しないという幸運に恵まれ、
気合、殴るの連続で運良く撃破。
ここはフラロウス・ハレルがハッソウハッパ(彩京クラスの物理全体攻撃)を使ってくるので、
どうしても物理に強いマガタマの装備が必要になります。
バアルアバターのマハンマオン(破魔即死全体魔法)と、バエルの呪い(魔力属性のハエ化攻撃)
を回避するためには、破魔無効と魔力無効が必須。
最後の決め手は、あと一撃で死ぬという際に、衝撃吸収でオセハレルのマハザンダインを
吸収して助かったことが2度会ったこと。
逆に失敗は、浪漫能力であるデスカウンター(物理ダメージを受けた際に5割の確率で
3倍程度のダメージ返し)を棄てられなかったこと。
あろうことか、代わりに雄たけび棄ててました。
そして最後のカグツチは、無辺無尽光がラクカジャマックスでも最大860ダメージほど。
(雄たけびを棄てていたのが惜しい)
ところがこのゲーム、レベルが99で体力が40でもHPは820程度です。
それゆえに、3分の活泉が最後に必要となりました。
どのスキルをいつ覚え、いつ棄てるか。
この判断が一番難しいところでした。
そして現在、友人にマニアクスを借りて続きにいたる。
現在浅草でホワイトライダーと戦ったいるところです。
そのた、結婚することになりましたが、詳細はまた。

7/10
勝手に私信です。
>PPPさま
あの、私自身も長い無明の道を歩んだ経験の持ち主です。
恐らくですが、現在のPPPさんと同じことを考え、そして更なる先に(ご想像にお任せしますにょ)進んだ記憶があります。
ですので、PPPさんにはとても共感とは言わないかもしれませんが、共鳴というか、自身に近いものを感じます。
もしよろしければですが、メールでも頂けると幸いです。
(inu40@infoseek.jpです)
無論、PPPさんにその気があれば、で結構ですよ。
ちょっとだけ年寄りの戯言と思って聞き流してやってください。
端的に申して、私は旧の司法試験の亡霊です。
いろいろなことが嫌になり、欝だ氏のうという感じでした。
大学そのものが嫌で、それに法律も嫌でした。
興味があったのは、自然科学(基礎科学)に、宗教思想とか神話学とか。
無論独学ですが、一番勉強したのは私は神話学、神秘主義思想だと断言できると思います。
もちろん、法律を含めて。
シューティングを含めたゲームをやっていたのも、こういった文脈の中でした。
それでいろいろあって、地元に帰ろうと思ったんです。
私もPPPさんと同じく、就職活動というのはやったことがありません。
たまたま、実家の近くの自治体のHPを見ていると、採用試験の申請に間に合うことが判明しました。
一度自殺した気になって、市役所にでも勤務するかなと、そんな気分になったんです。
試験勉強はゼロでしたが、公務員試験はほんのりとかすかに法律のにほいがします。
そして私は自らは思いもしなかったことですが、地方公務員になってしまいました。
何であれ、働くのは良かったと思ってます。
いい事も悪いことも、信じ難いほど馬鹿な職場の人間も多数いれば、親切で勤勉で優秀な方もいました。
良識ある市民もいれば(サイレントマジョリティーです)、教育水準の低いDQNな市民も接触できました。
(後者は極少数派ですが、暴れるので必然的に目立ちます)
自分のものの見方や価値観も、少しずつ変化することを感じました。
多分、現実を直視せざるを得なくなる、ということなのでしょう。
PPPさんは経済学部ですか?
一応ミクロとマクロは単位を持っていて、あの使えない「スティグリッツ経済学」の教科書を(購入して)読みましたよ。
私はあまり経済学には興味を覚えられませんでした。
(でもゲーム理論は、ドーキンスの「利己的な遺伝子」の中の用例でその発想の偉大さに感服しましたYO!)
多分、お金というものが嫌いだったからだと思います。
実際も現実も知らないのに、営利行為というものを唾棄していた記憶があります。
転換の契機は、ありふれすぎたはなしですが、簿記の勉強からだったと思います。
簿記という学問自体は、少なくとも検定試験レベルでは、私が慣れ親しんだ規範の学問ではなく、単なる技術論です。
資産とか費用とか、そういった技術を知るにつれ、意図せずしてコストを意識するようになって来ました。
そして簿記2級の工業簿記とか原価計算というのは、実に斬新な発想でした。
また損益計算書、貸借対象を作成する過程では、商法(今は会社法)の条文の意味が、文字通り計算のルールとして身近に理解できました。
商法が自然に身近に感じられる良い契機でした。
すいません、別にPPPさんに簿記を薦めたいわけではないんです。
人間、自然とかわっていくものだし、現実を見るのは良いことだと思うという、ただそれだけのことです。
一回就職してしまっても、本人にやる気があれば、いくらでも挽回は効くと信じてますよ、私は。
いつか機会があれば、酒席でもともにできれば幸いです。
シューティングの経験だって、個別のゲームのパターンに意味はなくとも、思い出として、そして比較の基軸として、今後の宝だと思いますよ。
この意味でやっぱり、規範の学問は欠かせないんだと信じてます。
経済学とか、法哲学とか、憲法ってこの次元で生きてくる学問ですよ。
人間は、手先の技術としての学識と、意味の認識判断の基軸となる学識の、両者が欠かせないものだと思います。
PPPさんは少なくとも私よりは若いでしょうし、まだまだこれから。

7/2
 ・検定試験のはなし。
本日、ビジネス実務法務検定を受ける。
高岡商工会議所にて、2・3級を同時受験。
TACの回答速報による自己採点の結果、3級94点、2級83点で合格の模様。
とりあえず、一安心。
この試験の特色は、出題範囲の広いことでした。
いわゆる六法の憲・民・刑・商・民訴・刑訴に加え(正確には刑訴は範囲外)に加え、
破産関係・知的財産権・独占禁止法関係・消費者契約関係・労働関係などなど。
無論記述式ではなく択一式で、さほど細かいところまでは出ないのですが、触れたことのない分野がほとんど。

この試験の実施主体は東京商工会議所で、出題は公式テキストに準拠し、その出版も東京商工会議所。
自分で試験と問題と答えを作るという、極めて優れたビジネスモデルです。
いささかの、批判を込めて。
準備期間はあまり長くありませんでしたが、見識が大きく広がる良い機会でした。
公式テキストは(試験用としてはまとまりもないですが)非常に面白く、値段の高さを考えても、悪くない一冊。
知的財産権というものの基本概念とか、具体的な破産や強制執行手続きとか、非常にためになりました。
3級は公式テキスト3回読んでじっくり記憶に定着させて、肝心の2級は準備不足のまま。
目的は試験に受かるというよりも、試験を契機としてその範囲の知識を習得理解することですので、
もう一度2級範囲は勉強した方がよさそうです。
今度1級も受験することにして、その際にじっくり復習します。
それにしても、最近商法が大幅に変わったのが痛かったです。
新会社法は、この2級テキストで軽く流しただけだし。
そういえば今度は、再び行政書士試験を受験予定。
こちらに備えて、学習は怠らず。
実のところしばらく、税理士試験の勉強してました。
無論対象は一科目のみで「簿記論」。
TACの通信講座申し込んで、結局挫折でした。
妙に仕事が忙しくなった時期で、それが嫌でゲームに逃げて、シレンとドラクエと女神転生3と。
この間3ヶ月あまり殆ど勉強せず。
弱い自分を認識させられました。
そもそも、司法試験に比べれば比較になりませんが、税理士試験だって簡単ではなし。
なめた私が悪かったです。
今後の商売のためにも、簿記1級の勉強してたほうが良かったと、心底思ってます。
 ・仕事のはなし。
現在の仕事は職務の性質に加え、職場の人間関係もあって、非常に嫌気がさしています。
私の部署はいわゆる経営部門で客観的には中枢あたりですが、公務員でという名の下に、
積極的に公共の利益に反する事務ばかりを遂行しております。
外部に対する嘘とまでは行かないまでも、欺瞞的表現の連続。
仕事というものは、自身の滅却を伴うからこそ、対価として報酬が得られるものなのか。
ただ、最近は人間の観察が面白いです。
先の4月8日の日記の言及にあった、外国人の人権のはなしで登場した部長です。
昨今私は就職以来初めて自身の知識を役立てる機会に恵まれました。
さほどたいした案件ではありませんが、善管注意義務と債務不履行責任について。
課長も係長もわかってないので、私が直接部長室に呼ばれてレクチャーしてきました。
使う条文は二つか三つしかない民法のはなしで、まあ客観的に言えば(少なくとも行政職の責任ある立場の人間なら)、
知らないことは大いに問題のあることかもしれません。
しかしよくよく考えれば、部下に正確な知識を持ち合わせる人間さえいれば、
あとは自分で理解していなくてもその部下を使いこなすことさえできれば、管理責任者たる職責は十分に遂行可能であるということです。
人間を見極め、なだめすかして懐柔し、その能力を発揮させること。
これこそが人の上に立つ人物に求められることなのかもしれないと、そこはかとなく感じました。
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」によれば、劉邦はただの馬鹿で荒淫な親父だったが、器量だけはとてつもなく大きかったと。
無論劉邦ほどではないでしょうが、やはり部長に昇進する人物というのは、優れた人間なのだと素直に思いました。
こういう観察ができるのは、やはり大きな職場に勤務していればこその恩恵かも知れません。
 ・これからのはなし。
現在の仕事は絶望的に希望をもてません。
自身の意思決定として、ロースクール進学を決意しました。
時期は再来年春から。
退職時期はできれば来年10月としたいですが、場合によっては明日からかも。
本当は来年から行きたかったのですが、辞めることを考えた時期には既に受験申し込み期限が過ぎてました。
進学先は、金沢大学の法科大学院
できれば関東に行きたいのですが、いい加減に結婚したいと思ってます。
最初から妻と長く離れるのも、よろしくないかと。
(無論、結婚の予定が無に帰す可能性も十分にあり)
自身の資産と進学期間の学費・国民健康保険税・国民年金等の経費を比較し、現時点で退職しても何とか問題がないことは判明しました。
大学のころしっかり勉強しておくべきだったとは思います。
ただあのころは、生きることそのものが嫌だったり・・・・・
それに商法がわからなかったというよりも、解ること自体を拒絶していました。
営利追求という観念が、当時の私は許せなかったように思います。
本当に世の中を知らなかった。
半分ニートだった私。
司法試験なんて、執行猶予の口実だったなと。
人間やはり、早いうちに社会に出るべきでした。
法哲学とか、(個人的にはとても大切だと思ってますが)くだらない学問をやりすぎました。
こんな私が、真剣に独立を考えているなんて、人間かわるものです。
学生時代とは弁護士も試験制度が大きく変わって、司法試験からロースクールに。
これからは弁護士は、町医者のような存在にならないといけないだろうなと。
そして私もそのようになるつもりです。
人間えらぶっていては腐るだけ。
35までには開業できるように、頑張りましょう。
今年ロースクールを受けられないことばかりはどうにもなりませんが、できれば大学院入学以後は知識の習得の必要がないように、
今のうちにできるだけ詰め込んでおけますように。
商売としては絶対的に法人を顧客とする必要があるので、そのためには会計と税務の知識が通常の法律以外に不可欠だと思ってます。
そして最終的には、「犬福」の権利を買い取って、犬福法律事務所を開設の予定。

4/8
最近のお仕事。
私、公務員を勤めております。
何年かやってみていろいろ感じました。
よいこともあり、わるいこともあり。
いわゆる基礎自治体の市役所、広報・公聴部門に勤務です。
もっとも残念だと思うことをひとつ。
それは、個々の職員が往々にして自身の職務や行為の意味を理解していない場合が多い、ということです。
(地方の場合)公務員は地方自治法、地方公務員法、等の制約を受けており、それらの授権規範としての最高位に憲法が存在しています。
そして個々の職種、例えば戸籍窓口なら戸籍法や住民基本台帳方などにしたがって、日々の職務をこなしてゆくこととなります。
私が感じる最大の問題点は、各職員が自身の身分および職務の根本規範である法規を理解していることがほとんどない、ということです。
上のもっともわかりやすい例で言えば、戸籍課職員が戸籍法に目を通したことがないとかそんなレベル。
職務に密接に関わる法規すら理解していないのですから、根本法である憲法にいたっては発想にすらありません。
まだ窓口職員ならわからないでもありません。

恐るべきとも、当然とも人によって理解は様々でしょうが、
たかが市役所ですら、内部にエリートとか、序列といったものが存在します。
ある程度みこまれた人物は、窓口には登場しない人事が為されます。
そして、基準は不鮮明ですが、評価があまり高くない人物が窓口に現れます。
恐らく、全国の自治体にほぼ共通でしょう。
そして管理部門の人間はプライドが高く、窓口職員などを侮蔑する心情を持っていることも少なくありません。
先ごろ恐るべき体験がありました。
私は入社して日も浅いですが、職種がらから、首長・筆頭部長・企画関係課長らと同列に並ぶことがあります。
(住民集会など、いわゆる政治家の政治活動です)
この際に、「外国人の参政権」という問題が参加者から提起されました。
首長を初め、誰一人解らない模様。
愕然として、あきれ果てました。
憲法の初歩の議論であり(つまり大学2年生あたりで知ってること)、有名な判例も多数あります。
この論点は別に一般人が理解している必要はないです。
が、仮にも自治体行政の中枢の政策決定権のある人間ならば、知らないでは許されない問題です。
一般の職員にはじまって幹部職員まで、視野が狭すぎます。
常に法規、そして憲法に立ち返って考えるという、基礎の思考法(少なくとも行政においては)がないんです。
人権とはなんであるか、地方自治とはなんであるか、国家とは・・・
こういったことを考えてない。
つまるところ、個々の職員は上司の顔色を伺うのみ。
そして課長係長クラスになれば、昇進のために部長などのご機嫌取り。
個々人が憲法的視点で、自身の職務の意味を考える。
これこそが私は行政においてもっとも大切なことだと思います。
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以上は批判的な見方ですが、良い点もいろいろとありました。
まず、市役所にも有能な人物はしっかり存在するということ。
一般論として、日本では人材は行政ならば、国、県、市町村の順で流れます。
素直に尊敬のできる優れた方は、私の職場にもしっかりいらっしゃいました。
これは別に、行政に限ったことではないでしょう。
どんなにおかしな企業にでも、何人かは優秀な人材がいるはずで、あらゆる組織はこういった人材の活躍によって維持されているものです。
仕事の有能無能は、学歴と直接的には関係しないはずです。
いわゆる学歴って、平均値に関わるものなのでしょう。
例えば学歴が高い人なら、相応の教養を持ち合わせている可能性が高く、低ければその逆であると。
この意味では、市役所の平均は残念ながらかなり低いです・・・・・。
次に、行政は部外者が考えるよりも適正に運営されているということ。
例として、私は苦情の受付などもやりますが、苦情のもみ消しはシステム的に不可能です。
メールは着信の履歴が残るし、電話なら必ず誰か聞いてるし。
それ以上に、いわゆる公務員の無責任体質の一環なのかもしれませんが、
面倒な案件は必ず上役に報告し、自身から責任を切り離すのが気分的に楽です。
また、中間管理職の上役へのご機嫌取りは、部下に対する適正な事務処理の必要以上の強要をもたらします。
そして幹部職員は、政治家(首長)にゴマをする必要があります。
首長は政治家ですから、当然自身の得票の最大化が行動原理であり、そのために住民への適切な対応を幹部職員に命じます。
したがって、結果としては現行システムの責任回避と上役へのおべっか使いが、表面的には憲法的に正しい行為をもたらすことが往々にしてあります。
むしろ憲法と地方自治というシステムそのものが、上記の過程をあらかじめ予定して内包しているというのが適正な評価なのでしょう。
そして地方自治体には、政治家に加えて憲法の予定した監査機能である地方議会がついております。
中間管理職は自身の働きを幹部に示し昇進を得るためにも、議会には細心の対応を心がけます。
議会の質問に答えるためには、日々の職務に過失があってはなりません。
そのしわ寄せは部下に回りますが、これもまた適正な行政運営を保障するものです。
無論、地方議会議員の程度の低さは周知の事実でしょう。
(正確には、有能な方も確かにいらっしゃるが、程度が低い割合が高い、との意)
議員の資質に関わらず、議会は憲法の意図どおりチェック機関としてしっかり機能してます。
とりあえずこんなところ。
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私個人は、めどがついたら仕事をやめようと思ってます。
結局、公務員は勤続年数でしか人を評価しません。
給料も私は就職年齢が高かったので著しく低いし、
昇進は勤続年数のみに基くとして、私の年齢では課長補佐程度までしか上がりません。
給与明細を見るにつけ、止めなさいという国の意向がひしひしと伝わってきます。

最近のゲーム事情
1999ChristmasEve
しばらく熱中してました。
かまいたちの夜のファンの方が作られたというノベルゲームです。
シナリオが8章に分かれているのが特色。
なんとなく、ひとつのシナリオが分割されているのは違和感があります。
客観的に考えると、長いシナリオのゲームの単純化のための手法なのかもしれません。
序盤の選択肢で終盤で分岐されると、分岐の原因の特定が極めて困難になるので、
ひとつのシナリオを細分化するのも有効なのかもと思った次第です。
夜中に19インチモニターのフルスクリーンでやると、ちょっとばかり気味が悪くてナイスでした。
・東方妖々夢
インストールから数年たってようやく開始しました。
とりあえず、ノーマルでクリアを目指してる途中。
あと魔女のミサイルタイプだけが未クリア。
このゲームをやっていて、ひとつ気がつきました。
シューティングで敵キャラを人間(型)とした場合の不具合です。
人間=小さい=ショットがあたらない。
特に相手がボスキャラで耐久力が高く、自機がホーミングのない正面ショットのみの場合。
妖々夢では親切なことに、ボスキャラがある程度自機のX座標をホーミングして正面に位置してくれるのですが、
それでもやはり、少々の理不尽感がついてまわります。
特に敵弾幕に自機狙い属性がある場合、ゆっくり画面下を一方向に動き続けるとボスにショットが当たらない。
(つまり、魔女・・・魔理沙?のこと)
だから、エスプレイドでマダムガラは小林幸子のように巨大な羽を生やす必要があったんですね。
妖々夢でも、ラスボスは扇みたいなのを背負ってるし。
ケイブとか東亜プランがズンドコメカをボスに据える必要性は、ここにあったのかもと思いました。
ついでに
2、3月と、一月あまりシレン廃人になっていた成果です。
運がよかった。
身かわしの盾彩京。

12/1
望まずながら、政治活動に従事せざるをえず、近日大変忙しいです。
政治家は権力を追及し、その目的の元に行動を決定します。
心情的には大変に腹立たしいです。
ただ、一個人が権力を追求する過程で、公益が実現される場合があります。
個々の住民の参画意識であり、発言の機会を与えられることであります。
民主主義とはこの過程であり、日本国憲法はこの視点の下に政治家の権力追及を消極的に許容しています。
私個人の心情を離れ、大局的憲法的な判断を冷静に下すべきなのでしょう。
理屈は了解できますが、心情がそれを容易に許してくれません。
なぜあんな奴のためにこんなに忙しいのだ、と。
簿記2級は合格しておりました。
難しかったような気がして自信がありませんでしたが、それでも何とか。
対照的に、行政書士試験はダメでした。
正確には、試験日を間違えて受験できませんでした。
10月23日の試験を10月30日と信じ込み・・・・
手帳に間違った予定が書いてあるのだから救済の予知もありません。
それでも、しばらく離れていた法律の復習になったし、それまでは触れた事のない戸籍法も学ぶことができたし。
悪くない機会だったのでしょう。
とりあえず来年もう一度受験します。
最近は勉強の主体が会計ばかりなので、法律がおろそかになりがちです。
リハビリテーションの意味で、行政書士や法学検定・ビジネス法務を受検の予定。

7/18
施設利用の申し込みの必要が仕事で生じました。
予約はネットで可能ですが、そのためにはパスワードが必要とされます。
直前にパスワードを失念し、当該施設に出向いて再度パスを設定しなおしてきた次第。
今度は忘れないようにと思い、ご丁寧にパスワードを登録利用IDカードに、付箋に書いて貼り付けておきました。
そのことを覚えていたので、安心して施設予約にかかります。
いざ、パスの入力画面となり、カードを取り出してパスを確認します。

そこにあったものは、上の写真。
これを観て、パスワードが文字通り「いつもの」だと思ってしまった自分は以って瞑すべし。

7/10
忙しいのは良いとして、その際にゲームを進める気力が失せてくるのが悲しいです。
この場合の対象は直接的にはレイフォースですが、ちょっと手をつけたドラクエ3などもアリアハンから出るところで休眠。
結局、サターンで再び「古式降霊術、百物語」をもう一度やっている始末。
このゲームの良いところは、寝ながらでもボタンを押すだけではなしが進むところです。
本日、床屋に行きました。
理容師さんに、もみ上げをどうするか聞かれます。
私がいつも難しいと思うのは、髪型をどうして欲しいかを伝達すること。
直接的には、その状態を叙述する語彙を持たないことによる困難です。
「普通にしてください」の普通とは一体なんであるのか。
しかし根本的な問題は別にあります。
語彙がないとはいうことは、端的に概念そのものの不存在を意味します。
私は髪型をどうして欲しいかを伝えることができないのではなく、髪型にどのような状態があるのかを認識していない。
残念なことです。
香水の調剤に当たる方は、においを形容する語彙(しかも各臭気を指示する語と物理的なにおいは一対一対応しているらしい)を、200以上持つと聞いたことがあります。
対する私は、あんなにおい、こんなにおい、くさいにおいなど。
せいぜい、類似するにおいを例示することまでしかできません。
特定の臭気を分類し、区分する語彙を持たないということは、その臭気を私は認識できないことと同義です。
世の中、わからないことだらけ。
ふとした契機で、行政書士試験を受けようかと思った昨今。
教養と法律(択一・短答のみ)なので、大学時代だったら普通に受かってたろうなと、ちょっと残念に感じます。
過去問を見てみれば、わずか100個程度の憲法の条文を忘れている自分を発見。 覚えなおすしかないですにょ。
工業簿記は、原価計算の最後のあたり。
1級受験はまにあわなそうなので、何とか次は2級は受かりたいところです。
忙しさにかまけて、自室で勉強する気力が起こらないのが自分の弱さ。

6/22
簿記3級は無事合格してました。
現在、2級範囲は商業簿記を終了し、工業簿記に取り掛かったところです。
最近は、身近に公認会計士の勉強をしていたという人物が知人の中に発見されたので、解らないところは教えてもらえてスムーズです。
本日、web上の文書作成において、「htmlスタイルシート」と「CSS(それともCCS?)スタイルシート」なるものを学習。
当サイトも後者で統一的にデザイン管理ができればいいと思いますが、既存の文書を変換していくのはすごく大変。
もし何かの機会にビジネスでwebサイトを立ち上げる必要に迫られたら、そのときは最初からそれで作ります。

6/19
電車男みてきました。
なかなかよい映画でして、その感想を。
自分ひとりではまず見に行くことはなかったであろうので、誘ってくださった方に感謝を。
最初に、総評として。
観た人が幸せになることができそうな、いい映画でした。
その感覚は、アメリを見終わったあとと同質のようです。
事前に、「電車男」についての知識はほぼゼロでした。
話題らしいことは知っていましたが、私は、「シューティング雑談」とかゲーム関係スレッドしか読んでません。
私が把握した限りのストーリーは以下。
電車男が、秋葉帰りの電車の中で、酔漢に絡まれる中谷美紀さんを救出した。
電車男は中田にさんに、お礼にエルメスのカップをもらう。
その事情を匿名掲示板に報告した電車男に、多数の名無しさんがアドヴァイスをくれる。
その助言に従い、電車男は中谷さんをデートに誘う。
電車男は匿名掲示板の助言に従い、自分を磨き、中谷さんとの環境の相違による軋轢を克服。
最後のトラブルを乗り越え、二人は口付けをかわし、交際を約束して(秋葉のトレーダー前)ハッピーエンド。
以上、映画のあらすじでした。
無論、あらを探せばきりがないとは思います。
偏見に基くオタク描写とか。
しゃべるとどもる、女性と話せない、部屋はフィギュアとアニメポスターでいっぱい、
こける(友人によると、ヲタクには平衡感覚が欠如しているという意味らしい)・・・・・
しかし、ディテールにちりばめられたネタもまた、自分は素直に楽しめるものでした。
電車男の部屋のモリガンらしきフィギュアとか、その他いろいろ。
(5フレームぐらいだったけど、「やい、おまい、ティムポの先は乾いているか?」というのが一番ヒットでした)
それにロケーションがよかったと思います。
舞台は秋葉が大半。
一目見てどこか解ってしまう自分が痛かったです。
それと、デートの待ち合わせ場所が御茶ノ水カザルスホール前。
そういえば、自分も昔デートでカザルスホール前で待ち合わせたことがあったなあと、ちょっと回想もあったり。
個人的事情でしょうが、思い出が詰まった土地でいっぱいで、紀行としてもよかったかも。
以下は具体的な内容です。
全てに自信のない電車男は事あるごとに掲示板に助けを求め、自分の意思で行動を起すことができません。
そのために、中谷さんを傷つけてしまい、デートが中座されたりなど。
それでも最後に、電車男は、自分の意思で、自らの言葉で彼女に語りかけます。
その電車男を応援していた名無しさんたちは、引きこもりや仮面夫婦やオタクや失恋を引きずる看護婦など。
名無しさんたちは、電車男の生きる力に感化され、再び生きようと一歩を歩み始めます。
引きこもりの青年が、自室のドアを開け外界に出てゆく場面。
私個人は、これがもっとも感動的なシーンだったと感じました。
電車男なる話しの、真偽は私は知りません。
それが自作自演の逸話なのか、ただのネタなのか、大勢の名無しさんも、たった一人の偽装だったかもしれません。
電車男に無条件に好意を寄せてくれる中谷さんなど、事実とは考えにくい設定も多いです。
ただ、その逸話の真実性は意味を持たないのでしょう。
劇を見るものが、名無しさんに自身を投影し、何らかの意欲を獲得すること。
この点に、この映画の価値は収束するものであり、その一点において、この映画は成功していると思われます。
このように考えれば、電車男の主人公は匿名なる多数としての劇場に足を運んだ人々であり、その代弁者としての掲示板上の「名無しさん」とも評価できます。
劇中は、その現実味のなさと、意味の語りかけという機能に特化した面からも、秋葉原を舞台とした神話と評価できるかも。
この映画で唯一違和感を抱いたのは、恋愛の成就による結果として、その対極として描かれていたオタクが負に評価されていることでした。
(作者の意図はどうであれ、結果としてそう評価される)
もちろん恋愛や、人とのかかわりは素晴らしいことだと思います。
でも自分の好きなことに真剣に打ち込むことだって、それら同様に楽しいことだと思います。
心底楽しんでオタクを生きている人だっているし、いわゆる「オタク」と恋愛は二者択一的な価値ではないはずですが。
前述のように、私は「シューティング雑談板」ぐらいしか読んでませんが、それでも2ちゃんねるはすごいなと感じることがままあります。
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240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/05(日) 20:34:16 ID:tJQqUveJ
ライトフリー、可哀想とかよりも
動画を見てチョット笑ってしまった自分に反省してしまった。
こいつはこいつなりに一生懸命やっているのを気付かずに、ただ笑って見ていたしまった。
気〜ついたら自分、痛い人種になったな…
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これは感慨を受けました。
「預言者の言葉は地下鉄の壁に書かれている」(サウンドオブサイレンス)から

6/8
「ALL ABOUT ストリートファイターzero3」を読んでいて面白かった部分の転載です。
何かといえば、ストーリー。
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ザンギエフ
目的、世界にペレストロイカを起すこと。
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それと、ちょっと興味深かったもの。
ベガさんは、世界制服のために格闘家を集めているお馬鹿な人だと信じてました。
ところが、シリーズを通して微妙に目的が変化していることが判明。
・スト2時代。
世界制服の野望達成のため、名だたる格闘家たちを倒すこと。
・zeroシリーズ時代
シャドルーの一員となるため、世界中の屈強な戦士を集めること。

6/1
2チャンネルから外部へのリンクをたどる際の、広告画面が昔から面白いなと感じています。
その中でもこれが好き。
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完全無料だから、萌え萌え彼女とマターリ出会い。
セクースしまくり。
おまいら、漏れは今日もゲトできた。
出会いすぎでつね。
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本当にやる気があるのかどうか、「ママさんバレーチームからのお誘い」とか「12人の妹の白パンツ」といったスパムメールと同等の疑問が感じられます。
http://game10.2ch.net/test/read.cgi/gamestg/1116515563/を眺めていて、「お前ら人の悪口になると急に盛り上がるのな・・・ 」との記述を読んだときには、やっぱりまともな方がいらっしゃるなと感激しましたが、それからあとが些か怖い。
上の108さんのように、良識を持てるようになりたいですにょ。
閑話休題。
最近、たあ坊が好きになりました。
こういうのがかわいく思えるのは、成長もしくは老化の一環なのかもしれません。
犬福になるのは無理そうなので、将来はたあ坊になりたいと思います。
閑話休題。
本題はこちらからです。
シューティングゲームを始めてみませんかが広く取り上げていただいた件は以前に書きました。
その中で、非常に違和感を感じたの紹介文のこういった記述です。
「暗黙の了解を丁寧にテキスト化」とか「ゲーム以前に知ることの多すぎるシューティング」。
この記述自体に客観的な誤りはないと思います。
でもこのような理解をされる方は、やはり思い違いをされていらっしゃるのではないかと。
上記テキストで私が述べたのは、「パターン化」という方法論と、パターン作成のための敵弾誘導といった基礎事項です。
これらはあくまで、ゲームを通してプレーヤーが発見していくべき法則性であって、誰かに教わるべきものではないと思います。
実際私自身、誰かにに教わったものでもなく、全て自分で学んだことを書き記したに過ぎません。
それがウェブ上で一定の評価を得られたということは、内容が妥当であったことの証左でしょう。
十分に個人の力で発見できる要素だけで、シューティングは遊べるものです。
私はただその助力を行ないたかっただけ。
合理的な思考によって導出可能な法則性のことを、あたかもPSなどのRPGのいわゆる「隠し要素」のように、結論を知らないとどうにもならないものだと誤解していらっしゃる。
もっとも、このように考える私自身がシューティング脳患者なのかもしれません。
(上記文書は筆者のユーモア溢れたネタ)
「シューティング」って、帝国主義もしくはグローバルスタンダートという概念と似ているような気がします。
合理性のカタマリであって、普遍そのものです。
特殊知識や技能はさほど必要なく、個々人の努力のみがものをいいます。
その体制内部で成功した人物は、自分ができたことを他人もできないはずがないと考えます。
結果として、それができない人をさげすむようになります。
歴史上は、欧米が植民地を搾取してきたことに相当します。
方や経済原則と英語とキリスト教であり、(中華世界なら礼と漢字であり)、シューティングならパターン化です。
やれば誰でもできるのに、それを習得する努力を惜しんでいるとさげすむのです。
最大の害悪が、自身の基準を他者に強要する傲慢さにあることには全く気がつかないか、あえて無視です。
難しいにょ。

5/25
最近、Dreamweaverなるソフトを業務用に使用しております。
このサイト同様、相当量のテキストをアップロードするこのごろです。
このソフト、高機能らしいことは理解できるのですが、いろいろ不都合な点も。
当サイトの文書を作る際にはタグ入力支援ソフト Toggleを利用しております。
改行やリンクなどのタグはファンクションキーで入力できますが、その他インデントなどは自分で手入力しておりました。
そこで、上記ドリームウィーバーを使うと。
「あれ、あのタグを入力するボタンはどこ?」
「手入力した方がはやそう。」
「仕方ないからマニュアル見るか。」
と、こういったループが多いです。
さしたる機能も使わないのですから、私にドリームウィーバーなど猫に小判状態でした。
正直なところ、フリーソフトであるtoggleの方が使いやすいです。
輪をかけて問題なのが、ドリームウィーバーを使用しているパソコンのスペックの低さ。
キーレスポンスに問題があるくらい、ドリームウィーバーだと動作が遅くなります。
業者に売り込まれたものか、それとも誰かの趣味で導入されたものなのか。
ドリームウィーバーが採用された経緯に些かの疑念が抱かれます。
(私が使うのは旧バージョンだけど)現行モデルは6万円あまり・・・・・
結局ウェブサイトは、内部の情報にのみ意味があって、最低限のデザインと統一性さえ保たれていれば見た目は問題ないと思うのですが・・・。
どうせ情報を積極的に入手しようとする関心のある人しか見ないのだから。
まあでも、せっかくなのでドリームウィーバーの機能はいろいろ覚えてみます。
閑話休題。
・「Dreamweave」の研修は、まさにDreamがweaveされたよ。
このジョークが通じなかったときはショックでした。

5/17
時は流れ行き。
二月あまりの間に、簿記は3級の学習が終了しました。
タックの「通るテキスト3級」「出題パターンと説き方3級」終了。
試験は6月12日と、一月以上の間隔があったので、2級の学習を再開しました。
自身、具体的な勘定科目とか、そういったことが自分にとって意味を持つとは思っておりません。
むろん、簿記3級自体は、いわれるようにパズルのようでした。
電卓のブラインドタッチが身につき、電卓を打つのが楽しくなるという副産物はありました。
いまの自分なら、8桁清算表の問題なら非常に楽しく取り組めます。
自分が興味があったのは、会計学的な考え方です。
政策判断においては、会計学を習得していることが必須であると思ったから。
これに終始します。
ただ、学問はそれを裏打ちする基礎がなくては身につきません。
それ故に、実際に電卓をたたき、簿記を学びと、初歩から入ることとしました。
恥ずかしながら、簿記を学んではじめて、「減価償却」という概念の正確な意味が理解できました。
(無論、おおよその意味はわかっていても、その経理上の意味は初めて知った)
そして、通貨と資産(この場合は具体的な動産・不動産など)の等価性。
(その妥当性に疑問はあるものの、とりあえず国債残高などの説明で、道路などの資産・・・というくだりが、物と通貨が等価であるという前提に基くことは理解できた。)
なかなか、楽しい。
そういえば、先にこう思いました。
書店にて、2級テキストの工業簿記と商業簿記を手に取り・・・
「ガレッガにくらべれば、2級程度楽勝だな・・・」
自分の酔狂を感じるとともに、シューティングは挑戦することが面白かったのだと再認識した瞬間。
閑話休題。
最近、当サイトのシューティングゲームを始めてみませんか が非常に広範に、ニュースサイトなどで取り上げていただけた模様。
ネットを眺めていて、非常に多くの上記文書へのリンクを発見しました。
不思議な気分でした。
思ったこと。
ニュースサイトを閲覧するのは、ニュースサイトの運営者が中心なのではないか。
一つのサイトで取り上げられれば、それはほぼ日を同じくして、他のニュースサイトでも掲載されます。
人様のことをとやかく言える自分ではありませんが、こういったサイトを管理している方はどういう生活を送っているのか。
被雇者では、あれだけのものを運営することは物理的に不可能でしょう。
(無論、彼らを非難する気は全くない、人生にはそういう時期ガあったほうが人間豊かになれると思う、過去の自分を振り返って・・・)
そして彼らにとって、ここのニュースの内容に意味はなく、それが他サイトに掲載されたという事実のみが意味を持つ。
毎日あれだけのサイトを、理解しながら目を通すことは不可能だし、その必要もない。
そのニュースサイトのリンクをたどった人が、自身の見識のみに基いて価値を決定すればそれで十分なことです。
ただ、自分の文書が、明らかに内容を理解せずに紹介されることに、一抹の違和感と悲しみを覚えるのは、人間が感情を持つ動物だからなのかもしれません。
それでも、それらのニュースサイトの中には、内容を吟味し、uniqueな言葉で紹介してくださるところもありました。
1万人が見て、10人でもそういった人がいてくれれば、ネットという媒体でもリアルワールドでもそれは十分なことであり、この上なくうれしく誇らしい瞬間です。
たくさんあったけど、とりあえずここだけリンク。
今日も今日とてシューティング話
内容の妥当性を評価する意図はありません。
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……けど、シューティングを知らない人がこのサイトまでたどり着き、
自ら進んでレクチャーを受けて、シューターとして新たな人生を歩むとは思えない。
別のこのサイトが悪いわけではなく、
閲覧者が興味を持っていない情報はほとんど目に飛び込んでこないというネットの特性の問題だが……
かといってゲーム関連書籍や雑誌で同じようなことをしても、ちょっと難しいか。
-----------------------------------------------
「閲覧者が興味を持っていない情報はほとんど目に飛び込んでこないというネットの特性」
納得させられる表現なので、覚えておこう。
ただ、よく考えれば、それはネットに関わらず、現実世界でも同じことか。
人は自分の意思で、自身の世界を限定することができる。

3/27
仕事で一日中学生と一緒でした。
やっぱり、女子中学生はかわいいですにょ。
だからといって、「梢タンハァハァ」などと話しかけるわけにも行かず。
ただ正直に思ったのは、やっぱりこんなかわいい子らを性的に搾取するのはよくないだろうなと。
やっぱり上限年齢に議論はあろうとも、少なくとも中学生は一律に児童としてポルノや売買春を禁止するのは合理的。
web上だと児童は虚構だけど、やっぱり実物を前にすると、これは保護しなくてはいかんと感じました。

3/26
最近ライブドアと日本放送フジテレビがにぎわしいようです。
とりあえず、フジテレビの社長は非常に嫌いになりました。
「法にのっとってやればいい」と一端口にしておきながら、やり方が商慣習に反するだのなんだのと。
首尾一貫性のない態度と、頭の悪さは私が嫌悪してやまぬところです。
以上些事ですが、ふとこの件で思いました。
政治と報道は、公務員批判が好きなようです。
国民の税金でまかなわれているくせに、国民を忘れている、という意識が根底にあるからでしょう。
ここでその是非を論ずる意図はありません。
ただ、これと同じ理屈が、そのままフジテレビとニッポン放送に妥当するなと。
会社は株主の利益のために存在し、そして従業員は株主の利益のために働き、その対価として賃金を得ます。
これは国家と国民の関係に、そのまま相応するものです。
(そもそもこれは、会社法で一番最初の方で習うこと)
フジテレビとニッポン放送の経営陣のやっていることは、(マスコミの言いによれば)公務員のそれと完全に同一です。
新株の発行があれば、既存の株主(すなわち国民の地位を占める)の利益は著しく害されます。
それを自身の保身のためだけに敢行し、自分らが何のために存在するかを忘れている。
結局あのフジテレビとニッポン放送の経営陣が公務員であっても、現行の公務員同様、自身のためのみを考え国民は忘却のかなたに押しやられてしまうでしょう。
「小事に忠実なものは、大事にも忠実である」という趣旨の言葉が聖書などにあります。
逆に言えば、小さなことができない人間は、大きなこともできません。
株主さえ考慮できない人間は、国民に奉仕するなどできるはずもなし。
この理屈は何にでも当てはまる。
いま公務員をたたく側の人間が公務員になったところで、所詮同じことをするでしょう。

3/25
ネカマ作戦記なるものを読んでました。
ふと見つけたもので、あまりの痛々しさに・・・
世の中で痛いものは、アレだけではなかったようで。
自分自身が、彼らのようにならないように、自戒に勤めるべきなのでしょう。

3/13
なんとなく、ARCADEITA acから、アマゾンの「大往生」の紹介ページを開いてみました。
なんだか下のほうで、興味深い記事が出てきました。
(どうもアマゾンのカスタマーズレビューは投稿日順になっているらしい)
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完全移植の名に恥じない出来, 2003/11/06
レビュアー: rayfortner18
さすがに手作業で確認してる(らしい)だけあってその移植度は半端じゃ無い。
アーケードとそっくり、縦置きできるモニターと精度の良いスティックがあれば尚更。
やることは並み居る敵を蹴散らして行くだけ・・・異常な弾の数ですが。
初心者は怖がるだろうがとりあえず自分の周りを見るべし。あさっての方向に飛んでく弾なんぞ無視していいです(これ重要)。
「弾避け」はしなくていい。むしろやらないこと。
そもそも大概雑魚は「自分目掛けて弾を撃ってくる」のだから。
画面中央下でうろうろしているから被弾するわけだ。
とりあえずは画面右端から左端まで一方向に動いてみよう
(1面冒頭の雑魚戦車軍団とかで実験するといいかも)、
その間は弾を気にしないで済むはず(追い詰められたら「切り替えし(分で調べてみましょう)」という行為でかわします。)だ。
あとは敵の出現位置を覚えて速攻で破壊する。これだけで敵の撃つ弾は大幅に減少するだろう。
それらをパターン化すれば次第に弾避けが楽しくなるはず。
つまりやるべきことは「合理的な思考力、パターン化、経験と練習」
これだけ。
そして慣れてきたら次第に4面や5面まで進めるようになるはずだ。
5面後半までやり込んで見よう、大量に湧いてくる雑魚を次々と吹き飛ばして行くのは気持ち良いはずだ。
ストーリー自体は別に大した物じゃない。
ストーリーがクソだと言ってる人がいるがシューティングに関してはストーリーなんてあって無いような物。
大事なのはゲーム性。
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なんだかどこかで既読感を覚える文章。
どうも当サイトの、怒首領蜂大往生の指針、初めにに酷似しているような気が。

画面中央下のあたりでうろうろしているので、画面中の弾が集中して、間もなく被弾してしまうのです。
きっとこのような経験はお有りでしょう。
画面下を右から左まで動き続けてみてください。
その間は敵弾を気にする必要はないはずです。
(画面すみで追い込まれたらどうするか、は後述の「弾避けの基礎」に詳しく述べられます。)
以上3点の考察から、我々の目指すことは自明である、といってよいでしょう。 合理的な思考方、パターン化、経験と練習、これが全てです。
私の文書は上記インデント部ですが、アマゾンの記事は、酷似しているというよりも、転載そのもののように思えます。
理屈で考えれば、誰が考えても同じ結論に達する。
だから初めは、偶然かなっておもったんです。
ただ、切り返しの解説部分が、「「弾避けの基礎」に詳しく述べられます。」となっている部分が、
「(分で調べてみましょう)」とご丁寧に全く同じ箇所で書き換えられているところを見ると、
これはやっぱり、転載されたんだなあと。
別に腹を立てているわけではなく、むしろ面白いなと感じてます。
そもそも当サイトの記述に何らかの権利を主張するつもりはありません。
さすがに誰かが無断で商業利用するのは抵抗があるけど、それ以外はご自由に。
無断引用していただけるなんて、むしろ光栄なこと。
(自分はせいぜい民法と民事訴訟法しかわからんので、著作権が如何なる保護下にあるのか知りません)
それにこの引用主体の「rayfortner18」さんは、おおむね適正に要約してくれてます。
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「「弾避け」はしなくていい。むしろやらないこと。」
-------------------------------------------
と書いてくれているのは、氏が十分な読解力とシューティングの経験をもつことの証拠です。
それに、アマゾンの定型句の
24 人中、23人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
というのがまた、実際多くの方が妥当な記述だと判定してくれたことの証拠と理解してよいのでしょう。
ほかの大往生のカスタマーズレビューを見ていくと、ひどいのは「50人中2人が参考になった」ようだし。
こういう数値評価を見ていくと、よい文書と悪い文書の相違が、どことなく明らかになってきます。
無論、評価をする人は、大往生を1周クリアした人もいれば、シューティングを全く知らない人もいるでしょう。
この不特定の母集団が評価をするということが、重要なのだと思います。
やっぱり、よい文書とは基礎知識がなくても理解できるものであるべき、ですね。
前提知識を要求するのは、執筆者に文書能力がないからにほかなりません。
「首領蜂シリーズ」とか、「前作怒首領蜂の移植度」という言及があるものは、軒並み評価が低いことが見て取れます。
誰もそんなことは聞いてないし。
自分が試験官だったら、「出題と無関係なことを述べている」という理由で減点するな。
もう一つ、根拠のない否定的評価は、決して客観的に高評価を得られないということ。
一番顕著だったのが、
--------------------------------------------
50 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

いいゲーム、だけど…, 2003/08/15
レビュアー: カスタマー   兵庫県 Japan

(中略)

 とにかく、これはクソゲーです。
----------------------------------------------
多分その、「クソゲー」というか、理屈の通らない否定評価はだれも共感しないということなのでしょう。
大往生を否定したいというパトスは伝わってくるものの・・・
むしろ情念以外のものが感じられないのが、共感の得られない理由なのでしょう。
読者としては、この人は客観的に評価していないなということを、雰囲気で感じ取ってしまいます。
それによく読んでみると、スローモードとノンブレッモード(何語?)と特典DVDのことしか書いてない。
否定したいあまりに、一番否定すべき本編そのものを批判するのを忘れてます。
冷静に、「シューティングの原則を知らない人を排除する難度設定」とか、「著しいランク変動」について語れば、はるかに効果的に大往生を批判できるのに。
閑話休題。
結局は、このような評価システムを設計した「アマゾン」が優秀なんだなと、感じるところ。
検閲は行なわず、閲覧者に評価を委ねることが最良のサイト構築につながるという思想です。
この決断は、容易にできるものではないですよ。
とりあえず、ひどい文書を読んで、昔の自分の文書を思い出しました。
最後に、アレが混じっているのは驚いた。
これを読む限りでは否定のパトスのない普通の文書のようだですが、今に至る変容の要因はなにであったのか?

3/6
最近簿記の勉強始めました。
余裕が出てきて、ゲームしてるのも虚しくなったし。
全く知らない分野の学問って、面白いものですね。
何気なくやってた実務の、その意味が解ってくるのがまた、実用性もあっていいものです。
何でもゲーテの主張によって、プロイセン帝国では義務教育に複式簿記が採用されていたとか。
今は商業科の高校でしか教えてないのでしょうが、普通科でも教えてくれればよかったと思うこのごろ。
2次試験は現行どおり学科科目の記述式のみでいいので、センター試験あたりの必須科目になってたらきっとそこそこ勉強してたろうに。
調べてみると、6月が試験らしいです。
適当に4級の600円の問題集買ってきて、昼休みや移動時間にやってました。
2週間程度で終わっちゃったんですが、そもそも簿記4級って高校一年あたりが受けるものなんだろうし、簡単で当然か。
多分これ、英検4級よりも簡単。
もう一順したら3級始めてみます。
3級と4級の同時受験ってできるのかな。
最近昼にサンドイッチかじりながら眺めていたのがこれです。
都市伝説101夜
いろいろな都市伝説を集め、その意味などにげんきゅうしたもの。
都市伝説って、社会の鏡なんですね。
それが流布するのは、内容の信憑性によってではなく、それを信じようとする我々の欲求の故。

2/28
何かを書きたいから書く。
よいものだと思う。
最近、紙媒体による活字以外で感銘を受けた文書は、これ。
ちゆ12歳の「バトルウォッチャー・哭きの竜さんの12年」なる記事。
感じたことはいろいろあります。
サイト著者の、「お兄ちゃん」氏の人格が伺えたこと。
その気になれば、いくらでも情報は収集できるのでしょう。
しかしそんなことをせずとも、この記事に表れた、人の来歴が面白かった。
よかれ悪しかれ、「お兄ちゃん」の成長とも言うべき過程が、表れていました。
次に、時代の変化、特にそれが非常にすばやいネットの世界の変容。
確かに私が始めてネットに接続した頃、(大学の情報処理室でのユニックスやモザイクではないく自宅でのこと)。
この頃見ていたサイトは、もう殆ど残っていない、もしくは更新停止です。
あれほど楽しかった、「コイコイさんのインスタントラーメンを様々な液体で作るサイト」ももう消えてしまったし。
ゲームサイトだと、金丸健二さんの薔薇は憧れというのも、昔はよく読んでました。
これは今もあるけど、やっぱり昔とは変わったなって思います。
あの頃は、いろんなシューティングが、自分の中で輝いてました。
自分が昔好きだった、セガサターンなんてものも。
当時はよく、サターン関連サイトを検索してみてました。
あの頃は、がんもどきのホームページなんかよく見てました。
本当に、サターンが自分にとっては輝いていた時代です。
あの頃のダイヤルアップ接続に比べれば、今はブロードバンドの常時接続。
ネットに接続する人の数も飛躍的に増加し、サイトやその閲覧も比較にならないほど多くなりました。
それに自分も大きく変わりました。
生活の場、周囲の人間、仕事などなど。
もう昔のように、「ゲームとは何か?」なんて語る気は全くありません。
知識も経験も飛躍的に増加し、その結果として考え方も寛容に、謙虚になりました。
ゲームには多様な楽しみ方が存在すべきだし、自身の考えを他者に強要するのは間違いだと思います。
シューティングとクイズの概論文書は作ってしまったし、もう言うことは何もないようと思ってます。
最後に、もう一つ面白かったもの。
「バトルウオッチ」という楽しみが存在することです。
でも言われてみれば、ネット上のトラブルの観察は楽しいです。
昔は自分も、トラブルは嫌でした。
当サイトの掲示板でもいろいろなトラブルはあり、そのたびに頭を痛めていたのですが、よくよく考えれば、悪いのはだいたい自分。
あのころは、頭の悪い独善的な文書をたくさん書いて、あたかも自分が偉いかのような錯覚に陥っていたような気がします。
このように考えられるのも、自分の成長のおかげなのかもしれません。
端的に言ってしまうと、、もうこのサイトのBBSがどうなってもかまわないかもしれません。
自分はシューティングやクイズが初めての人が読んでいただければと、「シューティングをはじめてみませんか」「クイズゲームを楽しむために」という二つの文書さえ残っていればいいと思います。
そういう意味では、ときどき勝手に見つけてリンクを張ってくださる方や、2ちゃんのシューティング板でアドレスを張っていただけたりすると、とてもうれしく思います。
理屈で考えればシューティングって誰でもできるんだって、自分の文書で悟ってくれた方がいらっしゃるというのは、本当にうれしいことです。
「バトルウオッチ」といっていいか解りませんが、気がつけば面白いのがhttp://www.lightfree.org/です。
当サイトで、自分の話題を一方的に展開し、パターンゲームを根拠なく否定しつつケツイの稼ぎを論じて一度もいったことのない2周目を否定し、「ライトフリー」と「名無しの超凡人」という二つのハンドルネームを駆使し、それがばれていることすら理解できなかったという奇特な御仁でした。
あのころは、すごく腹が立って嫌だったのに。
当時からなんとなく、2ちゃんのシューティング雑談板は眺めていたのですが、そちらで同氏が頻出するにつれ、私もその面白さのとりこになってしまいました。
面白くもあり、自分を省みる鏡でもあり。
世の中って不思議だよなと、本当に思います。
冷静に物事を眺めれば、本当に世の中は面白いです。
世間の変化は早いですが、それ以上に自分の変容が一番大きかったのかもしれません。
まだネットという媒体は歴史が浅いのに、ネットは自分をうつす鏡のように機能してくれます。
ネットを通して知った言葉に、「DQN」というのがあります。
これも一時期好き好んで使いましたが、結局は人様をDQN呼ばわりする自分がDQNだったのだろうなと。
今までにweb上で不快な思いを多数人様に味合わせてしまった過去は、決して消えないもの。

2/24
不思議に思うこと。
それは古代の戦争における、戦術の有効性について。
このばあい、戦術といっても、火器などの道具の使用ではありません。
あくまで、どう隊列を組み、どう部隊を動かすか、ということに限定したものです。
古代戦とは、ここにおいて火器を使用しない、人間が武器を持って戦った時代のこと。
(投石器、弓ていどまではあり)
やっぱりこのレベルの戦争だと、軍を構成する兵の能力が同じと仮定すれば、純粋に数が多い方が強いとしか思えないのです。
(無論、闇討ち、火計、歩兵と騎兵の能力差、一騎打ち対集団戦などは除く)
だって、同じ人間同士が武器を持って戦うんだし。
ところが、そうではないという事例が多数存在するようです。
古代において、一般に名将としてあげられる人物。
そのなかに、アレクサンドロスとハンニバルを含めることに、異論を唱える人は稀でしょう。
この二人はともに、相手の何分の一の兵力で、殆ど犠牲を出さずに相手を完膚なきまでに叩きのめすという記録を残しているようです。
「ローマ人の物語」を読んでいると、そのことが不思議でなりませんでした。
前者は、重層歩兵の密集戦術です。
これはまあ、解らないでもありません。
(でもこれが本当に、戦争で普通にぶつかると強いのかといわれると、疑問がないでもない)
より不可解なのは、ハンニバル、そしてそれを模倣した以降のローマ軍の戦法です。
塩野七生氏によれば、「騎兵の機動力の活用による、主戦力の非戦力化」であるそうな。
すなわち、騎兵で敵の主戦力(この時代はアレクサンドロスの戦法を継いだ)重層歩兵の側面を包囲することだそうでした。
「重層歩兵は正面突破には強いが、側面にはもろい」ということでした。
果たしてこれが本当なのか?
同じ人間が、盾と長槍をもっているだけです。
横を向けば、側面からの騎兵攻撃に十分対応できるのではないかとしか思えません。
しかしこれで、ハンニバルはローマ軍に連戦連勝、ローマ軍は地中海で敵無しの勝利を重ねました。
同じ人間が武器を持って戦うだけなのに、個々人の戦闘能力を超えて戦法による差異があるのか?
歴史はそれに対してyesと答えているようですが、私個人として納得が行かないだけです。
むろん今日の戦争に、軍隊の隊列なんてナンセンスな議論です。
生産力と技術力のみが結果に結びつくのが総力戦であり、今日の技術では、核戦力の使用は世界の終わりを意味するようになっています。
古代のように英雄が活躍する余地はありません。
でもきっと、ハンニバルとかスキピオって、現代に生まれていたら、ビルゲイツのような業績をあげてるんだろうなと。
天才とは、誰もが見えなかった事実を発見するのではない。
誰もが見ていながら、その意味を認識できなかった事実を正確に見抜くだけである。

2/19
最近の出来事、3
この間、セント・マリー教会なるものに行きました。
物の本によれば、誰でも見学可能ということであったので。
どんなところか結構興味があったのですが、そこであったのはビジネスのお話のみ。
商売でやってらっしゃるのだから当然だと思いますが、「ご予定は?」と聞かれたり、「花嫁様、新郎様」なんて呼ばれるのは恥ずかしいですにょ。
本題はここからです。
説明の人(名刺によれば、ウエディングプランナーという謎の職業らしひ)がいろいろ聞かせてくれます。
ここは本物の教会で、日曜日にはミサも行なわれています。
それに、教会の基礎にはしっかり聖書が埋められているので、神様がちゃんといらっしゃいます。
・・・・・
最後の言葉には、驚かせられました。
「聖書が埋められているから、神様がいる。」
私が寡聞であるせいか、これほど素晴らしい理屈ははじめて聞きました。
(そこそこネットで検索しても、このような習慣は見出せませんでした。)
「神様」とは、どこか特定の場に存在するものなのか。
依代がいつしか神そのものと理解されるようになっていた歴史は存在するわけなので、それほどおかしい言葉というわけでもない、ともいえます。
でもたぶん、キリスト教の言う「神」概念は、些かそこから外れているように思われます。
むろん、一神教的理解が高等で、それ以外が劣っているというわけではないです。
ただ、もうちょっと勉強する程度の努力はあっていいのではないかなと。
多分彼女は、阿刀田高氏の「旧約聖書を知っていますか?」「新約聖書を知っていますか?」すら読んでないのでしょう。
それに聖書そのものには、「二人、三人と集まって祈るところに、私はいるのである。」という趣旨のイエスの言葉が書いてあるはず。
私にあちらの神様を弁護する気はないけど、少なくとも聖書のあるところにしかいないというほど神様はケチな存在ではないでしょう。
でもやっぱり、この事件は本質的には、「商売をするからには、無知を恥じない図太さが必須である。」ということを教えてくれているのかもしれません。
所詮最後に例示したイエスの言葉だって、どうせ後世の教団がイエスの口に自分の信条を吐かせた偽造にすぎないわけだし。
私もウエディングプランナーの彼女のように、図太い神経が欲しいなと思います。

2/18
最近の出来事、2
花粉症の季節です。
これから2月あまりは、毎日マスク着用です。
花粉症対策について、母と議論をしておりました。
「原因は、杉の木が売れないことにあるから、みんな杉を買えばいい。」
「それは正論だけど、現実味が薄い。」
「花粉形成を阻害するウイルス病を作れないかな?」
「ウイルスはまずい。」
「では、花粉を食べる虫はどうだろう。」
「生物を使うのはまずい。」
「一定量の花粉を食べたら、虫が死ぬようにできないかな?」
「虫が花粉症で死ぬのはどう?」
以上です。
「花粉を食べて、最後には花粉症で死ぬ虫。」
非常にツボにはまりました。

2/17
最近の出来事、1
「ちゆ」の「雑誌と単行本の違い」(17年2月11日)なる記事。
認識を改めさせられたのは、「バスタード」の「鈴木土下座ェ門」のくだり。
当時購読していたジャンプだと、しっかり「ビホルダー」になっていたのに、単行本だと「鈴木土下座ェ門」になってました。
(ビホルダーってこんなモンスターです。)
子供心にいぶかりつつも、ギャグなのだろうと自分を納得させていた当時の私。
「ちゆ」によれば、名前変更の理由はこれでした。
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一方、「BASTARD!!」では、雑誌掲載時に「ビホルダー」という名前だった怪物が、単行本では「鈴木土下座ェ門」という名前になりました。
 これは、ビホルダーが「D&D」のオリジナルモンスターだと知らずに出してしまったのでクレームが付き、担当編集者の鈴木さんが土下座してあやまったからだと言われています。
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こういうことだったのかと、新たな地平が開けた瞬間でした。
以前の私にとって、ファンタジー=D&Dであり、D&Dは正典そのものでした。
当然に、その設定から外れたものはファンタジーと認めることはできませんでした。
ところが、そのD&Dのモンスターそのものが、(どういう法的保護の下にあるのかは分かりませんが)、独占的な権利の対象そのものでした。
色の名を持つドラゴンは悪であり、鉱物の名を冠したドラゴンは善。
エルフは1000年以上の長寿を持ち、ヴァンパイアはアンデットの最高位モンスターである。
こういった教義同然の知識は、しっかりとD&Dの作者により、法的な保護の対象とされたものに過ぎなかったようです。
だからといって、D&Dの設定がばかばかしいという気もないし、「金儲け主義」などと非難するつもりはありません。
ただ、私の信じていた「ファンタジー」って、所詮はその程度のものであったという、当たり前の事実を認識しただけです。
D&Dに基き、他のもの(特にファイナルファンタジー)を否定していた昔の私って、狭量にして愚かそのものだったなと。
ファイナルファンタジーだって、あれだけの美しいグラフィックと設定でプレーヤーに異世界を感じさせたのだから、もう立派なファンタジーです。
「D&Dの設定と違っている。」なんて、そもそも批判にすらなりえません。
ちょっとだけ、自分が大人になったと感じました。

2/5
久しぶり。
昨日の読売新聞の見出し。
「看護婦たん吸引許可」なるもの。
意図せずも、「看護婦タン」が「吸引」されている図が脳裏に浮かび上がりました。

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