日記5月
戻ります


5/30
車内で見かける人の話です。
誰か本を読んでいる人がいると、一体何を読んでいるのか記になってしまうものです。
隣の席の人の本など、ついついのぞき込みたくなってきますよね。
最近はやはり、「指輪物語」「ハリーポッター」が多いといったところ。
本日見かけた女性は、「ファンタジーを読むこと」なるまさしくファンタジックな題名の書物を開いておりました。
隣の席の男性が,NHKの中国語講座のテキストを開いておりました。
「あなたは何を勉強していますか?」という日本語を中国語に翻訳する例題がのっておりました。
思わず、「にぃー、しゃんま、しゅえしいー」と頭の中で翻訳してしまいました。
第二外国語に中国語を選択したためか、未だに少々覚えております。
ちなみに私の履修した講座では、テキストとして中国の国立外国語学校の作成したものを使用しておりました。
この教科書は大変に例文が素敵ででして、
  • 「私は労働者です。」、「我 是 労働者(うぉー しー ばんごんじー)」
  • 「父は教師です、母は医者です、兄は労働者です、私は学生です。」
    かかる例文の連続です。
    フランス語で「私は労働者です」などとならいませんよね。
    「兄は労働者です。」など、誇らしげですね。
    最近もっとも面白かったこととして、隣の男性が読んでいた、「宅検」のテキストです。
    彼が読んでいたのは、「不動産賃借権の無断譲渡・転貸」の項目でした。
    このページの下の方に、裸の男性がコートをバッと開いている絵が描いてあります。
    「そりゃおまえ、転貸じゃなくて変態だろ。」という台詞が吹き出しに入っていました。
    こんな奇妙な法律の本があるとは、と驚いたものです。
    ちょっとだけグランディア2のお話を。
    ポリゴンで構成される画面なのですが、さほど大したものではないと思っておりました。
    森の中などの複雑な自然の形態を表現するのは、技術的に困難なことなのでしょう。
    最初のうちは森や山が多かったので、このように思いました。
    ところが途中で神殿に着いたとき、この評価が激変です。
    人口建造物のような幾何学的造形に関しては、ポリゴンという表現は大変に適合的なものです。
    大理石の神殿で、磨き上げられた床に写る壁面の模様など、本当に美しい限りです。
    ちょっと見直しました。
    というか、ポリゴンのゲームには自然地形を登場させるべきではないということに気が付いたのです。
    ストーリー面では、異端審問の話が登場しました。
    きっと小学生は、このゲームをやって「異端」という概念に初めて触れるのだろうなと思ったものです。
    子供にとっては勉強にもなるいい場面ではないでしょうか、「ねえお母さん、異端ってなに?」などと。
    もっとも子供はドリキャスなんて持ってないと思いますが。
    悪くない場面でした。
    キャラクターの葛藤や人物の性格心情描写など、大変によく作ってあると思います。
    記になったのは、ストーリー中に多くのものが混じりすぎて首尾一貫性をかく点でしょうか。
    恋愛の話をしていたかと思うと、強制的に魔王復活の話にされたりします。
    この手のRPGのストーリーの価値を低めている要因に気が付きました。
    たいてい善の神、悪の神、という概念がどのゲームにもでてきます。
    問題は、神という人間を超越した価値を、あくまで人間の主観に依存する「善」「悪」という概念でとらえていることです。
    ラブクラフトとダーレスという比較が適切でしょう。
    人間を超越した価値を人間基準に理解するので、ばかばかしくなってくるのですね。
    形而上学的思考の欠如、このように評価するのが妥当でしょうか。
    まあでも今のところ、お話は(馬鹿らしいところもありますが)全体として面白いです。
    それと本日、1999でステルスのデフォルト設定で一周達成。
    ようやく全機体一周できました。

    5/28
    しばらく前にニュースで見ましたが、クローン技術で誕生した牛は胎児段階もしくは出生直後に死亡することが多く、その死因は遺伝子の働きによるものだそうです。
    (生体現象の全ては遺伝子の発現ですから、この記述は無内容でした。)
    しかるべき段階に適正な遺伝子が機能していないのだそうです。
    不要なものが発言していたり、必要なものが休眠状態だったり。
    現状のクローン技術は、受精卵などの殻を除去したものに、生体の遺伝子に何らかの活性化措置を施したものを注入しているはずです。
    ということは、クローンといっても核酸が一致しているのは核内のDNAのみ。
    ミトコンドリアなどの、その他の細胞小器官の遺伝情報は別個体(元々の卵細胞)のもの。
    自分は詳しいことは知りませんが、通常細胞にはミトコンドリアだけでも2000個以上が存在するとNHKの番組で昔聞いた記憶があります。
    細胞内の核酸の総量の内、核以外の部位に存在するものはかなりの割合に達しているのではないでしょうか。
    クローン技術は、人間でいえば体はそのままで脳味噌だけ取り替えたようなものだと思います。
    このようなものが全体との調和がとれるはずがありません。
    クローンがうまくいかないのも当然だよ、と思います。
    これは現行技術の問題なので、いずれ完全なクローンの作成も可能となることでしょう。
    ただ、自分的にはこれは許容すべきでないと考えます。
    数年前に、ブタに人間の遺伝子を注入し、パーツを作成させ(臓器などです)、医療用に利用するという技術が実用化されていると聞き、ずいぶんと衝撃を植えた記憶があります。
    人間は互換パーツによって構成される存在ではない、全ての器官が全体として一つの存在を構成し、それそのものとして尊いものであると思います。
    現状のクローン技術の目的の一つに、医療用というものもあったはず。
    私がクローン技術に対して抱いている危惧感は、この人間の尊厳という観念を危うくするところにあるのでしょう。
    ただ、クローン技術といっても様々。
    コピー人間を作るというSFまがいの馬鹿らしい事ばかりではないはずです。
    幹細胞からの、生体器官の再形成。
    純粋に科学的にも興味があることですし、大変に有用な技術です。
    ではこれが先に自分の書いた、人間のパーツ化という現象と何が異なるかというと、その限界を画することは困難でしょう。
    少々話題が変わりますが、私が同じく好まないものが臓器移植(脳死体からの摘出によるもの)です。
    これなどは、他人を活かすために他者を擬製するという考えが見受けられ、しかも死体はパーツに過ぎないという考えが明白だからです。
    自分はそこまでして生きたいとは思いませんし、臓器を摘出されるのもいやです。
    (臓器移植拒否カードというものを自分は常に携帯しております。)
    人には一個の生命として、死ぬべき時というものがぞんざいすると思います。
    (この考えは自分の深い関係者が移植を必要とするときにも同じ態度の貫徹を要求しますが、それが自分にできるかというと自信はないです。)
    臓器移植、クローンを含めて、人間の尊厳に対する侵害なので自分は嫌うのです。
    ただ、先ほども言及しましたが、「人間の尊厳」とは何かを定義することは不可能でしょう。
    もともと内容のない、観念に過ぎないはかないものです。
    それを信奉し、絶対視すること、これは一つの価値判断に過ぎないわけで、人間のパーツ視と優越を客観的に判断することはできません。
    生命の自然のあり方に即することが人間の尊厳だとは思いますが、今の人間が自然に即しているといえるのか、そして自然のあり方に何らかの意味はあるのか、という疑問は当然に存在します。
    無内容であるが故にこそ、人間の尊厳は保たれるべきと思います。

    5/26
    二日間連続して、東京都内は素敵な夕立がありました。
    雷というものは、美しいものです。
    一種の浄化作用があるかもと思います。
    私は強い雨を見ると、必ず思い出すものがあります。
    「最初の雨って、どんな感じだったのかな。」ということです。
    まだまだ原始地球が煮えたぎっていたころ、海ができるほど何十万年に渡って降り続いた雨、一体どのようなものであったのでしょうか。
    大変に想像力をかき立てるものがあります。
    雨といえば、ノアの洪水の雨ですが、以前にこのような話を聞いたことがあります。
    創世記の記述に夜ならば、雨の降り続いたのは40日40夜。
    この間地表に残ったのは、高山のてっぺんのみです。
    ということは、40日で8000mの降水があったわけですから、
    8000m÷40日÷24時間=8.33333m/時間
    つまり1時間あたり8000mm強の降水量です。
    この降水量に絶えられる船舶は存在しないそうで、当然糸杉とアスファルトで作った箱舟など論外だそうです。
    驚くべきは、このような計算をしようと最初に思い立った人が存在したことでしょうか。
    (そもそも聖書中の「40日40夜」は決まり文句に過ぎず、ノアが降り立ったというアララト山の所在も不明(ただしトルコ説は有力ですが))。
    まあ、聖書中の登場人物の年齢を合計して世界の創造を6900年前と推定した人ださえ知るわけですから。
    (というよりも、中世ヨーロッパの通説であり、現代でもこれを信じている原理主義者は多いはず。)
    これに関連して思うことは、ときどきニュースで報道される、一般国民の科学知識レベルの調査の話です。
    アメリカでは、地球が太陽の周りを回っていることを知らない人が半数を超えるが、日本では8割以上がその事実を認識している、等との報道をよく耳にしました。
    宗教上の理由を無視したかかる調査に何らかの意味を見いだす人間がいるとしたら、それこそ愚の骨頂というものでしょう。
    NHKでさえニュースでかかる報道を行うわけですから、困ったものです。
    話題は変わって、グランディア2ですがようやくやってみました。
    (ドリキャスの起動は訳3ヶ月ぶり)
    プレイ以前から簡単すぎてゲームにならないであろう事、グラフィックに無駄に力を注いでいるであろう事は認識しております。
    まず、画面は本当にきれいなのですが、一体これがなんの意味を持つのかと考えると、製作された方々の努力が気の毒に思えてきます。
    街の中など本道にフルポリゴンだし、細部まで手抜きはしてないし。
    これらが一切ゲームを面白くする要素でないということは、製作された方々も重々認識の上でのことでしょう。
    自ら無駄と認識する行為を行うのは、さぞかし虚しいでしょうね。
    このゲームは戦闘の仕組みなど、素晴らしくよくできているのと思います。
    問題は、ボス戦であってもボタン連打で買ってしまうので、せっかくの作り込まれた成長システムが一切不要な事でしょうか。
    (でもやはり、FF5やDQ6程に素晴らしいわけではないです。)
    私が望むのは、コマンド入力と同時に数値に変動が発生し、1,2秒で戦闘が(雑魚の場合)終わることなのですが、もはやこのようなゲーマーはRPGをプレイするべきではないのでしょう。
    それにしても、せめて戦闘の特殊攻撃のアニメーションキャンセル機能ぐらい付いていたら。
    (やはりこのグランディア2と比べると、FF9がどれほどよくできていたかが認識できます。)
    キャラクター同士の掛け合い、しかも人生論くさいもの、を聞かされるのも、最近のゲームの特色なんでしょうか。
    RPGとはその定義において、何らかの役を演じることなのですが、登場キャラクター同士で人生劇場を演じられても私としては興ざめなばかり。
    それはドラマか小説の役割ではないか、という正論はもはや通用しないのでしょう。
    私はキャラクターの人間的成長を見たいわけではなく、ファンタージー(白日夢)世界におけるメイジの呪文の詠唱や戦士達の剣檄を見たいだけなのに。
    プレイヤーの側にもある程度の知識を要求するかかる側面は、もはや一般人相手に商売をせざるを得ない現状では尊重できないのだろうなと、悲しく思います。
    自分が開発者の立場に置かれたなら、正常な経営判断としてかかる路線を取ることが明白であろうだけに、よりいっそう悲しいですね。
    ということで、第一回グランディア日記終了です。
    具体的内容はまた後ほど。

    5/24
    大往生、ラスボスに面会できました。
    なんといっても、5面道中が素敵に発狂していて面白いです。
    特に今作は、敵弾が連射されて、弾の壁が形成されるところが特徴的だなと思います。
    画面下で、きわめて狭い敵弾の壁の中(かといって実は静止していると日なりの長時間弾に当たらない)、今か今かと弾が途切れて道ができるのを待ちます。
    この待っている間がまた、客観的には1秒2秒なのでしょうか、主観的にはきわめて長い時間に感じられます。
    そして弾が途切れるや、全速で画面を駆け上って弾を散らします。
    おもしろいよ、これ。
    自分程度でも、4面のエクステンドをうまく取って、道中ボムを抱えて死ぬことがなければ一周はできそうにおもえてきました。
    少なくとも、5面はパターンができればボム使用はもっと減らせると思いますし。
    プレイ回数からいうと式神よりも圧倒的に少ない(まだ5−1しか行けていない)のに、こちらはラスボスに面会できるとは、ある意味大往生の方が(一周に限定すると)式神よりも簡単という評価も成り立ちうるかもしれません。
    最近コーヒーショップでよく思うことですが、高校生や中学生で喫煙をしている事例をよく見かけます。
    となりにかわいい制服の女の子が座ったかと思いきや、間髪入れずに喫煙を開始です。
    社会的害悪という側面は考えないとしても、高校生が喫煙というのは少々はやすぎないかと思います。
    統計的にも、喫煙は開始年齢がはやいほど健康被害が大きいことは明白なのに。
    世界的には喫煙率は低下傾向にあるというのに、日本だけは若年層の喫煙率が増加しているそうです。
    タバコを吸っている女子高生が、「数学T」とかいう本を開いているのはやはり大変な違和感を感じざるを得ません。
    仮に喫煙の自由が存在するとしても(かかる害悪は一切保護に値しないと自分は評価しますが)、若年層の喫煙に対しては、国家による制限が(彼ら自身の健康のために)大幅に認められるはずです。
    正直なところ、喫煙によって健康被害を受けるのは彼らの責任で自由だと思います。
    自分としてもそういう人は速効しかるべき終末を迎えてくれる事がが望ましいのですが、周囲に害悪をまき散らすことだけは即刻停止して欲しいです。
    一昨日、中古でドリキャスの「グランディア2」を1200円で購入しました。
    つかれたときにやるのがいいかなあと思いまして。
    1200円で未開封だそうですが、在庫処分か何かでしょうか。
    とりあえず説明書だけ読んでみました。
    なにやら、善神と悪神の対立という、2元論的な設定があるようです。
    いつもこの手の設定を見て思うのですが、2元論は善と悪との対立という単純な構図ばかりが目立つのではないかと。
    二元論の思想としての面白さの中心は、以下の点にあるのではないでしょうか。
    人間が悪の側の被造物であること、ゆえに徹底的な現世と自己の否定と彼岸への憧れが存在すること。
    悪の側の創造物である人間が、徹底的に自己を否定し、光りの側を渇望する。
    この矛盾こそが面白いと思うのですが、2元論といえば善と悪、あまりに表層的な理解ではないかと思います。
    この程度の知識は、新書の1冊も読めばいくらでも書いてあることなのだから、脚本担当の人もその程度の作業はやってくれてもよいのではないかなと、思わないでもありません。
    まあ、昔からファンタジーの設定なんて無茶苦茶ですけどね。
    ファンタジーで整合性のある世界を構築するという事自体が不可能なわけですから。
    ただ、どうせやる以上はできるだけよいものを作ってくれるとよいなと思うわけです。
    やはりこの、状況設定がより劣悪なものになっているということも、最近のRPGの質が低下していることの一因かもしれません。

    5/22
    当方のウェブサイトも、いつの間にか55555回の累計アクセス数があった模様です。
    当初は何万アクセスもあるサイトはすごいものと思っておりましたが、客観的に当サイトも同等の規模を有するようになってしまいました。
    少々不思議なものです。
    閲覧くださる方々には、感謝致します。
    当サイトは更新は日記及び掲示板しかありません。
    自分が忙しく、さほどやり込んでいるものもないためというものが直接的理由です。
    しかしそれよりも、以下の規範的理由こそが現行の更新状況の所以です。
    自己が何らかの作品に対して言及するだけの資格があると、客観的に認定できるだけの、妥当なプレイ数をこなしていないこと。
    日記に関しては、なるべくゲームでないこと、そして自分の考えたことを書くように心がけております。
    如何に詰まらぬ見解であっても、それは今までの自分の人格形成過程と思想が反映されたものであるはずです。
    各人それぞれの知識、思想体系は同一であり得ない以上、事物に対する評価も大きな相違が存在するはずです。
    ならば日記を書く(しかもそれが不特定の他者の閲覧を前提としたものである)という行為も、何らかの意味を認めることはできるでしょう。
    以上、現在の自分のウェブサイトに関する考えでした。
    (追記として、変換ミスによる誤字がおおいですが、面倒なのでこれはあまり修正しておりません。)
    閑話休題。
    自分は現在、水道水が直接の引用に適しているとは、少々言い難い地域(東京都足立区)に居住しております。
    有害なわけではありませんが、あまり美味しくない水道水です。
    (これに関しては、自分の出身地域の富山県では、水道水が直接引用するに不都合がなかった、という経験との比較が大きいかとおもいます。)
    そこで私は、何年間もミネラルウォーターを購入しておりました。
    水を購入するなど、想像もつかない方が多いかと思います。
    ミネラルウォーターの購入は、お金がかかることもありますが、より大きな問題点は多量のペットボトルをゴミとして生産していることにあります。
    東京都ではペットボトルを分別回収しているそうですが、リサイクル率は低く、一本に付き90円の処理費用が必要との報道を耳にしたことがあります。
    最近私は、ミネラルウォーターの購入をやめました。
    これには理由がありまして、浄水装置を購入したのです。
    その装置とは、「竹炭」(100円)。(ふつうのスーパーで買った)
    疑念を抱かれるでしょう。
    しかし、ミネラルウォーターの水質にならされた自分が(富山県の水道水を飲んでも薬品の味が分かる)、この竹炭で浄化した水をのんでも、違和感を抱かない程度の浄水が可能なのです。
    方法は、竹炭(ただの竹の炭です)を水道水の中に入れ、2日程度の時間をおくことです。
    自分はそのための容器として、麦茶などの家庭用の入れ物を購入利用しております。
    手間はかかりますが、あらかじめ用意しておくことで飲用には支障のない水を、低費用(4ヶ月で100円)で得られるのです。
    ゴミを減らすのは、気持ちがいいものです。
    こればかりは本当に効果かありますので、是非ミネラルウォーターを購入している方には試していただきたいと思います。
    決して高価な浄水装置は必要ないと思いますよ。

    5/20
    連日の睡眠不足のせいか、ついに風邪でダウン。
    早めに帰って寝ておりました。
    夕刻にはすでに帰宅しているというのは大変に楽なのですが、その分勉強ができない。
    (家でやれないのが悪い。)
    やはりワンルーム暮らしというのは、生活空間と勉強空間が一体化しているのがいけません。
    机の上にはパソコンがあって(卓上面積のかなりを占有しています)、テレビがあり、床にはゲーム機が転がっていて、となりにベット。
    これで勉強をするほど精神力は強くない。
    やはり住宅事情が悪いせいでしょうか。
    書斎が欲しいものです。
    久しぶりに見た番組が、たけしのまるみえ(題名?)、日本テレビ系列で月曜20じ〜21時までの番組です。
    私がこれを見だしたのはここ数年ですが、それ以前のはるか昔からやっている、大変な長寿番組ですね。
    世界不思議発見につぐものがあります。
    外国の報道番組を紹介するだけなので、対してお金はかかっていないと思いますが、大変に面白い。
    ゲームと同じで、面白さは費やした費用とは無関係であるということを実証するような番組です。
    私はたいていの民放番組は、芸能人がみうちで盛り上がっているだけなので嫌悪しています。
    しかもこの何らの普遍性を有しない話題を理解することが、同時代性の証であるととらえる昨今の風潮に関しては、その愚かさに愛想が尽き果てます。
    この意味で良質の娯楽が存在しないからこそ、私は教育テレビのドキュメンタリーぐらいしか見ないのです。
    馬鹿の芸能人につきあうくらいなら、自己の見識を磨くという直接的な楽しみを得られる行為に時間を費やそうというのは当然の発想かと。
    「まるみえ」は芸能人同士がうちわで盛り上がることが比較的少ない、許容範囲内なのでよいです。
    こういうのを見ていて思うのは、たけしやタモリ(自分が見るのはタモリ倶楽部の彼のみ)といった高位の芸能人は、その言動が純粋に(前提条件や知識なしに)面白いということです。
    そうもいかない芸能人はやはり、芸能界の知識を前提に、初めてその言動に面白さが認定できるという場合が多いかと考えます。
    (その意味で芸能人の物まねは最低)
    誰が見ても楽しめる、これが娯楽の最低条件ではないでしょうか。
    ハリウッド映画というものは、この点だけはかなり配慮があるので自分は高評価です。
    もっとも、米国内でもヒスパニックなどの英語を解さない人に見てもらうためには、当然の前提なのでしょうが。
    やはり合衆国は偉大だよね、と思わされる一面でしょうか。
    現状のハリウッド映画の問題は、誰もが理解できるという要件を充足するために、その方向性としてCG他用と暴力、セックス主体という安易な道を選んでいる作品が比較的多数見受けられる、という点に存在するのだと思います。
    そして普遍性=技術との錯誤を抱いた、大局的視野に欠けるものたちがその方向に追従しているのが世界の現状なのではないでしょうか。
    明白な例として、日本のスクウェアとか。
    同じハリウッド映画でも、「風邪と共に去りぬ」、「ベンハー」といったクラスの作品は、、物語として本当に面白かったと思います。
    これらの作品も、当時としては最先端の技術を使用していますが、映画の趣旨が技術を見せることにはなく、あくまで物語にあったという点が現状の作品との最大の相違点であると思います。
    (たぶん、タイタニックもこの分類の名作に入れてよいかと思います。たとえ話が少々安っぽくとも。)
    面白さはどこに存在しうるのか、この点は重要ですね。

    5/18
    久しぶりに「世界遺産」を見ました。
    本日は、フランスはフランスの大聖堂。(途中からなので確定的ではない)
    しばしば、パリのノートルダム大聖堂も映像が流れます。
    自分は過去に一度、このノートルダムを訪れたことがあります。
    唯一の海外旅行で地中海沿岸をローマ、パリ、バルセロナと友人とまわったのです。
    ノートルダムは大変に印象深い場所でした。(もう一つはバチカン)
    このゴシック建築というものは、大変に心を打つものです。
    簡素石材建築が、まさに天に至るかの如くそびえ立つ。
    内部は薄暗く、ステンドグラスからの明かりが漏れてきます。
    中世の人々が、数百年の時間をかけて作り上げた寺院ですから、
    美術と申しましても、絵画は基礎知識がなくては理解ができません。
    対してこの建築は、まさに人の心を打つものだと、自分は思います。
    何らの条件を必要とせず、その偉大さが感じられるからです。
    建築の中でもこのゴシック様式というものは、その偉大さが、簡素さ故に際だっています。
    同じ教会建築でも、その対極を行くのは(自分の見た限りでは)バチカンの聖パウロ教会と、フィレンツェの聖マリア教会でしょうか。
    その所在地からも分かるように、全中世ヨーロッパの富の搾取によって成立し得た教会です。
    その際密にして精緻な構造は、見るものを圧倒するに十分です。
    ただこの驚愕の対象が、そこに存在する富に基礎づけられているという点は、ゴシック様式との相違点でしょう。
    バチカンの内部は、空白が恐ろしいかの如くに絵画と彫刻に埋め尽くされています。
    (この教会を見ると、ルターの反抗も実感として理解できます。)
    要するに、世界遺産を見て、ゴシック建築の素晴らしさを思い出しただけです。
    その後お茶の新製品で宣伝で、「フレッシュトリニティ製法」という製法をうりにしていました。
    生の「三位一体」製法ですか?
    もう少し、原語の意味を考えて外来語を使って欲しいものです。

    5/17
    自分はたいていの日は、水筒を持ち歩いています。
    ジュース代を節約しようと思ってのことなのです。
    少々重いですが、確実に節約はできます。
    本日は、水筒の内蓋を占めないまま、リュックの中に水筒を入れてしまいました。
    結果、テキストがびしょぬれ、辞書まがいのものも同様。
    泣きたくなってきます。
    今までに何回こうやって、本をふやけさせたことでしょうか。
    コーヒーだってしょっちゅうかけてしまいますし。
    最近ゲームは、文字ぴったんがかなり上達しました。
    「ふぁんたすてぃっくかんたんこーす」(単なる簡単コース)はかなりクリアできるものが増えてきました。
    ようやく、本当の意味での面白さが見えてきたということでしょうか。
    綾瀬のゲーセンではかなりの人気ゲームのようです。
    自分がプレイしているのを見て、新しく始めた人もいるようで、ゲーマー冥利に尽きます。
    (もしかしたら大往生よりもおもしろいかも。)
    きっと1年位(今年の暮れころ)したら、プレステに移植版が発売されるのではないでしょうか。
    もう一つ面白いと思ったのは、パカパカパッション。
    音楽はミッキーなどでよく聞こえてくるので知っていたのですが、プレイしたのは初めてでした。
    (通算3回プレイ。)
    音楽ゲームってやるのは初めてなんですが、面白いですね。
    (太鼓の達人を除く)
    簡単コースの2面でゲームオーバーなんですが、よいものです。
    ルールは単純にして、自分のスキルのみが頼り、パターン学習型、決して難しすぎず、ゲームをやっているという実感に溢れています。
    さすがはナムコ、ますます自分の中の評価が上がりました。
    プレステに移植版があるようなので、探してみましょう。
    次にやったのはパワースマッシュというセガのテニスゲーム。
    実在のテニス選手が動き、ルールは単純。
    (私はよほど複雑なルールのゲームが嫌いらしい、シューティングもシレンもルールは単純。)
    これもちょっと欲しくなりました。
    というのも、最近睡眠不足で疲労が蓄積し、風邪気味でシューティングが体調的にできないのです。

    5/15
    領事館侵犯の事件が奇妙な方向に発展しているようです。
    さすがに亡命者追い返し命令、英語が読めない等は当初の予想を超える事態でした。
    このようなことをやっておりますと、中国につけ込まれますね。
    それにしても、「日本側は中国の調査結果を尊重すべきだ。」との発言は、挙証責任の転嫁であって客観的に合理性を欠くものかと思います。
    日本と中国は主権国家同士なのですから、主権平等の原則に従って侵犯側である中国が、自己の行動の正当性を立証すべきなのに。
    もっとも、「中華」といえば主権の対立概念、しかも歴史の深さが圧倒的に異なります。
    それほどの偉大な歴史を持つ文化ですから、中共の側は日本と対等などとは間違っても思ってはいないでしょうが。
    最近マクドナルドで頒布される小冊子、「マクドナルドのおいしさのひみつ」が更新され、第2分冊が登場しました。
    この冊子の優れた点は、各商品の熱量、成分画工表されている点です。

    バリューセットで、照り焼きマックバーガー+ポテト+コカコーラを食べると、
    470+441+127=1038
    驚異的なハイカロリーで、必要熱量の半数は摂取です。
    フィレオフィッシュ、照り焼きマックを見る限りでは、マヨネーズのハイカロリーがめだちます。
    マックはいつも並んでから何も食べたいものがないので困り、まれに照り焼き、などといってしまいます。
    自分はいつも照り焼きは、パンを開いてマヨネーズをふき取ってから食べるのですが(実話)・・・
    マックはポテト以外に美味しいものがないですよね。

    5/14
    今回は「世界ふしぎ発見、古代エジプト7つの謎」から、記憶に止めておくべき事を。
    カッコ内は、自分の感想です。

    5/13
    早稲田に行きました。
    この大学に入っていたら、少しは自分の人生も変わっていたのだろうか、と少々思います。
    そういえば、入学金はらったんだよな、とか。
    自分の選択しなかったものはよく見えてくるというもので。
    所詮いかなる道を選んでも、現状に至っていたのだろうなあと。
    自分の人格のなせる業か、鬱の人間は前のめりに生きることが辛いものです。
    そんなことは由として、本を2冊買いました。
    ブックオフで100円の「NHK、クイズ面白ゼミナール」「世界不思議発見、古代エジプト7つの謎」です。
    久しぶりに本でも読むか、しかも気軽に読めそうなのを、となるとこの2冊が目に留まりました。
    とりあえず「面白ゼミナール」から、記憶に止めようと思ったものを。
    ・「サイレン」の語源は、ギリシア神話の「セイレーン」である。
    ・「ジャンボ」とは元もとロンドン動物園の巨象の個体名であった。
    ・「イチゴ」の表面にあるツブツブが果実(中に種が入っている、食べているのは花托」
    ・「ホルスタイン」の平均乳量は6000リットル/年。
    ・「指切りげんまん」の「げんまん」とは、「拳万」であり、1万回のパンチを意味する。
    ・紅茶にはビタミンCが含まれていない。(発酵の過程で分解される)
    ・「やまかん」とは、「山本勘助」が語源である。
    ・ワインの甘口・辛口は発酵の度合いで異なる。(甘口ワインは、アルコールを加えて発行を停止させたり、果汁を加えたりする)
    ・「由比正雪」と「丸橋忠弥」は実在の人物で、徳川幕府転覆を計画していた。
    ・竹の成長速度は、最高の時期で8から10cm/h。
    ・ジーンズ1本を作るのに必要な綿花は、320個。
    ・通常の雨の落下速度は、6,2m/s
    ・咳の際の空気の流れの速度は、気管で13〜18m/s、声門で50〜120m/s

    5/11
    ニュースを見ていると、現在は神田明神のお祭り期間だそうです。
    (神田明神は地下鉄湯島駅近く、ラブホテル街のとなりにあります。)
    このお祭りでは御輿をだすのが2年に一回なのだそうですが、今年は皇太子殿下のご令嬢誕生を祝して特別に御輿をだすそうでした。
    神田明神といえば平将門、八幡神とならんで、高天原の皇室系統の神々とは、完全に独立の、対立関係にある神格のはず。
    (そういえば、この「明神」とは何を司る神格であることを示しているのでしょうか?)
    それが「ニニギの尊」(漢字が出ない)の後継者のたんじょうを祝するのですから、面白いですね。
    神話上の地位は全く違いますが、大国主が西の反天津神だとすると、平将門は東のそれに当たるのでしょうか。
    役割がにてますね。
    そして全国的なものが八幡神。
    閑話休題。
    中国側の武装警官が日本の治外法権を侵犯した件に関してです。
    中国側の外務省報道官が、武装警官は副総領事の同意を得て立ち入ったと主張しているようです。
    真相は不明ですが、一般原則として治外法権侵害に対する同意の存在によって利益を受けるのは、違法性の阻却される中国側。
    ならばその同意が存在したことの挙証責任を負うのは、中国側ではないでしょうか。
    個人的にはこの事件の真相は、国際法規を知らなかった中国側の現場の警官の個人的判断に基づく暴走なのではないかと思います。
    中国側としては、誠に困ったことになっているのではないでしょうか。
    しかし国の威信を懸けて、間違いを認めるわけにはいかず、虚偽の報道をおこなったと。

    5/9
    この定義って面白いですよね。
    (風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律)
    −−−−−−−−−−−−−引用−−−−−−−−−−−−−−
    6 この法律において「店舗型性風俗特殊営業」とは、次の各号のいずれかに該当する営業をいう。

    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    「異性の客に接触する『役務』」、ストリップの定義、専ら異性を同伴する客の宿泊(休憩を含む。)する施設、などなど。
    そういえば、ドイツでは売春が合法化されているそうです。
    (村上春樹の本で読んだだけなので、事実かどうかは分かりません。)
    ここでもしも、娼婦が売春契約の債務不履行に陥って、債権者(買った側)が訴訟を提起するとどうなるのでしょう。
    被告人娼婦に対して、現実的履行の強制(性交債務の履行強制)を命じるのでしょうか。
    裁判官、「被告人娼婦甲は、指定地にて原告乙と性行為を行うことを命じる。」等という判決が下るとお笑いです。
    さらに執行官が、債務の履行を強制する場面は心温まるものがありますね。
    まあ、行為債務ですから金銭賠償が原則でしょうが。

    5/8
    今のところ、ミスタードーナッツの「メロンパン」がなかなかお気に入りです。
    これとコーヒーを飲んでいると、ささやかな幸せ。
    最近はコーヒーはミルクを入れて飲むことにしました。
    ブラックは体に悪いという話でしたので。
    美味しいのは、ビールと同じで最初の一口だけだったりしますし。
    そういえば、私は酸っぱいコーヒーはあまり好きではありません。
    あの「モカ」は少々敬遠してしまいます。
    それにしても、最近はこの手のコーヒーショップに行くと勉強をしている人が大変に多い。
    自分と同じ事をやっている人も、大変に頻繁に見かけます。
    全く同じテキストを開いている人に出くわすこともありました。
    しっかりとお金を払って、人様に迷惑をかけないように勉強している限りは、それはとても素晴らしいことです。
    それでも、タバコを吹かしている人というのは、一体何を考えているのでしょう。
    自分が社会的害悪をまき散らしているという認識はないのでしょうか。
    犯罪者め。
    もう一つ迷惑なのは、大声で、集団で騒いでいる連中です。
    おしゃべりをしている分には問題ないし、それは当方が受忍すべき事柄です。
    コーヒーショップは開くまで勉強の場ではないですから。
    ところが、問題などを周囲の迷惑を考えずに論評しあっている輩、これが最悪です。
    特に場所柄でしょうか、東大生に多いですね。
    昔からこいつら、井の頭線の中でも迷惑を振りまいていたし、御茶ノ水近辺にも多いし、大嫌い。
    静かに、社会的に相当な範囲内の音量で話して欲しいものです。
    話題が戻ると、不景気か何かは知りませんが、多くの人が様々な勉強をするのはよいことではないでしょうか。
    活力と可塑性のある豊かな社会に近づきつつある証拠かと。
    人間死ぬまで勉強ですよね。

    5/7
    なかなかストレスもたまることも多く、少々心理的に鬱々たる状態です。
    夜遅く帰ってきて、無意味に2時間ほどゲーム、また早くに起床。
    なかなか眠たくならないし、朝は目が覚めるし。
    ここ最近5時間寝た日がないような、自分は睡眠時間は短い方ですが、それでも5時間は眠りたい。
    帰ってくるとつかれていて、何もやる気がしないし。
    ここ一周間ほどやっていたのは、ストリートファイターZERO2。
    CPU戦を、アドン、ローズ、ダルシムといったキャラクターで、難度6のCPU戦クリアを目標にしていました。
    (上に選んだのは、今まで使ったことのないキャラクター。)
    私は、格ゲーをアクションゲームとして遊ぶのは好きです。
    アクションゲームとして把握するなら、こちらのミスもそこそこ許されるし、自由度も高いし。
    CPUも難度6だと、かなり反応もよくなってくるので、ある程度のパターン把握も必要とされてきます。
    敵の攻撃の確定反撃技を探したり、敵の技をつぶせる通常技を探したりとやることがいろいろあって面白いです。
    特にパッドでやっているので、コンボはせいぜい下中攻撃キャンセル波動コマンド程度が限界。
    スパコンは、真空波動、真空竜巻コマンドが成功率1/2程度でしか出せません。
    (パッドでオリコンのような素早い入力は不可能です)
    となると、敵ダウン中など確定的に安全状況でしかスパコンは使えません。
    必然的に重要性を増してくるのが、通常投げに、通常技。
    これをガードしたあとは、投げ確定、大パンチで反撃、等を探していきます。
    パッドはどうしても入力ミスが多くなるので、可能な限り安全確実容易な反撃が必要となってきます。
    こちらの大攻撃の間合いの把握、必殺技を使ってよい間合いなど、かなり気を付けなくてはいけません。
    (アドンのジャガーキックは少しでもめり込んでガードさせると反撃確定、でも使うしかない)
    ZERO2のCPUでもっとも強いのは、実は「さくら」ではないかと重うこのごろ。
    特に怖いのが、竜巻春風脚です。
    ガード後は小、中攻撃ならば反撃が可能なのですが、さくら側にゲージがあったら手出しできません。
    確実にスパコンで反撃が潰されます。
    (しかもレベル3だと、こちらの体力の8割ぐらいもって行かれます。)
    こちらの有効な対処法としては、垂直ジャンプ攻撃で上方から竜巻春風脚を潰すのみ。
    でもサクラのジャンプ中パンチの空対空性能が高いので、あまりこれも信頼できません。
    春風脚をガードしているとサクラのゲージはすぐにたまり、こちらは1セットのガードで中攻撃一発分程度の体力を削られます。
    やはり、リュウケンゴウキは使いやすく強かった。
    まあでも所詮はCPUですから、かなりパターンにはまりますが。
    でもパターンになるからこそ、それを探すのが面白いんです。
    もっとCPUのアルゴリズムが豊富な格ゲーがあるといいのですが。
    チキン、飛び込み君、要塞ガイル、投げ狙い、ただの下手とかいろいろな性格があって、ランクに応じてCPUもコマンド入力をミスしたり、コンボをミスしたり、こんなのがあって欲しいですね。
    インカムのことを考えて対戦格闘だけを作らず、一人で楽しく遊べる格ゲーを作ってくれないものでしょうか。
    その分CPU3人抜き程度でゲームオーバーでよいですから。

    5/5
    最近はまた久しぶりに、音楽を聴くようになりました。
    景気づけに外出前に、ダライアス外伝、エスプレイドなどはよくやっていたのですが、夜一人で家にいるときの話です。
    この賃貸マンションは壁が薄く、防音が大変に貧弱であるので音楽を聴くことはほとんどありませんでした。
    どうでもいいことですが、この壁の薄さのせいで隣室から性行為の声が聞こえてきて困ったことがあります。
    実話です。
    朝早くに絶叫で目覚めさせられたことさえあります。
    一体一日何回かかる行為に及んでいたのでしょうか。
    性行為差し止め訴訟の提起を真剣に考慮したものでした。
    行為にふけっているたびに、金槌で壁を殴るなどして反撃行為にでていた結果、間もなく迷惑な隣人は消滅しました。
    悪は滅びる、普遍の真理です。
    今となっては、昔の話。
    実家にいたころは、B’Zとか、その手の邦楽を大音量でよく聞いていたのですが。
    今は音が大きくできないので、音楽を聴くこともほとんどなし、このような状態でした。
    再び聞いているのは、バッハです。
    (邦楽を全く聞かなくなって、一人暮らしを初めて少ししてからはクラシックを愛好していました。)
    (もっともそれも、しばらくは全く手をつけていませんでしたが。)
    ブランデンブルク協奏曲、カンタータ、無伴奏チェロ、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲。
    いいものです。
    マタイは長いので、ブランデンブルクとか、短めのカンターターをよく聞いています。
    久しぶりに聞いたアルトのアリア、これほど美しいものがこの世に存在したものかと再確認させられました。
    私女性の声楽曲が、たまらなく好きなのです。
    ソプラノは耳をつんざくようで少々うるさいのですが、(それでも、マリアカラスのアリアなどはやはり素晴らしいと思います)、アルトというのは優しく包んでくれるようです。
    確かヘルタ・テッパーとかいう60,70年代のドイツの歌手なんですが、いい声です。
    話は脱線しましたが、バッハはいいものです。
    あまり音量は大きくなりませんが、でも音楽はいいものですね。
    何となくまた、ビートルズとか、サイモン&ガーファンクルが聞きたくなってきました。
    何年間も聞かなくなってから、またもう一度触れてみると、音楽の素晴らしさをよく認識することができます。

    5/3
    ゲームセンターが12時に営業が終了するのは、一体どういうことなのでしょう。
    風俗営業法の規制対象だから、という話は聞いたことがありますが。
    それにしても、風俗店と同じにされたのではたまったものではありません。
    まあ、より気の毒なのは、ダンス教室とかダンスホールなどなのでしょうが。
    ダンスは肌が触れ合うので風俗、ゲームは無価値な風俗、きっとこのような発想に基づくものであるかと思われます。
    ミスタードーナッツで閉店まで勉強していて、外にでると深夜1時。
    一日の最後の楽しみに、大往生でもやってきたいなと思っただけの話です。
    このミスドのそばには公園があって(綾瀬駅すぐ前)、そこでは夜になるといつもお兄さん達がボード(スケートボードでいいのでしょうか?)の練習をしています。
    彼ら、見かけはナニなのですが(不良?ヤンキー?共に死語)とても禁欲的、継続的に練習を重ねています。
    努力するものは美しい、このことを実感させられる瞬間です。
    ゲームのように、それ自体無価値なものに努力するのは魅力的な行為ですね。
    思えば、家庭用ゲームの大部分が努力という要素を忘れてしまったのは一体いつからでしょう。
    読書という行為が、ある程度の知識を前提とした上で深い思惟を要求するように、
    スポーツに置いては、基礎体力の上に、日々の鍛錬が要求されるように、
    楽しみや喜びというものは努力を前提として初めて成立するものなのではないでしょうか。

    5/2
    めくっていると、大変に奇妙なものを発見しました。
    当初は自分で打とうと考えていたのですが、長さ故に挫折しました。
    幸いにして、検索をかけると案の定、データー化されてオンライン上に存在しますね。
    私の作業はタグを付けたのみです。
    −−−−−−引用−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       国民の祝日に関する法律

    第一条 [意義]
    自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

    第二条 [祝日の内容]
    「国民の祝日」を次のように定める。

    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1条の意義規定も驚きですが、成人の日、春分の日、海の日、敬老の日、勤労感謝の日、この内容もまた面白い。

    5/1
    昨日は何もやる気が起こらない日でした。
    全ての義務を放棄したくなるくらいに。
    それでも何とか列車に乗るのですが、その前に何か漫画でも読みながらなら目的地までの時間を過ごせるかもしれない、と想い本屋に立ち寄ります。
    迷ったあげくに、購入したのは「ラブひな、14巻」
    私このまんが、初めのころは大好きだったのですが、景太郎が東大に合格して以来は興味を失い、全く話を知りませんでした。
    「あれだけ好きだったのだし、結末ぐらいは見届けてやるか。」との思いです。
    久しぶりに面白いと思いました。
    心の底から笑いがこみ上げてくる、このような感情を抱いたのは一体いつ以来のことでしょうか。
    笑いは人を元気にしてくれるものです。
    で、内容についてです。
    ラブひながいいのは、至る所はだかだらけですが、それが全くわいせつ性を有しない点にあるのではないでしょうか。
    「ふたりエッチ」のように細かいところまで書いてあるわけではないので、読者としても登場するはだかを単なる記号としてしか認識していません。
    基本的に順列組み合わせの問題なのでしょうが、それにしても必ず景太郎が胸をもむとか、成瀬川がパンツから景太郎に落ちていくとか、よくまあこれだけのものを思いつくものと感心しています。
    そしてそれら全てに笑ってしまう自分は一体何なのでしょう。
    (ただ、私はマンガなら大丈夫なのですが、アニメでこれをやられると恥ずかしくてチャンネルを変えてしまいます)
    ギャグ漫画だけど、最後は景太郎と成瀬川が結婚して終わるというのもいいですね。
    私は「めぞん一刻」はギャグ漫画として大好きですが、やはり読者として安心できるのは最後に響子さんと五代君がしかるべくして結ばれて、物語が完結するからだと思います。
    (そういえば、らんま1/2もこのパターン)
    道中はマンネリが大切ですが、惰性にいたらずしかるべきところでちゃんと結末を付けるのは大切だと思いました。
    しのぶちゃんの胸が大きくなっていたり、素子ちゃんがショートカットになっているのは驚きでしたが。
    (素子は長髪の時よりもかわいいような気が。)
    (しのぶはそのままの方がよかったような気が。)
    それと、しのぶも素子も、みんな東大生になってしまっているのですね。
    景太郎、成瀬川、むつみ、素子、しのぶ、彼らの東大はどうしてあんなに輝いているのでしょう、うらやましくなってしきした。
    でもわたし、実は「ラブひな」で一番好きなのは、最初の東大受験に落ちたあとに成瀬川と景太郎が旅行に行く話です。
    強引ご都合主義の展開の末、同じ旅館の同じ部屋にされるこの2人。
    そこに仲居さんが登場して、「アレはここに入っていますよ。」
    きっと、ラブひなといえばこれを思い出す人は多いのではないでしょうか。

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