日記6月
戻ります


6/30
ワールドカップが終了したようです。
自分は日本戦のころは正直なところ興味がなく、全く視聴することがありませんでした。
ただ、ブラジルーイングランド戦以降はゲームそのものの面白さから、かなり頻繁に見ておりました。
やはり各国代表選手だけあって、素晴らしい技量ですね。
純粋に感服します。
ブラジルとトルコのフォアード(?)がとてつもなくうまかったことが私は一番心に残っているのですが、ドイツのキーパーもすごかったと思います。
本日のブラジル戦でも、ロナウド(?)のシュートをひるみもせずに最後まで見続け、見事セーブしていました。
シューティングと同じで、たまにおそれをなしては負けですね。
最後の最後まで弾道を見切る、これがキーパーにとっても必須のようです。
ともかく、一切興味のなかった自分にこれほど試合を見せるとは、すごいものです。
ゲームといえば、地元でドリキャス用の「ポップンコントローラー」を4000円で購入してしまいました。
このコントローラー少々入力が過敏のようですが、慣れでカバーできる範囲でしょう。
9ボタンは難しいですが、この方が音楽を奏でているという気分を抱けるので楽しいです。
コナミはアーケード版と全く同様のコントローラーをプレステ用に3万で発売するようなのですが、大変に欲しくなりました。
ゲーム機なんてただの箱、やり込むソフトが一本あれば十分。
根本は一本のソフトと、入力デバイスと、それにかける本人の情熱と、そこから得られる楽しみにある。
私はそう思います。
ハードの優劣どうこうを論じるのは、ゲーマーにとって恥ずべき事。

6/29
風邪ひいて微熱です。
この微熱というのは頭がぼやけて嫌なものです。
大往生、ラスボスにボムを11発もって挑みながら2発しか使えずにゲームオーバー。
あの攻撃は自分の能力を超えているのでしょうか。
今度は避けることを放棄して、ボム連発でとりあえず一周しましょう。
今のところの自分の壁は、3面ボスです。
思えば前作もそうだったのですが、3ボスは純粋に避け能力が試される場所です。
しかも今作は、最初の方の高速青放射弾でよくミスです。
ここも自分には無理と割り切って、ボムでしょうか。
どうせこのあたりでワンミスした方がランクが下がって良さそうですし。
またしても新品380円で買って遊んでいた「Dの食卓2」なのですが、なんと途中でセーブデーターが破損。
メモリチェック画面では、大きく罰印が付いています。
やはりセガの純正でない2倍メモリなどを使っていたせいなのでしょうか。
かったるいゲームなので、もうやる気無しです。
こんな事のないように、PS2でははやくハードディスク内蔵版が発売されることを(価格はかわらずに)期待しています。

6/28
セガの「ジェットセットレイディオ」、ストーリーモードはクリアできました。
難しすぎず、簡単すぎず、よい難度設定であったと思います。
というよりも、終盤のステージでもかなり体力、時間ともに余裕を持って設定してあるので、相当親切といってよい難度でした。
シューティングゲームでも、このくらいのものがあるといいです。
このゲームは3Dアクションゲームなんですが、やはりアクションゲームを3Dにすると少々苦しいものがあります。
・自分の足元を見られないので、広さが分からず落下。
・壁に接近すると、頭上視点になるので(背後が壁なので、カメラを持ってくることができない)正面の様子が全く分からない。
・歩いていると、突然に穴に落ちる。(見えないので)
これらの欠点は少々いらだたされます。
終局的に地形を暗記してしまえばこのような問題はすぐに解決されるのですが、最初にミスをしたときの不条理感はなかなか拭われ難いものがあります。
ジャンプやスケートで滑っているときの感触は本当に素晴らしいのですが、初めての人にはちょっと不快感を与えてしまいます。
結局のところ本当の3次元空間を2Dで擬似的に表現するというわけなので、テレビ画面のみで空間把握は不可能です。
その代償として、結局は地形を覚えてしまうしかない。
難しいものです。

6/26
ワールドカップで早めに帰っていたおかげで、久しぶりに「プロジェクトX」の再放送を見ることができました。
この時間帯は再放送の時間枠で、本放送の方は当然に時間的に無理です。
今日の放送内容は、「天然痘を撲滅した男達」。
日本人の「蟻谷」さんがプロジェクトリーダーになって天然痘と闘うという、いつもの展開です。
この番組を見て初めて知ったのですが、
・8世紀の平城京を壊滅させたのも天然痘(この治癒を願って聖武天皇は奈良の大仏を作ったそうです)、
・11世紀のヨーロッパの人口を1/3にしたのも天然痘(13,4世紀のペストしか覚えていなかった)
・16世紀にアステカ帝国を壊滅させたのも天然痘(コルテスはどうした、と思いますがあの番組ですから)
だそうです。
一つびっくりしたのは、インドには「天然痘に感染すると幸せをくれる女神」というものが存在するそうです。
古代に於いてほぼ確実な死を意味した天然痘を、その意味をある意味転換。
イエスの教えに近いといえば、価値の転換という次元では類似していると思います。
こういうものを、「退行的期待形成」というのでしょうか。
いずれにせよ、その程度まで深刻な疾病であったということなのでしょう。
以前に流行性の疾病に関する本を数冊読んだことがあります。
「ウイルスの逆襲」とか、そういった名前の書物であったかと記憶しております。
その中で私が記憶していることといえば、人類が現在まで生きながらえているのは、純粋に偶然に過ぎないということです。
文献資料が残っているだけでも、人類史上には多数の致命的な疾病が流行してきました。
病名は今となっては確定できませんが、資料からは恐るべき態様が伺われます。
凄まじく強い感染力に、9割以上の致死率を誇るという破滅的な疾病も存在しました。
「存在しました」というのが重要なところで、この疾病は現在はすでに死に絶えております。
あまりに強い感染力と致死性の故に、自己の宿主(すなわち人間です)ごと自らを滅ぼし尽くしてしまったからです。
こうしてあまりに強すぎる病は、局所的な大流行とともに、自らを滅ぼしてしまうのが常でした。
少なくとも彼らは宿主(人間)を、自己の繁殖に必要な機関は活かしておく必要があるのです。
ここから分かる点は、病原体の戦略としては宿主を早急に滅ぼしてしまうのは得策ではないということです。
言葉を変えるならば、病原体にとっては宿主を活かしておくことが事故の生存にとっても有益ということになるでしょう。
つまり、人間との共存関係に至るということです。
この点、人間のDNAの中には外部のウイルス起源としか考えられない部位が多数存在するといいます。
人類の繁栄すなわち病原体の繁栄となるわけで、この共生の段階に至っては人間と病原体はすでに一体化していると評価できるでしょう。
HIVがそれなりに繁栄しているのは、10年以上と比較的長期の潜伏期間を持つ点があるといえます。
私個人の見解としては、現状のエイズの問題はまだ人間とHIVの共生関係が確立されていない事に起因するのであって、近いうちにHIVは人間の一部になってしまうだろうと思います。
その際には人間の寿命の低下などあり得るかもしれません。
本題に戻りますが、病原体にとっての最良の選択肢は人間との共生関係に至ることです。
ところが病原体には先見性を持つだけの知能は存在しません。
彼らは「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。」戦略を採用しています。
かりに適度な感染力と、適度な致死性(病原体の繁殖、すなわち他者への感染)をもつ疾病が発生すれば、その病原体は人類と共に自らを滅ぼし尽くす可能性は十分にあり得ます。
これは病原体にとっても割に合わない結末ですが、彼らにそれを予見することはできないのです。
過去に於いては、あまりに危険な病原体は即座に絶滅してしまうのが常でした。
ところが今日の交通網が発達している場合を考えてみてください。
アフリカのエボラ出血熱が北アメリカの一般病棟でさえ発見される時代です。
100%に近い致死率と高い感染力を持った病原体が、世界各国に飛散することは必然ではないでしょうか。
ワクチンの作製なんて間に合いません。
隕石の場合と同じで、人類が今日存在しているのはたまたま今まで破滅的な事態が発生していない、という純然たる偶然によるものなのです。

6/24
ここ最近最近変なゲームを多数購入しました。
セガサターン、「ダークシード」(300円)
昔のアドベンチャーゲームです。
かったるいですが、ゲームゲームしています。
デザインがギーガー(ときメモはガーギーでしたか?)
セガサターン、「風水先生」、(300円)
荒俣ヒロシの、風水ゲームで画面が汚いです。
セガサターン、「オラクルの秘宝」、(300円)
パズルらしいですが、パズルの始め方が分かりません。
セガサターン、「新、忍伝」。(400円)
(中古) 実写の忍者がいい感じです。
スーパーマリオが剣をふっているようなもの。
渋谷の井の頭線駅近くの、エロ本屋の片隅のゲーム屋です。
ドリームキャスト、「ジェット・セット・レディオ」。(1500円)
何か一つ、これこそドリキャスというゲームが欲しくて買いました。
新品でこの値段なら、安いでしょう。
画面はきれいで、セガってすごいね。
やり込んだらきっと面白いですよ。
でも操作が複雑。
どうやら自分の好みとして、難度はどれほど高くとも構わないので操作は分かりやすいのがすきなようです。
ドリームキャスト、「ゲット、バス」。(200円)
まだ立ち上げていません、ゲーセンだからこそ面白いという類のゲームであることは明かです。
ただ、値段に負けました。
以上です。
いろいろ買いましたが、コナミの「ポップンミュージック」一つの方が面白いです。
上のたいていは、秋葉原のガード下のゲーム屋で買いました。
ここは最近新品ゲーム(ドリキャス)が恐ろしく安いので、(200円が多し)いける方はいってみられるとよいかも知れません。

6/23
最近は過労気味。
朝起きても体から疲れが抜け切りません。
それでいて睡眠時間が3から4時間。
ゲームをやめたらその分眠れるのですが、この愚か者はなかなかそうもゆきません。
筐体に向かう、もしくはパッドを握る、日々の祈りの如き行為です。
先日風邪で寝ていた日、たまたまテレビの音が耳に入ってきました。
日本テレビの昼のみのもんたが出ている番組で、内容は鈴木宗男の議員辞職勧告の報道です。
報道担当者の「逮捕されても、給料は払われるのはおかしいですよね。」と発言しています。
「そうか、やはり一般的な疑問の提起から始まって、分かりやすいように問題を説明するのか、さすがはプロのマスコミ人だ。」
と、私は思いました。
ところが、件の報道はそのまま終了。
なぜ、こんな馬鹿がテレビに出るのですか。
議員の不逮捕特権と、歳費の保障は、不当な政治目的による少数派の弾圧を防止するための制度です。
宗男の件が全て政府のねつ造でないという証拠はないではないですか。
これらを説明した上で、本制度そのものを批判したり、宗男の場合は不当逮捕のおそれがあり得ないので差違非保証の必要はない、というのはまっとうな主張ですし、それは拝聴に値するものです。
ところがこの報道担当者、公共の電波で己の愚かな見解を垂れ流しているだけです。
依然として、テレビの電波は有限の資源なんですよ。
テレビの直接的侵入性とその利用形態を考えると、その番組を見なければいいという言い逃れは成立しません。
普通の人が本制度の趣旨などを知らないことは、全く問題のないことです。
しかし、無知な人間がテレビに登場することは害悪でしかありません。
世の中に誤った意見を広めるのはやめるべきである、という職業倫理を忘れないで欲しいものです。

6/20
今日は風邪をひいてしまい、寝ていました。
やはり、毛布もかぶらずに寝てしまったのが原因かと。
先日のサッカー敗戦時の渋谷駅で感心したことを忘れていました。
自分はてっきり、トルシエなどの責任追及の声がかまびすしく、渋谷はあれにあれているものだと思っていました。
それが無く、全員素直に日本の検討をたたえ、感謝の意を表しております。
人間として最低限のマナーではあると思いますが、それを守るのは大変なこと。
国籍とは無関係に、純粋に競技を楽しんでください。
更新は、「ローマ人の物語」文庫版第一巻の概要です。
(今のところ第1巻は2回通読し要点をまとめている段階です、第2巻は半分程度読みましたが、ここではその内容に言及はしません。)

6/18
日本が負けたそうで、その夜の渋谷駅のこと。
相も変わらず、青い人々が渋谷駅前のハチ公周辺の広場を占有し、「トルシエ日本」と連呼しておりました。
そしてその周りをたくさんの警察官さんが取り囲んでおります。
さしたる混乱もなく、日本が勝ったひよりも人も少なく、自分としては喜ばしい事態でした。
ポーツマス条約の締結時のように、暴動と派出所の焼き討ちなどがあるとそれはそれで楽しいと無責任にも期待していたので、少々残念ではあります。
先日の勝った日は、警察官さんが馬鹿に絡まれていました。
「ああっ、お気の毒に。あれは悪質なクレーム電話と同じだな。ストレスたまるだろう。」等と思っておりました。
強大な権限を背負っているからこそ、その権力は抑制的に行使されるべきであり、であるが故にこそその権力は信頼を受けるのです。
個人的にはあれは公務執行妨害罪で捕まえたくなってくる気分でした。
本日はこのような混乱は見受けられず、警察は混乱の回避のために、一応出動していると思われる状態。
ところがここで、重大な事件が発生。
このハチ公前の広場には、すみの方に交番があります。
そしてその交番の二階から、警察官がカメラにて声を張り上げるサポーターをカメラで撮影している場面を私は目撃しました。
この点最高裁はこのように判示しております。

「憲法13条は、国民の私生活上の自由が警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべき事を規定しているものということができる。そして個人の私生活上の自由の一つとして、何人もその承諾なしに、みだりにその容貌・姿態を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも警察官が正当な理由もないのに、個人の容貌等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。」
この基準に当てはめるならば、このように判断がなされます。
昨日はサポーターが集まって歓声を上げていたが、それはきわめて統制の取れた静かなものであった。
そしてそこに犯罪を予見させる要素はなく、撮影を相当なものとする「正当な理由」は存在しない。
従って、今回の交番の二階からの撮影行為は、憲法13条の保証する「自己の情報を管理する権利」(プライバシー権)の侵害にあたり、違憲的な公権力の行使である。
(警官は記念に残したかったのかもしれませんが、制服を着て、職務時間中に、派出所の二階から、撮影することをもって違法な証拠収集ではないとの主張は許容されません。)
撮影した本人自身は恐らくこのような問題意識はないものと思われますし、証拠を保全すべきという職務上の義務に従ったまでのことでしょう。
問題なのは、一般の警察官にそのような指揮命令がなされている点です。
指揮命令を発する人間は確実に上記判例の存在と趣旨を理解しているはずですし、いかなる法律上の問題が存在するかも知り抜いているでしょう。
その上でかかる指示が存在するわけですから、人権を尊重するという根本的な次元での姿勢が警察内部には欠落していると評価されるわけです。
もっともこの点に関しては、警察の民主的コントロールを怠る一般国民の側にも責任がないとは断言できないと思います。
権力にはその濫用の危険が不可避敵に存在するものであり、故にそれは不断の監視のもとになくてはならない。
そしてその監視の主体は、主権者たる国民である。
この点を見逃してはなりませんね。
ちなみに最近の防衛庁のリスト作成問題で思ったことがあります。
あまりにも問題が基礎的すぎて報道がないのだと思いますが、当該リストに情報公開請求者の思想信条が含まれているという点には、かなりの問題があります。
憲法は19条において思想信条の自由を保障しております。
そして同権が保障されるということは、それが公権力によって調査されることがないという消極的な保障を含むものなのです。
(例えば、外国旅行の自由があっても、帰国の自由がなければその保障は絵に描いた餅というものです)
しかも思想良心の自由はその人の内面の問題であるという点で、他の人権との衝突の余地がなく、絶対的な保障を受ける権利です。
このリストの作製は、完全な思想信条の自由の侵害行為です。
戦前の特別高等警察とやっていることが同じではないですか。
私的にはこの事件は、小泉内閣が潰れるにふさわしい理由であると評価しています。 <

6/17
本日は、久しぶりにお休みにしました。
やはり人間、週に一回ぐらいはだらだら過ごす日がないといけません。
まず先日からやっていたサクラ大戦3ですが、途中放棄せざるを得ない状態に追いやられました。
理由は簡単、我がドリキャスが正常な動作をしてくれないことです。
ほとんど最終版の箇所にてフリーズ、10回ぐらいは繰り返しましたが改善の兆しなし。
途中の画像が異常であること、等から、原因がディスクの傷のみとは考えられません。
さようなら、サクラ大戦3。
今日はそれなりに大往生やりました。
4回やってそのうち3回5面にいけたので、かなり安定してきたといってよいでしょう。
4面エクステンドの取り方もそれなりに分かってきました。
パカパカパッションは、最近はボタンを4つ使うハードモードの一番簡単なメロディーパートに挑戦中です。
キーの数が4つになっただけで混乱を来してくるのですが、ようやく思い通りのボタンが押せるようにはなってきました。
ただ、まだタイミングの方がついていけていません。
ハードモードでは2曲目でゲームオーバーです。
肝心の「ラブひな」ですが、結構面白いです。
まず、6話構成でワンプレイはたぶん2時間ぐらい。
物語分岐は乱数に依存しているので、複数回プレイが必須と思われます。
そしてこの分岐のための乱数には、よい方向に進むための修正値が存在します。
なんとこの修正値は、ゲームをクリアしても継続して高まり続けるようです。
最初のプレイでは景太郎の東大合格判定値はZ(−100%)だったのですが、ゲーム中に何回か存在する「勉強」判定の修正値の蓄積の結果として、最終的にはA判定になるものと思われます。
そしてこの乱数決定の方法は、ルーレットなのですが、「七色ドリームス虹色町の奇跡」のように容易に目押しによる任意のマスの決定ができるものではありませんでした。
この点が完全なランダムなのか、意図した結果を出せるものかは最初のプレイでは全く判明しません。
ただしルーレットの成功がお話を面白くするかというと、必ずしもそうとはいえないようです。
「街」がバッとエンドに面白いのが多いのと同じ事でしょう。
ストーリーは、景太郎に突然家庭教師(藤沢瑞穂、オリジナルキャラ、現役東大生)がやってきて、景太郎が東大に合格しなかったら彼女と結婚させられるというもの。
だれもラブひなのストーリーに合理性は期待していないので、問題無しです。
神話学的に説明するならば、このゲームの少女達は景太郎と戯れる役割を負っているからこそあのように振る舞うのであり、景太郎には露天風呂を覗いたり、おパンツを見たりという役割が与えられているわけです。
故にこそ、前提状況は不要であり、説明を求めるのは愚行に過ぎないのです。
そもそも原作知らない人はこんな馬鹿なゲームはしないでしょう。
ラブひなといえば、本当に好きな人はコミックス版での中盤まで(東大合格以前)、アニメ版は別物という評価をしていると予想されます。
このゲームはやはり絵柄は(カラーなので)アニメ版に準拠しているようですが、キャラクターの性格設定などはむしろコミックス版に忠実なのではないかと(ファーストプレイの範囲内では)評価できました。
ただやはり、キャラクターにしゃべられてしまうと(アニメ版と同じ声優がしゃべります)、違和感を感じざるを得ない面も多々あります。
個人的には「成瀬川、むつみ、素子」以外のキャラクターの声には不調和を覚えます。
ワンプレイが短いかわりに、くり返しプレイが必要というのはよいですね。
核イベント毎にキャラクターの人数分の判定が存在するので、少なくとも7回は遊べそうです。(やる気があれば)
また、キャラクター毎の「ときめき度」もプレイ毎に継続されて行くので、複数回のプレイが無くては成功側の選択肢を確実に見ることはできないようです。
(キャラクターによっては初期設定での判定成功率が1/12)
悪くないです。
それと、一回クリアして初めて気が付いたのですが、デモ画面のまま放置しておくとテレビ版と同一のオープニングアニメーションが始まりました。
気合いが入っています。

6/16
本日馬鹿なものを買ってしまいました。
ドリキャス版「ラブひな、突然のエンゲージハプニング」
理由は1200円だったから。
30分ほど起動してみましたが、たまらなくチープな作りが好感を誘います。(日本語がヘン)
今日はなんと、夕方の7時半から12時半まで、ミスタードーナッツで勉強してました。
追い出されても文句の言えない状態です。
この間の注文は、アメリカンコーヒー+オールドファッションの400円あまりのみ。
私がこの店の好きな理由の大きな要因の一つに、コーヒー飲み放題というものがあります。
これがあってか、かなり勉強している人が多いですね。
それと、閉店時刻が比較的遅い事です。
まず、入店から1時間半は暗記もの、それから2時間半ほどを論文問題、残りを再び暗記物といった時間配分。
何故にこのようなことをわざわざ書いているかというと、それを可能とする素晴らしい要因を発見したからです。
その主題とは、「ペン習字」。
(ちゃんと決意した日以来、少しずつやっています。)
つかれる、10分ほどペン習字で気分転換。
背筋は伸びるし、集中力も回復するし。
再び勉強。
これはいいものだと思いました。
ちなみにこの間、飲んだコーヒーは6杯あまり。
さすがにこれだけ飲むと、胸焼けになってきます。
(私はコーヒーはブラックが基本ですが、体に悪いそうでミルクだけは入れることにしています。)
嫌な客。

6/15
昨日日本のサッカーが勝ったらしいです。
少しも嬉しいとは思えなかったのですから、こればかりはどうにもなりません。
私はお祭り毎とは無縁な人間です。
ただ、その勝利に伴う渋谷の混乱は凄まじいものでした。
夕方6時の渋谷駅前(NHKのニュースでいつも写っている大きな交差点のところです)、多数の人だかりが(しかもその半数以上が日本にユニフォームを着用)存在。
「日本万歳、トルシエ万歳」の連呼。
ただでさえ混雑する箇所が、身動きすら困難な有様でした。
約4時間後の午後10時の同じ場所。
ハチ公前広場はその面積の半数以上が警察官によって占有されています。
騒ぐ人々を排斥するには、空間を警官で埋めるしかないとの判断だったのでしょう。
それでも警官のいないか書では未だに人だかりが、歓声を上げています。
横断歩道の直前では警官と若者が口論(若者が一方的に警官をののしっているだけ)をしています。
「おまえらゴミ拾ってればいいんだよ。」
その模様をフジテレビのカメラが中継に来ました。
自分はテレビカメラの真横で、信号が青に変わるのを待っています。
この間、あの巨大な横断歩道を、車から身を乗り出した半裸の男性が奇声を上げながら通過して行きます。
このような車両が何種類かありました。
きっと彼らは、何時間も渋谷駅前の周回を続けているのでしょう。
そして信号が青に変わりますが、いつものような人混みがありません。
渋谷駅から街に向かうことはできますが、なんと混雑回避のために街から駅への移動が警官によって封じられていました。
そして私はセンター街へ。
センター街はまさしく、異界との形容が適切かと。
日本ユニフォームの着用率6,7割程度、見知らぬもの同士が手をたたき合い、抱き合って日本の勝利を喜んでいました。
至る所から奇声が上がります。
正直なところ、私は身の危険を感じました。
私は本質的にその場にそぐわない存在、勝利を祝わないものとして迫害を受けかねない雰囲気が漂っていました。
わたしのが意見からは、あからさまに関係ないよ、という雰囲気が漂っていたことでしょう。
そしていつものように、スポーツランドなるゲーセンに足を運び、怒首領蜂大往生を一回プレイ。
そこには日常の如く、バーチャの対戦など筐体に向かう多数の人々の姿がありました。
狂乱に関心のない人々も、多数存在するのかと、少々安心しました。
そしてわたしは、1回大往生ををプレイして帰ります。
この後もまだ列車の中を含めて3時間程度は、勉強することが必要なので、そのための休憩兼気分転換なのです。
列車はいつもより少し空いており、ちょっとワールドカップに感謝しました。
それにしても、彼らは騒ぐ機会が欲しかっただけなのだろうなあと、あとになって思いました。
そして、騒ぐべき機会に騒げるのは貴重な能力です。
お祭りはそのために存在するんですよね。
この浄化作用こそ、ワールドカップサッカーを含めたスポーツイベントの本質の一つなのかと。

6/13
ペン習字を始めようと思いました。
あまりに下手すぎるわたしの文字、ウェブ上の文書も自筆のものをアップロードできるならばきれいな文字を書く練習になってよいのですが。
不利益を避けるためにも、やるしかないです。
教本を買ってきて、一日30分づつでも続けましょう。
列車の中で、隣の男性が奇妙な週刊誌のマンガを読んでいました。
「ロストチェリーバトル」、童貞喪失をかけた戦い(すみに書いてありました。)なのだそうです。
「ああっ、性行為マンガか」と思いました。
とりあえず女性の裸を書いておけば、ある程度の人気は確保できるのでしょう。
お仕事のためですから、非難はできません。
それにしても、世の中にはなんとセックスを題材にしたものが溢れているのか、と少々呆れました。
でもよく考えると、「たかが性行為、日々の営みで食事と同じです。」と阿刀田高御大も仰っています。
食欲と性欲、どちらか一方が自己の優位を主張できるものではありません。
このように考えると、「美味しんぼ」・「中華一番」などの料理マンガも、エロマンガと差違が無いことに気が付きました。
双方ともに人間の日々の営みを記したものに過ぎないと。
個々でもう一つ、重大な事実に気が付きました。
食欲、性欲を扱った漫画などは多数存在するのに、同じく人間の根本を扱った「睡眠欲」マンガは存在しない。
天下一快眠大会、等の快眠武闘会マンガがあってもよいのではないでしょうか。
「ロストチェリーバトル」というけったいなマンガさえあるのですから、眠りを題材としたマンガがあってもよいのではないかと。

6/11
昨日は死んでいました。
見事に何一つやる気が起こらない。
そこで、起床、サクラ大戦3、深夜、寝る。
本当に以上です。
今日は一日半ぶりぐらいで勉強をしました。
少しの間やら無かっただけで、自分の中から大切なものが失われてしまっているのではないかと心配になってきてしまいます。
勉強を始めるには初期抵抗が大きいですが、一旦始めてしまうと心が安らぎます。
本当の安らぎと解放は仕事の中にこそ存在する、このことを実感します。
今日は課題を持ち帰って、家でもやっていました。
話題は戻って、グランディア2です。
最後になったら、ヒロインの少女の背中に羽が生えました。
ゲームアーツのシナリオライターの趣味らしいという事情は無視しても、「天使=翼」という安直な発想は一体どこから出てくるのでしょう。
悪いのは、ラファエロか誰かですか、というのは冗談として。
聖書にわずかにでも触れたことのある人間なら、天使という存在がいかに恐ろしいものかが理解できるはずです。
エジプトの幼子を皆殺しにしたり、地上に災厄をばらまいたり。
特に黙示録を一度でも読めば、彼らの残虐性と非人道性(当たり前だ)が理解できるはず。
(関係ないけど、テレビで藍より青しが始まりました。)
家庭用機のRPGって、簡単に作るあまりに背景世界や歴史宗教を一切無視するから、筋書きがアホらしくてやってられなくなるのです。
「ローマ人の物語」はあいかわらず面白いです。
要約と感想を書こうと思っていたのですが、すでに膨大な量になることが判明しつつあります。
しかも前提概念の説明などをしているとどうにもならない分量になってしまう。
でも全巻分に渡ってこれを成し遂げると、かなり人に誇れるものとなるでしょう。
最近ゲームでは、音楽ゲームが面白くてたまりません。
ゲーセンでは「パカパカパッション」、家では「ポップンミュージック」。
自分の叩くボタンが、実際に音として奏でられる点がよいです。
しかも失敗すると、完全に音程はずれの音が鳴ってしまうのがまたよいです。
自分の入力と、その直接的な結果を楽しめるという点が、ゲームの原点ですね。
ちなみに、ポップンミュージックはドリキャス版中古を600円で購入、使用ボタンは5つに限定して、スティック(のボタン)ヲ使用して遊びます。
本当は9ボタンを使うので専用コントローラーが必要なのでしょうが、シューティングのように本気でやるのではなくゲームとして楽しむのでこれで十分。
たのしいにょ。

6/10
最近はほとんど日記も書いておりませんでした。
そこまで極端に時間がなかったわけでではないのですが、惰性というものです。
誰に謝罪する義務が存在するわけではないのですが、自分のやる気の無さは恥じ入るところ。
ウェブサイトというものは、継続的な自己の表現行為である、このように思います。
文書化することにより、自己の見解が明確化されるというのは有り難いものです。
最近読んでいるものは、「ローマ人の物語」の文庫版第一巻です。
この一冊そのものは2時間もあれば読み終わってしまうほど文字量は少ないのですが、内容は深いものかと。
行間を読んで、考えて行くと、とことん楽しむことができます。
筆者の(ひいては『歴史』の著者ポリビオス)問題意識の焦点は、何故にローマはかかる大国になったのか、という点にあるようです。
これに対して、私は問題意識として、ローマは「帝国」であったのか、というものを持っています。
このふたつ(密接に関連しているが)の視点を軸に、本書を読み進めているのが、現在の私の楽しみです。
鉛筆片手に、本書を下線、書き込みだらけにしてゆくのですが、実に面白い。
こうして本書を自己の視点で再構成し、「ローマ」を通して歴史を考えてみよう、というのが最近の計画。
そういえば、ようやくグランディア2が終わりました。
中盤のボスで、少しだけ強い奴がいたのですが、あとはやはり弱すぎてゲームにならないというのが残念なところ。
もうちょっと難しくしても、クリアできなくて困る人が大多数になるという事態は回避できたのではないででしょうか。
ラスボスはいつもの如く悪役が出てきて、「私は神なのだ〜〜、神の力を思い知らせてやる。」といった展開です。
基本的にストーリーはただの飾りだと思いますが、それでもやはりこれは少しひどいかと。
「神」という概念を、少しぐらい考えてみてほしいものです。
人間がどうこうできるものでは無いはずですよ、神とは。(そしてドラゴンも)

6/6
今日は久しぶりにお休みにしました。
久しぶりに更新作業、料理(最近は生野菜の酢漬け)、買い物、ゆっくりゲーセン等々。
テレビチャンピオンを見るのも久しぶり。
キャラクターグッズ王選手権、このような内容こそテレビチャンピオンの本領です。
「うわっ、こいつら馬鹿。」これですね。
優勝者曰く、「街で分からないキャラクターにであったときには、帰宅後ネットで調べて、それでも分からないときは会社の広報部に尋ねます。」
この人、クイズゲームにむいています。
本屋さんで発見したのですが、塩野七海さんの「ローマ人の物語」が文庫本になっていました。
ただなんと、ハードカバーの一冊が文庫本だと2分割。
ハリーポッター並みにすかすかの活字量でした。
まあいつか買って、ゆっくりと読みましょう。
件のドラゴンランス戦記も書店で発見。
少々読んでみますと、訳がちょっとかわっています。
「ドラゴンの頌歌」は新版の方が訳が適切で重みがあってよいかと思いました。
それと、内容は読まずに一気に2巻の注釈から読み始めます。
やはりこういうサービスを付けないと、原作の内容を覚えている人間には買ってもらえませんね。
大往生は4面の左右から列車砲台が出てくる場面のノーボムのパターンらしきものが完成。
ただ未だに、エクステンドアイテムの取得法が不明。
レーザーボムを撃つまいとして、砲台に打ち抜かれて死んでいます。

6/5
久しぶりに日記を書きます。
最近は更新頻度が低く遺憾に思いますが、時間ばかりはどうにもならないものです。
先ごろ自分にとっては絶対的な体験をしました。
長くなるので、別紙に書き留めておこうかと思います。
最近はゲームといえば、夕刻ゲーセンに立ち寄って少々ということが多いです。
その中で、一人知り合いになった方がいます。
何を思ったか、今更「ストライカーズ1999」をやり込んでいる方でした。
自分が久しぶりにやって(最近は大往生か式神ばかり)、ボムを連発ながらもなんとかノーミス5ボム程度で一周を果たしたのちに、話しかけて来てくれたのです。
聞くところによると、ここ2月ぐらいこのゲームをやっているが、テクニカルの取り方が全く分からないという話でした。
(4機設定なので、ある程度できればボムの連発でも6ボスまでは行けるゲームです。)
そこで自分は、各面ボスのテクニカルの取り方、ボス中の雑魚の出現法則、角機体の特性など、自分が1年ほどかかって学んだことを全て伝授してみました。
(1999のビデオも貸しです。)
するとなんと、上達が早いもはやい、翌日にはX−36での一周を成し遂げ、それから2週間ほど経った現在ではステルス、ラプター(使いにくい2機種)を覗いて一周を達成、6ボスもテクニカルが安定してきたということです。
やはり、シューティングというものは人に教わると上達が早いものですね。
加えてこの方、もともとかなりうまいようです、自分が抜かされるのも時間の問題でしょう。
でも、誰かをシューティング好きにできるとは、嬉しい体験です。
いつか時間のある日に、一緒に大往生をやってみたいと思っています。

6/1
ワールドカップか始まったからなのでしょうか、昨夜の渋谷は物々しい警備でした。
霞ヶ関(特に東京地裁)の前のように、多数の護送車と、警察の方が立っていらっしゃいます。
原因で暴動でも発生したら、それはそれで楽しいことと、無責任なことを考えてしまうものです。
私自身は正直なところ興味がないのですが、きっと盛り上がればそれはそれで楽しいことでしょう。
お祭り毎に興じることができるのは、できない自分にとっては少々うらやましいことではあります。
そういえば私Jリーグも含めてテレビでサッカーの試合を見たことがありません。
野球よりも面白そうと思いつつ(攻防の展開がはやいので)、一度もじっくりと見たことがありません。
(最近は野球も選手を知らないのであまり面白くないですが)
国際スポーツというものは、どうにも「ナショナリズム」(この用語は適切でしょうか)が目立って好感が持てないと思ったものです。
「日本」という名称がチームと国家で共通なために、チームに向けられた情熱がそのまま国家として結合してしまう点に、違和感を感じると申してよいでしょうか。
ただ、近代スポーツはその成立の当初から国家という要素と密接一体の関係をなしてきました。
ナポレオン戦争で敗戦後のドイツにて、ベルリン大学総長のフィヒテがドイツ民族の統合のためにサッカーの利用を試みたことが、国家とスポーツの結合の始まりと聞きます。
ところが一方で、アルゼンチンのペロン大統領(エヴァ・ペロン、エビータの夫)は独裁政治において国民の不磨をそらす手段としてサッカーを利用していました。
(自国チームの敗北が政治への不満と直結することを彼は理解していたので、自国チームの国際戦参加を禁じていたそうです。)
この点、ローマの剣闘試合とにていますね。
詰まるところ、スポーツはいかようにも利用でき、価値中立的なものであるということでしょうか。
やはりスポーツは実際にやって心身を鍛練し、楽しむもの。
行為自体に意味があるのであって、何らかの目的のために存在するわけではありません。
(このあたり、シューティングなんかとおなじとちょっと思いました。)

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