自然科学、唯脳論

11/14
現在「唯脳論」(養老猛司)を読んでおります。
購入は2年程度前で、途中まで読んでいたのですが何故か中断してしまっておりました。
脳の機能すなわち認識・意識などを扱った書物なのですが、面白いのは著者が解剖学者である点です。
ありとあらゆる事象を、全て脳の構造を元に論じてゆきます。
現状で印象に残っているのは、以下の2点です。
1,脳は(神経細胞)全体で全ての機能(視覚、聴覚など)を果たすのではなく、その各所に機能が散在している。
詰まるところ、視覚野、運動野などが存在するということです。
これ自体は目新しいことではないのですが、重要なのはその理由です。
脳は少数の神経細胞の集合から順に進化してゆきました。
視覚が生じると、それを制御処理するための新しい神経野が生ずるといった具合です。
小さなものが少しずつ機能を追加してゆくという形で大きくなっていったので、現在でも脳は機能がその各所に偏在しているのです。
2,意識について。
ここでは意識を「脳が脳の状態を知っていること」とていぎします。
(これは唯脳論のみでなく多数の本でもこの定義が採用されています)
意識の本質はなんであるかを考えると、哲学的な迷宮に陥ってしまうでしょう。
(自分はこの議論を無価値とは思いません、ただ本書の問題意識からははずれています。)
例えばですが、下等動物に刺激を与えると彼らはそれを避けようと反応します。
刺激を受け神経細胞の興奮は発生しているからです。
しかし彼らは自分が「痛い」ということを知りません。
彼らに「自己の状態を知る」という意味での意識はないからです。
人間に意識が存在するのは、それが進化上の適応に置いて意味があったからです。
それでは、この「適応的」とは一体何であったのでしょうか。
ここで筆者は中枢神経細胞の特質を論じます。
中枢細胞は、末梢神経からの刺激がないと生存できません。(生理学的な事実です)
人類は進化の過程で急速に巨大な脳を進化させました。
この多大な神経細胞が消滅を避けるべく行ったことは、相互に刺激を与え合うということでした。
これが、意識の起源であったのです。
以上が今まで読んだ箇所の概要です。
本日は隣町の亀有のゲームセンターまで足を運びました。
目的は「ゲームセンターフジ」の犬福に自分の名を残してくることです。
(犬福のハイスコアはバックアップされています)
4回やりましたが、結局だめでした。
自分の未熟さを再確認した次第です。
これは別にどうでもよく、本質は違うところにあります。
なんと、98問目で出会いました。
問題、「椿姫」の作者はだれか?
選択肢には二つの正解「ベルディ」が。
これがかの開発者が見逃したバグ問題か、と感動しました。
正解は1/2の確率なのですが、あえなくここで死亡。
ふう。


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