政治、新しい歴史教科書

11/16
ミスタードリラー2はなんて難しいのだろう、
いつもそう思います。
ドリラーGは最近はホリアタルかアンナホッテンマイヤーです。
アタルのスピードが標準になってしまいました。
数日前の掲示板を見て思ったこと。
戦争責任に関してです。
まず「責任」とはなんなのでしょうか。
非難可能性がその本質であり、何らかの不利益を追うことがその結果でしょう。
先の大戦ですが、そのころのは自分はおろか両親さえも出生していません。
自分が何らの行為を行っていないので、直接的な行為責任は皆無といってよいでしょう。
では道義的責任、という議論が生じそうですが道義的に責任がとれるのは自分に何らかの原因がある場合のみです。
関係もない人間が謝罪したところで、被害者の方々にとって無益でしょう。
個人責任の原則が存在する以上、自分に非難可能性は存在しません。
では日本国が責任を負い、その構成員である自分も連帯という可能性がありそうです。
この議論が成立するためには、前提条件として自己を超越する国家の概念を受け入れる必要があります。
ところがですが、自分の政治的心情は哲学的意味でのアナーキズムです。
その意味するところは、国家は存在しない方が個々人の幸福にとって良いとの想定の上に、国家の正当性に疑問を差し挟むことです。
もちろん、国家が不要との考えは現実的ではありません。
ただ、国家権力の正当性に対する疑念という視点は常に持ち続けなくてはいけません。
こういう心情を持つ以上、自分は上位概念としての国家など肯定しません。
であるから国家に連帯する構成員の責任との考えを自分は退けます。
であるならば、最終的に残るのは植民地支配による不当利得のみでしょう。
これも法的に厳密に解するわけではなく、植民地統治によって日本は利益を得たという程度の意味です。
このくらいでしょうか、自分がなんとか正当化可能なのは。
その効果は利得の返還、つまりお金ということですね。
以上の議論は、個人のレベルにおける責任の問題であって、国家レベルではないことにご注意を。
あの「新しい歴史教科書」ってやはり難しかったのでしょうね。
書き込んだ相手方はその行間を楽しむということができなかったとおもわれます。
古代日本が新羅・高麗から朝貢を受けた。
この記述にしたところで、朝貢・冊封・中華・小中華・帝国という概念の理解がひつようです。
この「帝国」はかなり難しい概念で、それを理解するためには対概念の「国民国家」との対照が必要です。
国民国家を理解しようと思うなら、近代ヨーロッパ史を理解していることがひつようでしょう。
相手方は成人であることが推測されますが、成人にわからなかったらたいていの中学生は理解できません。
ところで、あの初回の書き込みはなんだったのでしょうか。
初めは馬鹿だと思いました。
でも、まともな意見を書いてくれるというのは大変に貴重だということは間違いありません。
ネット上には議論は成立しない、悲しいですがこのような事例が多すぎますね。


戻ります
inserted by FC2 system