文化、ロマ(ジプシー)

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帰省、更新、等をはさんでずいぶんと間隔が開いてしまいました。
ここでは帰省中にNHK衛星放送で見た「ロマ」の番組について記します。
自分の備忘録ですね。
「ロマ」とは俗に言うところの「ジプシー」のことです。
番組のタイトルが「ロマ」であったのは、恐らく「ジプシー」が差別用語か何かで正式名称ではないからなのでしょう。
ロマとは、ヨーロッパで放浪の生活を送る民族です。
この定義は誤っているのですが、実のところ自分のジプシーの知識はこの程度しかありませんでした。
初めてその単語を聞いたのは、小学校で読書感想文で読まされた「シャーロックホームズ、まだらのひも」です。
(推理小説で読書感想文を書かせるとは、一体何を考えていたのでしょうか?)
その中で「ジプシー」は伯爵だかなにかの悪役のお屋敷の中で滞在している、気持ちの悪い連中との描写がありました。
一体何をしている連中なのだろうと、小学生心に疑問に思ったものです。
(この描写からして、ドイル先生偏見炸裂ですね)
その正体が判明したのは、この番組でした。
「ロマ」とはルーマニア方面に一応の根拠をおく人々で、その起源は11世紀頃のパンジャブ地方にあるそうです。
異民族の進入によって西方に移動して至ったそうでした。
彼らは永続的な生活の根拠地を持たず、馬車による放浪生活を送ったそうです。
これに関しては、恐らくヨーロッパ世界では彼らに土地所有権が認められなかったのでしょう。
華僑やユダヤ人と同じであろうと推測します。
ところが彼らは文明の先進地域インドからの移住者で、製鉄、金属加工の技術を有していました。
この点に目を付けたヨーロッパ世界の支配者たちは、彼らに通行許可を与える、保護を与える等してその技術を利用したそうです。
11世紀といえば、ヨーロッパならば中世の大発展期です。
アルプス以北の開発、すなわち大開墾時代に力を発揮した鉄器というのも、もしかしたらロマの人々の功績かも知れませんね。
こうしてロマの人々は、生産手段を持たないながらも、(生殺しの状態で)そのまま生き続ける事になりました。
彼らの生業は、金属加工業です。
各地の農村を渡り歩き、鍋、釜、農具といった生活必需品の販売、修理が主体でした。
自分はこの番組を母親と一緒に見ていたのですが、彼女はジプシーの生業は歌と踊りだと思っていたそうです。
実は自分もそうでした。
冷静に考えるならば、そのようなもので生きていくことなどできるはずがないのですが。
この見解に代表されるように、ロマの人々は差別と偏見の対象でした。
生業に就かず(と定住民は思ったのでしょう)、泥棒まがいの商売をし、異なる風貌を持ち・・・。
番組においては現在のルーマニア国内でもロマに対する偏見が根強いことが見て取れました。
彼らの間近に住む人々すら、理解がないようでした。
このような被差別民ですから、当然に迫害の対象となりました。
ナチスには絶滅対象民族に指定され、収容所で死んだロマの人々は推計で60万人以上。
ユダヤ人の1/10程度は殺されていますね。
さらに彼らにはユダヤ人のような圧力団体となりうる組織はありませんでした。
したがって、戦後のドイツ政府から得られた保証はゼロ。
なかなか厳しい現実ではありますが、ドイツも日本と同じと希望の持てる解釈もできます。
第二次大戦後の世界を国民国家が覆い尽くした段階においては、彼らもその移動を制限されて主たる居住地であるルーマニア国内に住むこととなりました。
チャウシェスク大統領(懐かしい名前です)の統治下で、彼らは同化政策の対象となり、その移動生活は禁止されました。
彼らがその自由を取り戻したのは1990年代の民主化以降のことです。
ところがソ連が崩壊し、それに変わったのは権力の亡者共の利用した民族主義でした。
ロマの人々は皮肉にも民主化によってさらなる迫害にさらされることになります。
いわれなく殺害されたり、村が焼き討ちになったり。
このような彼らですが、それでも力強く旅の生活に出発します。
彼らの金属加工ですが、材料は何と車のボンネットなどの廃材。
それをハンマーのみで加工して、ナベ、バケツ、さらにはサケの蒸留機などまでも作成します。
本当に見事な技でした。
職人芸です。
一枚の鉄板が、磨かれ丸められ、釘で止められ(釘も同じ鉄板から自作です)、組み合わされ。
一つの形をなしてゆくのです。
しかしながら彼らの生業も、大量機械生産の時代の風潮には抗しがたいものがあようです。
どんどんものが売れなくなっているそうで、彼ら自身もはや放浪生活が維持しがたいものであることを感じていました。
以上が「ロマ」の人々の生き様、面白い番組でした。


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