文化、チベット

3/12
深夜12じからのNHK特集を見ました。
現在の西チベットの遺跡に関するものです。
10世紀から17世紀に至るまで存在した、クゲ王国の遺跡でした。
まず、このチベット高原というものには格別なものがありますよね。
自分などは「カイラス」という地名を聞いただけでもううれしくなってしまいます。
極低温に凄まじい乾燥、荒涼として赤茶けた大地、氷河の削り取った不毛の跡地。
そびえ立つ高山に、白い雪。
何と神秘的な情景なのでしょうか。
ラブクラフトの「レン高原」、この単語が自ずと脳裏に浮かびます。
ましてや、遺跡が山麓にあったときには。
話題は戻りますが、問題の遺跡はピアントンガという地区の山麓のに発見された石窟群です。
敦煌莫高窟といえば話は早いでしょうか。
内容はチベット密教の宗教画で、あの極彩色のものです。
この王国は中間交易と黄金の産出で栄えたそうでした。
交易といえば、この王国の所在地はあのシルクロードの天山南道のすぐ南です。
(天山南道、同じくこれも単語を思い浮かべるだけで心が晴れ晴れとしてきます)
天上のシルクロードという名称もあるそうですが、合計5つの交易路の結節点に当たるのがこのクゲ王国だったということ。
さらには黄金を目指して、西域人から中国人まで(壁画が残っています)。
大変に富み栄えていたようで、壁画には黄金をそのまま張り付けるなどの装飾が多数見られました。
この遺跡は現在は荒涼とした丘陵地なのですが、当時は灌漑農業が行われていたようです。
用水路や畑の痕跡が現在でも確認できました。
現状と比較して思ったのですが、この王国の崩壊の一因として土地の荒廃があるのではないでしょうか。
森林の伐採と灌漑による塩害の進行、そして農業生産力の低下。
現状の荒廃ぶりを見るにつけ、メソポタミアやエジプト同様の衰退過程を文明がたどったのではないかとすいそくされます。
そしてこの王国の滅亡は1630年。
もはや交易の主体が陸上のシルクロードではなく、海上に移った時代ですね。
こうして中間交易の利益を失い、土地が荒廃して衰退していったのでしょう。
どうでもいいのですが、滅び行くものの美しさがあります。
そういえば、高校世界史ではこんな王国のことはならわなかったものです。
手元の「岩波書店、世界史小辞典」を開いてみても、ソンツェン・カンポ、ダライラマという単語しか無いですね。
最近発掘されたばかりだそうですから


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