政治、憲法改正

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最近有事なんとか法というものが可決されたそうです。
人とこの話をしていました。
自分が、「有事立法以前に、憲法の改正手続きさえ整備されていないのだから、まずそちらを法制化すべきではないか。」
との趣旨の発言をすると相手方は「それってあの、第9条の話?。国会が2/3で変えるやつ?」とのことをいいます。
そこで憲法改正の話になったのですが、話を進めるとどうも相手方には、憲法の改正権者は国民であるとの認識がありません。
国会が変えて、国民が国民投票で承認するのだと思っているようです。
そこで、憲法の改正権限を持つのは国民ひとりひとりであること、国民主権とは憲法制定権であること、国会という機関が行うのはあくまで改正の「発議」にすぎないこと、を説明しておきました。
この点問題があるのは、通常人が憲法について学ぶ唯一の制度的機会である中学校での教え方に問題があるのではないでしょうか。
要するに教師が上の趣旨を何一つ理解していないということです。
自分の分かっていないことを人に教えることができないのは、自明の真理なわけで。
大学でも一番最初にならう分類の議論ですし、これこそ憲法の根幹部分であって誰でも一冊教科書をよめば理解できるはずなんですが。
メディアなどでも憲法改正論議はしばしば耳にしますが、憲法改正権の本質など最も重要な部分の議論が完全に欠落しているようにおもわれます。
憲法改正といえば9条、という発想はいかがなものでしょうか。
人権条項とか統治機構部分とか、より改正を考えるべき部分はあるのではないでしょうか。
そもそも、改正手続き法制化をを自民党が議論すると、かならず頭の悪い奴らが9条問題につながるとして議論を拒否します。
一切の改正手続きがないからこそ、解釈の変更による憲法の恣意的な運用がもたらされるのではないでしょうか。
全ての人権保障は手続き保証から始まったという、歴史的経緯を理解して欲しいものです。
ちなみにですが、自分的には自衛隊は違憲の存在であると思います。
政府見解の、自衛隊は9条2項の「戦力」には該当しない、との立場は文理上無理があるというものです。
だからといって、自衛隊をなくそうとかいうことは思っていません。
そのようなことがあった場合には外敵の進入という事態がなかったとしても、力の空白による大きな政治的混乱を極東世界にもたらすことになるという見解に自分は理を見いだします。
かわるべきは9条のほうでしょう。
建前できれい事を抜かしておきながら、これだけの戦力を抱えた国は自分ならば信用できません。
だからといって、現状の戦力は過剰かとも思います。
ただどの程度の戦力が必要かといわれると、完全に自分の理解を超える問題です。
本当は一切持たないのが最良なのですが、「囚人のジレンマ」というやつですね。
そこで私の憲法改正の案です。
語尾を全て、「にょ」、にあらためる。
これにより、全ての人にとって憲法が親しみやすく理解しやすいものになるのではないでしょうか。
13条、
全て国民は、個人として尊重されるにょ。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とするにょ。


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