文化、娯楽番組の普遍性

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連日の睡眠不足のせいか、ついに風邪でダウン。
早めに帰って寝ておりました。
夕刻にはすでに帰宅しているというのは大変に楽なのですが、その分勉強ができない。
(家でやれないのが悪い。)
やはりワンルーム暮らしというのは、生活空間と勉強空間が一体化しているのがいけません。
机の上にはパソコンがあって(卓上面積のかなりを占有しています)、テレビがあり、床にはゲーム機が転がっていて、となりにベット。
これで勉強をするほど精神力は強くない。
やはり住宅事情が悪いせいでしょうか。
書斎が欲しいものです。
久しぶりに見た番組が、たけしのまるみえ(題名?)、日本テレビ系列で月曜20じ〜21時までの番組です。
私がこれを見だしたのはここ数年ですが、それ以前のはるか昔からやっている、大変な長寿番組ですね。
世界不思議発見につぐものがあります。
外国の報道番組を紹介するだけなので、対してお金はかかっていないと思いますが、大変に面白い。
ゲームと同じで、面白さは費やした費用とは無関係であるということを実証するような番組です。
私はたいていの民放番組は、芸能人がみうちで盛り上がっているだけなので嫌悪しています。
しかもこの何らの普遍性を有しない話題を理解することが、同時代性の証であるととらえる昨今の風潮に関しては、その愚かさに愛想が尽き果てます。
この意味で良質の娯楽が存在しないからこそ、私は教育テレビのドキュメンタリーぐらいしか見ないのです。
馬鹿の芸能人につきあうくらいなら、自己の見識を磨くという直接的な楽しみを得られる行為に時間を費やそうというのは当然の発想かと。
「まるみえ」は芸能人同士がうちわで盛り上がることが比較的少ない、許容範囲内なのでよいです。
こういうのを見ていて思うのは、たけしやタモリ(自分が見るのはタモリ倶楽部の彼のみ)といった高位の芸能人は、その言動が純粋に(前提条件や知識なしに)面白いということです。
そうもいかない芸能人はやはり、芸能界の知識を前提に、初めてその言動に面白さが認定できるという場合が多いかと考えます。
(その意味で芸能人の物まねは最低)
誰が見ても楽しめる、これが娯楽の最低条件ではないでしょうか。
ハリウッド映画というものは、この点だけはかなり配慮があるので自分は高評価です。
もっとも、米国内でもヒスパニックなどの英語を解さない人に見てもらうためには、当然の前提なのでしょうが。
やはり合衆国は偉大だよね、と思わされる一面でしょうか。
現状のハリウッド映画の問題は、誰もが理解できるという要件を充足するために、その方向性としてCG他用と暴力、セックス主体という安易な道を選んでいる作品が比較的多数見受けられる、という点に存在するのだと思います。
そして普遍性=技術との錯誤を抱いた、大局的視野に欠けるものたちがその方向に追従しているのが世界の現状なのではないでしょうか。
明白な例として、日本のスクウェアとか。
同じハリウッド映画でも、「風邪と共に去りぬ」、「ベンハー」といったクラスの作品は、、物語として本当に面白かったと思います。
これらの作品も、当時としては最先端の技術を使用していますが、映画の趣旨が技術を見せることにはなく、あくまで物語にあったという点が現状の作品との最大の相違点であると思います。
(たぶん、タイタニックもこの分類の名作に入れてよいかと思います。たとえ話が少々安っぽくとも。)
面白さはどこに存在しうるのか、この点は重要ですね。


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