ビデオゲーム、Wiz6

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前回の続きであり、ウィズ6以降における転職戦略の是非についての議論です。
繰り返すと、ウィズ6以降において転職戦略が有効なのは「スキル」という成長システムのためでした。
そしてスキルとは、1〜100までの数値で表され、その「スキル」さえ持っていれば職業に関係なく他の職種の特殊能力を使用できるものです。
つまりシーフのように物陰に隠れられ、マジックユーザーのように呪文を使用でき、忍者のように首をはねる戦士も作製が可能なのです。
事実上職業の違いは、装備できる武具防具程度の違いしかない、と断言してよいでしょう。
詰まるところ、パーティーの全キャラクターが上の戦士のようにあらゆる能力を兼ね備えるようになって行くのです。
その結果、キャラクターの差違が一切なくなってしまう、との評価が成立するでしょう。
そもそもウィズとはプレーヤーのイマジネーションで成立しているゲームでした。
エルフといえば、非力にして長身、アーモンドアイに高い知性、1000年を超える寿命等というものは、プレーヤーにとって説明の必要すらない当然の知識でした。
ドワーフのファイターならば、ずんぐりむっくりに白いひげ、木工細工が得意で武器はバトルアックス、これも当たり前の知識です。
名前と数値しかない自分のキャラクター、そしてモンスターはこのある程度の知識を前提とした上の想像力によって補われるべきものでした。
そしてこのような特徴は、各キャラクターにできないことがある(ゲームシステム上の制約によるものです)からこそ成立しうるものでした。
例えば上のエルフ、これが強靱な生命力と腕力を持ち、並み居る敵を巨大な剣で薙ぎ払って行くことができるとしたらどうなりますか。
プレーヤーの中での「エルフ」というイメージには合致しないものでしょう。
ウィズから想像力を取り去ってしまったら何が残るか?
そこにあるものは、純粋な数字のみです。
体力、攻撃力、呪文という数値が残るだけ、それでは大量生産される戦車と同様です。
ウィズ5以前においても転職によって多くの能力を身につけることは可能でした。
しかしそこでは転職による大幅な加齢という、システム上の制約があったのです。
対してウィズ6以降では、キャラクターは一心同体、ゲーム開始から最後まで離れることができません。
転職によって加齢がなされるなら、リアリティが大幅に害されることになる、との理由による制約の解除だったのでしょう。
(対して5以前のウィズはキャラクターはあくまで独立事業者で、パーティーの組み替えは自由)
ゲームシステム上、転職に対する制限が全くない、これがウィズ6以降が評価されない最大の理由と考えてよいでしょう。
故にキャラクターはひたすらに転職を繰り返すばかり、みんな同じになってしまうではないか、と多くの人は思ったのです。
この批判は一面の真理ですし、それに対する弁解の余地はありません。
ウィズというゲームは初代からずっと、プレーヤーのイマジネーションを尊重しておりました。
しかしその一方で、ひたすらに強力なキャラクターを育成する、という遊び方も可能とするものでした。
そして、後者の遊び方を採用していたプレーヤーもかなりの割合に上ったはずです。
この視点に立つならば、転職とスキルシステムは程良く複雑化してキャラクター育成の楽しみを大きく増した、と評価することもできるのです。
少なくとも以前のウィズだと、メイジとプリーストの呪文を覚えたら、あとは村正、ガーブオブロード、クリティカル、とこの三種類から何を選択するかだけがキャラクターの育成という単純なものでした。
(でも、この上なく面白かったのですよ。)
対して6以降のウィズ、呪文は4領域に、首はね、隠れ、解錠、泳ぎ、等々成長要素は呆れるばかりに多数存在します。
育て甲斐があるんですよね。
私がネットで見たところによると、概して6以降のウィズを評価するのは従前のウィズで戦車を作っていた人間が多いようです。
(戦車、思い入れはなく、ただ万能で強いだけのキャラ)
以上が転職戦略の是非に関するものでした。
次回以降は転職の残り、そしてもう一つの主題である謎解き、という方面を論じる予定です。


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