文化、古事記、近親相姦

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古事記の続き。
允恭天皇の子の「木梨の軽の太子」とその実の妹の「軽の大朗女」との近親相姦の記述があります。
これはいかなる趣旨で記載されているのか少々疑問を覚えます。
公式の書物ではないとはいえ、多くの人に読まれることが確実であろう皇室の系譜が古事記です。
そこに一見恥とも取れる、近親相姦があるのはなぜか?
可能性を少々考えてみました。
1,近親相姦の禁忌はなかった。
少なくとも神話中では近親相姦はありふれていますし、各国の王室でも近親相姦は通例でした。
そのような禁忌の存在しない部族もあったと聞き及びます。
(そもそも、「いもうと」と「妻」を同じ「妹」という文字であらわすこと自体、古代においてこの両者が同じであったことを示しているのではないでしょうか?)
近親相姦の禁忌の理由が女性の交換構造にあるならば、交換が不要ならばその禁忌は不要と思われます。
2,近親相姦を犯した者は死ななくてはならない、との規範を示す。
この逸話では、上の2人は死んでおります。
まあ、一般的な解釈でしょう。
3,編集者が近親相姦マニアだった。
この程度の理由が推測されます。
このように古典には、何故に存在するのか(政治的には削除されるのが好都合であるのに残っている)不明なものがあるのが面白いです。
同様に不思議なのは、やはり「創世記」でしょうか。
有名どころでは以下のようなものがあります。
1,「そうだ、我々に似せて人間を造ろう」という唯一神の言葉。
唯一神なのに、どうして複数形で自称するのでしょう?
2,その後カインは女を妻とした。
人間はまだ、アダム、エヴァ、アベル(死んだ)しか存在しないのに、その女は何者?
バチカンはこのような箇所を不適当として削除もしくは修正しなかったのは何故なのか、大変に疑問名ところです。


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