宗教、他界観

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高円宮が無くなったそうで、葬式のことを「入船の儀」というそうです。
直接には棺桶のことを船といっているのでしょう。
しかし根本には死を他の世界への移行とする理解があるものと推測されます。
つまり、船に乗ってどこかにこぎ出して行くわけです。
この船って、ピラミッドから出てきた太陽の船と機能的には同じなのでしょう。
常世の国にでも行くのでしょうか、それとも皇族ならばその発生地である高天原に帰って行くのか。
少々面白いと思いました。
ちなみにですが、「死者の国」という言葉自体が、死を場所的移行とする理解の現れではないでしょうか。
異なる次元空間ではなく、この同じ世界の中に「死者のくに」は存在すると。
この点死者の国は「根の国」等とされ、地下深くに存在するというのが、日本、ギリシアなど世界各国の共通神話的理解のようです。
そういえば、「よみがえり」という言葉の構成を考えたことはありますか。
「黄泉」の国から「返る」からこそ、「黄泉帰り」すなわち「蘇り」なわけなんです。
死を空間的移行ととらえた事が、この単語にもよく現れていると思います。
これに対抗する概念が「彼岸」というやつでしょう。
現実の生者の世界とは隔絶した別の世界に、死者の国は存在するというやつです。
歴史的に考えるならば、死者の国は我々と同じ世界に存在するという理解から、別々の世界に存在するという理解に写っていったものと思われます。
そもそも別の世界や次元という発想自体、かなり哲学的観念的な理解はあります。
宗教の影響であって、人類の自然の発想ではないですね。
皇室儀礼には、日本古来の、極めて原始的な宗教観念が濃厚に反映されており、大変に興味深いです。
そして死は病院に秘められ、日常世界から隔絶されたのが現在の日本でしょうか。
死者はその国さえも奪われてしまった、このように評価してよろしいでしょう。


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