自然科学、カイロプラクティック

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テレビで「担当者出て来い」という番組をやっておりました。
「カイロプラクティック」の特集番組です。
番組の趣旨は、以下。
「アメリカではカイロプラクティックは4200時間の講習を経て取得できる確固たる医療資格である。ところが日本の同療法は何らの免許精度がなく、知識のない療法士が蔓延し、被害が続出している。国は同療法を規制監督し、資格制度を確立すべきである。」
まず第一に私が思ったことは、カイロプラクティックを信頼すること事体に落ち度があるのではないか、というものです。
カイロプラクティックとは、万病の原因は脊椎のゆがみにある、ゆえにそのゆがみを強制することによって、病気の治癒が可能である、とのものです。
この理屈事体が何らの信憑性も置けないものですから、その療法に実質的効果があるはずが無し。
私がこれを知っているのは、純粋に「奇妙な論理」(社会思想社、現代教養文庫、マルティンガディナー著)を呼んだからです。
たかが文庫本一冊で手に入れられる知識、それで同療法の信憑性は十分に判断できるというもの。
この程度の知識も無しに信頼するとは、少々信じがたい事象です。
自己責任とは、このようなことをいうのではないでしょうか。
全面的に悪いとはいいませんが、被害者の側にも落ち度は大きいという、詐欺と同じことがいえると思います。
ちなみに、番組ではカイロプラクティックの内容は「背骨のゆがみを矯正することで、自然治癒力を高める」と説明されていました。
これは同療法の弱点であった、ウイルス性疾患なども背骨のゆがみと説明したことを、後世に補強したものでしょう。
本当に首尾一貫性のない理論です。
次に私が思ったのは、国家がこれを資格制としないのは、そもそも療法に根拠がないからである、ということです。
同療法を資格制とするということは、国家がその有効性を認めるということになるのではないでしょうか。
擬似科学を肯定する必要はないし、自己の正当性の挙証責任を負うのは、カイロの側です。
(もちろん、国民の生命安全に危険を及ぼす可能性があるとの理由で免許性とするのは十分理由のあることですが)
このような国家権力の発動を求める輩に限って、同時に政府の肥大化を批判するんですよね。
福祉国家と小さな政府は相反するテーゼであるという、基本的理解さえ持たないのでしょうか。
それとも首尾一貫性を保つという責任感がないのか。
民放はこの両方を兼ね備えている場合が大いので、大いに憤りを覚えることが多いです。
以上、思ったことでした。
前者と後者は視点が異なりますが、基本的には自分の身は自分で守るという自己責任ですね。
少なくとも少々本を読んで理解できることならば、それは消費者の側の責任でしょう。
一番悪いのは不純な金儲けをたくらむ輩ですが、それは避けられない害悪です。
そして国家ができるのはあくまで対症療法のみ、予防的措置は不当な自由の制限になります。
まあでも、番組事体はそう悪いものではありませんでした。
観るものに問題意識を持たせるという、その視点の提供事体に意味が認められるでしょう。


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