宗教、包皮

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しばしば本を読んでいると、意味のわからない事項に遭遇するものです。
理解できないというよりも、その必要性や必然性が見えない、と表現するのが適切でしょう。
例を少々。
「小説聖書、旧約編」から。
・イスラエルの王サウルが、ダビテに対して、娘のミカルとの結婚の条件として提示したもの。
「百人のペリシテ人が死んだ証拠を持ってくればよいと伝えなさい。ペリシテ人の地へ行って、百人分の包皮を取ってこられるほど勇敢かとたずねるのだ。」
何故に殺戮の証拠が包皮なのか?
首はかさばるのでつらいでしょう、鼻や手首というものも歴史上はあったはず。
ただ、必死に「死体から包皮を切るダビテ」を想像するとおかしくなります。
ついでに、王の官僚が包皮を200枚確認するとしたら、それもお笑いです。
この包皮とは、割礼となんらかの関係があるのでしょうか。
そういえば、アメリカ合衆国では「失った包皮を取り戻す」という外科手術が大人気なのだそうです。
(情報源、デズモンドモリス著「セックスウォッチング」)


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