政治、パフォーマンス

9/12
最近私は専ら、報道される人物の言動を、パフォーマンスという観点からしか見ないようになりました。
つまりその発言は、何が真意であり、誰を対象に、どのような効果をもたらすのであろうか、という観点から把握するのです。
先ごろの石原氏の発言、「爆弾を仕掛けられて当然」というのは、いかがなものか。
多分彼は、過激なパフォーマンスによって得られる自己の支持が、それによって失うそれを上回るとの判断をなさっていらっしゃるのでしょう。
(勿論自身の発言が倫理的、政治的に問題を含むことは当然に理解なさっているはず)
それはそれで私には理解できない政治の世界のお話、作戦の成否はもっぱら次の選挙の結果に現れることでしょう。
それが表現の自由というものであり、民主主義というものです。
実は私が一番見事だと思ったのは、その直後の小泉首相が意見を求められた会見の場面です。
彼は対北外交には一切ふれず、純粋に石原氏の表現の不適切であることのみを批判しました。
さすが首相をなさるだけあって、本質には一切触れず、しかも質問には答えるという頭のよさ。
私みたいに馬鹿だと、絶対に対北外交のなんたるかから語りだし、墓穴を掘るのが必定です。
ただ、一見受け答えはうまいのですが、じつは「失言」となりつつも石原氏擁護の論調を張ったほうが、支持は得られるのかもしれませんね。
その判断が政治の処世術なのでしょう。
私の最大の疑問は、「世界ふしぎ発見」の野々村真氏。
私、彼は本当は頭がよくて、道化の役割上あのように馬鹿に振舞っているだけなのではないかと疑ってます。
でもみんな、「野々村真ってばか」といって同意してくれないんですよね。


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