文化、ミステリー

9/15
私は、いわゆる「ミステリー」なる分野の小説が苦手です。
価値が無いとさげすんでいる訳でもなければ、食わず嫌いというわけでもありません。
端的に言って、判らないのです。
つまり、登場人物はすぐに忘れる、物語の伏線は読み飛ばすなど。
もともと、ミステリーなる分野はそう気軽に読めるものではないでしょう。
執筆される方は、登場人物、その所在、行為を時系列に沿って並べられるでしょう。
そしてその明確な構図に従って筆を取られるはずです。
これを読む側の態度といえば、ノートに登場人物ごとの特徴を順に並べてメモしてゆくことが基本となるのではないでしょうか。
もちろん、それは慣れによって大いに向上するスキルのはず。
何の鍛錬もなしに、あのロジックを明確に把握できる方はいらっしゃらないでしょう。
シューティングの文脈と同じことですね。
ということで、何時かミステリーのロジックに親しめる日が来るといいなと、努力もなしに願う日々です。
(それでは永遠に無理?)
おもえば、あの京極夏彦氏の「凶骨の夢」。
一読した時点では、最後まで読んでも意味がわかりませんでした。
(この場合の意味とは、彼の薀蓄ではなく、根本のトリックに関するもの)
二回目に通読して、ようやく京極氏の意図が理解できました。
ミステリーの好きな方というのは、この様な体験を何度も重ねられて、己のスキルを磨かれたのでしょうか?
私は阿刀田高氏の著作を愛読しますが、彼の得意とするもう一方のミステリーは全く触れず。
(もう一方は古典文学であり、こっちが私は好き)
いつかは彼の本が読めるようになりたいもの。
この意味では、著作を量産し、それなりのセールスを誇る赤川次郎しはきっと偉大なんでしょう。
皮肉でも何でもなく、純粋にそう思います。


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