宗教、罪

9/19
最近の文書は、専ら自分の読書録です。
読んだ内容を記憶し、自らの言葉で表現すること。
それが習得要素の内面化を促進してくれます。
間違っていてもかまいません。
誤っていれば、後により妥当な理解を抱いたときには、それがより記憶に定着するからです。
昨日、革命的な認識を得ました。
世界が広まったと、確信した瞬間です。
「信仰」という要素にかかわるものです。
「罪」とは、造物主からの離脱であり、その原因は人間の自己閉塞にある。
ならば「罪」から離れるとは、自ら離れ去ったものに戻ること、すなわち心の解放。
たったこれだけなんですが、その理解には膨大な過程が必要でした。
いわゆる「信ずるものは救われる」という言説、この意味がようやく理解できました。
すなわち、「救われる」というからには、何らかの困難な状態にあることを示します。
そして「困難な状態」とは、(宗教的定義によれば)神から離れた状態を言います。
さらに「救われる」とは、再び自ら離れ去った神の元に戻ること。
つまるところ、上の言説は同義反復に過ぎないわけでした。
なぜなら、「信じる」とは神の元に戻ろうとすること、そして「救われる」も神の元に戻ること。
「信じること」の時点で、論理必然的に「救われる」ことになるようです。
一般的言説を、宗教的な意味論で分析すると、この様に理解されるのだと思います。


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