宗教、悪魔

9/24
昨夜の秋刀魚をつつきながらの話の再録ですいません。
最近知った、語源の話です。
「ディアブロ」という語がありますよね。
いわゆる「悪魔」と訳される語で、英語だと「デビル(devil)」になる単語です。
(私は英語以外を解さないので、他の言語はカタカナ表記です)
この語は、構成としては「シンボロ」という単語の否定形であるそうです。
「シンボロ」とは、英語で言えば「シンボル(symbol)」です。
意味は、「統合、一体」など。
我が国でも、憲法1条を見れば「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」とあるのは、この本来の「一体性」という意味に忠実ですね。
それで、この「シンボロ」の否定形である「ディアボロ」は、「分離、背反」といった意味。
学説的にも象徴的に解釈されるべきであるのが、「エデンの園」の逸話。
この時代、人は心を造物主に向けていたわけであり、そこは「シンボロ」の時代。
そして人が心を己に向け、男と女が心を隔てた事件、それが「ディアブロ」。
(言語は根底に宗教的な意味を含む場合が多いのが面白い。)
この「分離」こそが「ディアブロ」の本当の意味だったようです。
この意味をわかり易く説明する為に、「ディアブロ」の擬人化が行われました。
すなわち、我々が考えるところの「悪魔」はこの過程で誕生した模様です。
意味を平易に理解できるようにすることは大切ですが、その過程で手段が独り歩きを始めることが往々に生じるようです。
今回の悪魔などが、その一番明白な例なんでしょうね。
蛇(悪魔、ルーシファ)が女をそそのかして知恵の実を食べさせるという例を使って語ると、その表層のみに流れてしまう人々が多くなってしまうようで。
なんでも、密教にいうところの「大日如来」も、宗教的な真理を擬人化したものだそうですね。
大日如来の像を必死に拝むことは、敬虔にして尊い行為だと思います。
ただ、真理を悟るという本来の意味とはずれていることも、我等の理性が教えるところ。


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