文化、レンブラント

9/28
先ごろ、国立西洋美術館の「レンブラントとレンブラント派」展に足を運びました。
思えば、最近テレビで妙にレンブラントの特集が多かったのもこのためか。
今朝は教育テレビのの新日曜美術館がこの展覧会でしたね。
解説が交えられるので、復習気分で見てました。
美術展といいつつ、やっていることはハリウッド映画の公開直前にその特集番組が増えるのと同じことですなあ。
まあ、どんなに安直な動機であれ、それを機会に接することそのものが本質。
解説によれば、レンブラントの特色は「レンブラントライト」なるものにあるらしいです。
こちらを参照頂ければ、彼の作品が解説つきでご覧になれます)
「暗闇の中、中心人物の顔に光を当ててそれのみを浮かび上がらせる。
それにより、魂の奥底までを描いた。」
のだそうです。
正直なところ、私にはその評価が妥当なのかどうかは理解できませんでした。
ただ、確実なのは次の点です。
「彼の表現では、光のあたらない部分は薄暗く、ほとんど判別が不可能である。
したがって鑑賞者の視点は、否応無く中心人物の表情に収束することとなる。」
鑑賞者に表情の解釈という作業をあるいみ強制する機構、それがレンブラントライトなのでしょう。
(ええっと、不謹慎ですが、中心部以外は書き込まず手抜きができる・・・・・・・)
人物の表情となると、そこに書物のような客観普遍情報は存在しません。
解釈者が、その人生に照らして、それを読み解こうとする努力があるのみ。
優れた文学作品は読者に複数の解釈の余地を残すものですが、その極地が絵画なのでしょう。
ですので、一度見たに過ぎない私にレンブラントの描こうとした魂の内奥がわかるはずもなし。
折に触れてあの絵を思い出し、その意味を考えてみるというのが正しい接し方なのだろうと思います。
人生経験をつまないと、わからないだろうというのが正直なところ。
少々私でも理解できたのは、彼の表現様式の変遷。
若いころほど明暗の対比に、細部の書き込みといういわゆるレンブラントの特色に忠実。
これが晩年の作品になるにつれこの原則が緩やかになってゆきます。
論語にいうところの、「己の欲するところに従えども則を超えず」というのはこういうことなんでしょう。


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