宗教、新興宗教

10/10
昨夜の続き。
3日間の、エホバの証人・統一教会・モルモン教紹介はおしまい。
こんな変なことでも、自分で文書化してみるとずいぶん記憶に定着するものです。
これらのカルトの共通要素は何か?
問題はこの一点に集約されるでしょう。
 ・確実な事として、教義がどれも著しく単純である、という事実が第一に挙げられます。
どれもこれも、一読して理解完了。
難しければいいというものではないでしょう。
しかし、解らないが故に、必死に頭を働かし、謙虚に学ぼうとするという人の基本姿勢が発生するという事実は否定できないもの。
私の基督教の場合、幼いころの岩波ジュニア文庫のイエス伝のようなものから始まり、遠藤周作、阿刀田高、犬養道子・・・。
たぶんのべ50冊以上は読んでいると思いますが、自分に理解があるとは全く考えられません。
歴史と論理と文理解釈の点では少々認識がありますが、根本は一生わからないであろうという自信があります。
奥行きのないものに、価値がある場合は希少ですね。
漫画でも、映画でも、ゲームでも同じ事。
 ・次にいえるのは、聖書の文字通りの解釈を行っているという点。
聖典の文字を一字一句正しいと理解する、いわゆる原理主義です。
(原理主義は本来的には基督教の上述の理解を行う人をさす用語であり、イスラムのそれは新しい用法)
結局のところ、原理主義がもたらすのは思考停止。
しかも聖典には、合い矛盾する箇所が多数あります。
歴史性文学性を帯びるものである以上は総合的な解釈をされるべきものだから、読む側が考えないといけないのですが。
結局のところ、原理主義は自分に都合のよい聖典の一部だけを主張し、ほかは無視することに。
(女性教育禁止、大仏破壊などを行った、タリバーンがその好例)
 ・異端であること。
「異端」という用語には、実はかなり理にかなった明確な定義が存在します。
己の主張を持たず、正統教義の一部のみを強調し、その他を否定する事。
特に今回取り上げた3つの異端基督教は容易に異端性を肯定できますね。
「統一教会」のばあい、ひたすらに「原罪」を強調し、「キリスト」の神性を否定するなど。
オウム真理教にしても、仏教哲学の我田引水的解釈に、メシアを主張する麻原。
幸福の科学の場合、オリジナリティにかける諸宗教概念の流用に、著しく単純かつファンタジーな歴史認識。
結局のところ、正統派の単純化が普遍性を薄めてしまうのでしょうか?
・以上共通要素の抽出でした。
カルトの教義が(理性がある以上)思想の自由市場で多数を占めることは、内容ゆえに、ありえないでしょう。
でも、それが間違っていると納得させるのは困難な事。
極端な例として統一教会を上げると・・・
「性行為以外にこの世の行為に意味は存在しない」
この言明は間違っていると私は思います、しかしそれを説得する言葉は、私には存在しない。


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