政治、官僚

10/11
衆議院が解散されたそうで。
綿貫民輔議長の晴れ舞台でした。(富山県民)
昔からよく思うのは、事あるごとに「官僚批判」が起こること。
あたかも、「官僚」なる一個の実態が存在するが如くに。
何かを批判すればいいって(メディア、政治家、一般人ともに)、ものを語る姿勢として責任転嫁の最たる姿ですよね。
良識ある人がその批判の姿を見れば、「ああっ、この人は知的に恵まれないんだ」って思うだけで。
テクノクラートって必要も何も、単なるシステムなんですよ。
立法府(政治家)がそれを利用できないからこそ、システムが自己主張を始まるわけで。
優秀なテクノクラートは絶対に必要だし、その補佐なしに非専門家である政治が行政をになえるわけがないのであって。
そのシステムを利用する制度の構築(要するに立法)こそが、合理的思考の結実。
民主党が政権をとったと仮定した場合。
(田中派から出てった人たち以外は)経験もないでしょうから、行政事務など単独では不可能。
でも官僚システムさえあれば、彼らでも(犬福でさえも)十分に実務をこなせるわけで。
省庁設置、人事はともに法定事項、それ以外は政令事項のはず。
いくらでも立法府裁定の範囲内ではないですか。
「官僚の猛反発が」というなら、それは官僚を利用できない政治家の資質の問題。
歴史上の偉大な政治家というものは、目的達成のためには、いかなる手段を駆使しても成し遂げたもの。
ちなみに、「官僚」と単純化すること自体、思考法論法として極めて稚拙。
官僚になった人は、みんな優秀だったと思うんですが。
頭も悪くはなかったし、100%がパワーシーカーというわけでもなかったし(多分5割以下)。
欠点があったとすれば、少し知識(もしくは興味関心)の範囲が狭かったことかなあ。
古典・宗教・自然科学といった基本的教養はちょっと少なかったのか、そういう会話はあまり成立しなかった記憶が。
でもそのころはたかが大学生でまだまだ子ども。
私はまだ足も生えてなくて、にょにょにょにょ言ってたな記憶があります。
そのころ私は本当に馬鹿で、官僚をあしざまに罵っていた事を正直に告白します。


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