ビデオゲーム、幽霊同居もの

10/19
公団藤井総裁の聴聞って、あくまで制度内の通常手続きではないのだろうか。
彼自身は弁明をするには値しない人物なのかもしれない。
そうであっても、自己主張を通し人権というより大局的利益を守るという、公益を果たしてくれている。
それを「混乱」と報道する報道機関は、少々見識を疑われても仕方ないですね。
「人権」の基本って大学で法律を学ばないと解らないというほど難しいものではないはずなのに。
啓蒙は、報道機関の重要な役割だと思うのですが。
藤井総裁は次は解任処分の取り消し訴訟と損害賠償請求で活躍なさってください。
閑話休題。
一昨日のノベルゲームの続き。
一つ驚いたのは、「幽霊同居もの」というジャンルがあるんですね。
(エッチのジャンルに、「触手」という範疇があるのを知ったのと同じくらい驚き)
「まぼろし月夜」(DC、PS発売)ってそういう流れの中の一つだったのかと、ちょっと納得。
このジャンルからは共通性を抽出すると、一つの原則が明らかになるようです。
(主人公の「いぬふく」が萌え萌えの天然ボケ幽霊少女と同居して恋に落ちる、というのはここでは除くとして)
 ・「幽霊は近いうちに消滅する運命にある。」
すなわち、主人公との別離は比較的近いうちに訪れる、ということです。
(別離までの期間は、そのゲーム製作に費やされる時間などの製作者側の事情による)
「幽霊同居もの」は、絵柄・表現形式等は、いかにも同人的で、一般人からは胡散臭いと思われてしまう作品だと思います。
でも、そこで描かれるテーマって、人間に共通の運命として、極めて高い普遍性をもってるんですね。
回避が絶対的に不可能な別離。
それが死によるものであれ、愛の終わりによるものであれ、幽霊が消滅するものであれ。
オルフェウスが死んだ妻を求めてハデスに下ったギリシャ神話、イザナギが妻イザナミを求めて黄泉に下った日本の神話。
これらと、根本において同じだと思うんですよ。
別離を表現するには、「幽霊」は結構便利な表現様式なんだなあと。
神話の一つの表現様式、といってよいのかな。
幽霊を通して語られるのは、プレーヤー自身の愛する人との別れの記憶であったりするわけで。
この神話の一つの表現として有名なものに、マルセル・カミュ監督の「黒いオルフェ」なる映画があります。
ギリシャ神話のエピソードを、リオのカーニバルを舞台に再現したもの。
短きが故に燃え上がる生のエネルギーがリオのカーニバルに仮託された、見事な作品でした。
でも、幽霊同居ものも、決してこれに劣るものではないなあと。
起源あるが故に燃え上がる生のエネルギーが、萌え萌えな幽霊とのハァハァ体験に仮託して描かれているんでしょ。


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