文化、小説の型

10/20
割り当て5メガが足りなくなってきました。
字ばっかりなのに、意外と容量あるんですね。
今のとこ過去日記を適当に間引いて対応。
昨日の続き。
やはり、ある程度のテキスト量は必要なんですね。
ギャルものいくつかやったんですが、文字数が少ないとやっぱり説明不足が。
かわいいとか、いとおしいとか、萌え、とか言う以前に、あんた誰?、といったところでした。
でも、物語を書くってちょっとあこがれちゃいます。
自分そんなことしたことありませんし。
情景描写とか、女性のちょっとしたしぐさ、その一言。
「うんうん、そうだよね。」と私に感じさせるノベルゲームの製作者の方は、やっぱりすごい。
ある程度までは客観的な方法論と努力の次元で、何とかなりましょうか?
自分もなにか小説書いてみようかな、と思ってみたり。
予想するに、私が小説書くと、シンボル過多に神話的解釈が主体になって、最後に犬福が出てハッピーエンドになりそうです。
「そして、犬福は良しとしたにょ。 完」
物語には、3つの型があるような気がします。
・1、シェイクスピア型
・2、推理小説型
・3、神話型
1番は、話の筋は全体として支離滅裂、内容も破綻気味。
でも、台詞や文の一つ一つが、それ単体として光るもの。
「弱きものよ、汝の名は女。」とか、「この金はお前の貧しさに与えるのだ。」など。
一部一部で別個独立に人を楽しませればよいではないか、という発想にもとづきます。
(正直に告白すると、私はシェイクスピアは全く未読、上記は「シェイクスピアを知っていますか?」阿刀田高著によります)
鬼平犯科帳なんかも、間違いなくシェイクスピア型。
世の物語の9割9分はこの分類でしょうね。
解りやすく普遍性があって、しかも面白いし。
2番は、物語全体が強固な首尾一貫性を持ち、分割することができないもの。
もっとも明白なのが、クリスティの「そして誰もいなくなった」などかあ。
呪いが、冷酷かつ確実に後代に至り完成する様を描いた、ギリシア悲劇なども間違いなくこっち。
聖書なども、歴史の段階的完成という視点に立てば、こっち。
全体構造を理解しないと全く価値が見えてこないという点では、解りやすくは無いのかも。
読み解くという行為と努力がまた、この分類の魅力なのかも。
「怒首領蜂大往生」は間違いなくこの類型ですね。
3番は、叙述されたものは手段に過ぎず、その意味にこそ筆者の主眼があるもの。
神話は、合理主義精神の表れですからね。
その表層のみに目が奪われ本質に思いをめぐらすという、本来の読み方が忘れられつつある時代が現代なのかな。
「エデンの園」とか「イザナギの黄泉くだり」とか。
どの類型もそれぞれいいところを持ってるとは思いますが、私は2,3番が好き。


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