文化、古本

11/1
ここ数日、神保町(いわゆる神田古書店街)で古書祭りなるイベントが行われているようです。
私には、その意味がよくわからない祭り。
これが古書街の全てなどと断言する意図はありません。
ただ、古書にも、中古ゲームの場合と同じく(おそらくは遥かに陰惨に)、ゆがんだ世界が存在するのは想像に難くないです。
無益なプレミアムに、中古転売益をねらう背表紙屋という存在。
たとえば、岩波書店すぐ近くに、中古の岩波新書を専門に扱う書店があります。
特異なのはその価格、一冊2000、3000円という価格が普通についています。
(ここで3000円した「バナナと日本人」は100円本の常連)
おそらく、発行年や、微妙な内容の違いによる希少価値でしょう。
すなわち、なんでも鑑定団の場合と同じく、その内容ではなく、希少価値に対する評価です。
書物はその情報にこそ意味がある、これは間違いないでしょう。
ただ、明確な「財」として「本」という形をとる以上、そこに様々なゲガレがついてまわると。
でも、神保町は、その利用法さえわかればこれほど便利なところはないと思いますよ。
すなわち、自分の読みたい分野を扱う書店を数件知っていればよいだけです。
神保町には「三省堂」という最大級の新刊書店があるのですが、分野さえ決まれば小さな古書店も決して引けをとりません。
むしろ、古書店の方が選択肢が豊か(しかも安い)で便利。
新刊書だと流通している本しか並びませんが、古書店ならここ3,40年内の絶版になった本も普通に並んでいるのがいいですよね。
店主の圧力がこたえるのが、最大の困難でしょう。
(神保町生活が長いですが、ここは本当に自信以外の対抗手段がないように思います)
こういう商売してるから、どんどん古書店が倒産する。
閑話休題。
とりあえず「聖書を旅する」は10巻読み終わりました。
10巻が難しかったので読み返し中。
これほど売れなさそうな本を全巻刊行してくれたことに対し、中央公論社に感謝です。
決して安い本ではない(とりあえず25000くらい払った)ですが、与えてくれた理解に比べれば安価に過ぎるというもの。


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