文化、グラディエーター

11/2
テレ朝でやってました、「グラディエーター」の感想。
舞台は2世紀のローマ、妻子を殺された将軍が剣闘士奴隷に身をやつしながらも皇帝に復讐するというお話。
この映画を見たのは3回目。
気がつきました、この映画が神話であることに。
客観的に眺めるなら、ストーリーは支離滅裂です。
皇帝がコロセウムで剣闘士奴隷と戦うことを筆頭として、どれもこれもばかげた事件ばかり。
ただ、映画の内容が史実と異なることに重要性はありません。
それはこの映画が主人公の(おそらくはそれを普遍化して人の)、生のエネルギーそのものを叙述することを目的とするものであるから。
(「神話」という語は、その叙述が背景の意味を伝達することを目的としている、そのような説話を意味します)
主人公マキシマスを突き動かすのは、妻子の復讐という単純なもののみではないでしょう。
将軍としての誇り、剣闘士としての名声、自ら手にかけた剣闘士への哀歌、ローマへの忠誠、友情、人の情念、名誉、様々。
映画中の全てはそれを描き出すための舞台装置に過ぎず、最後の皇帝との勝負は頂点としてのそれらの結実。
故にこそ、史実と異なる、などとの指摘は物語解釈の知識の欠如を示すのみ。
見事だった。
背景知識に依存しないからこそ、この映画は普遍。
つまり、誰が見ても解るということ。
ハリウッドの目指すこの理想は、極めて重要ですね。
背景としての膨大な知識(この映画ならば初期帝政下のローマ)がないとメッセージが伝わらないとすれば、それを理解する人間は極めて少数。
其処に普遍性はないはず。
少々極論的に述べるならば、「ローマ」は犬福の足と同レベルの飾りに過ぎません。
皆が興味を持ってくれるなら、それは何でもよかったはず。
この映画のもう一つの魅力は、古代ローマの鎧の煌きにあるんです。
悪役コモドゥス帝の白金の鎧の質感だけで、この映画の価値の1/3はあるといってよいのでは?
ただ、そのためにはパソコンの高解像度のモニターにDVDで出力する必要があります。
(テレビロードショウでは、この映画の衣装の素晴らしさが1/10程度しか再現できないのが残念)
剣闘士と言うと思い出すのが、我が富山中部高校の世界史教官であった長谷川氏。
スパルタクスの乱を、彼が話したことを思い出します。
彼は、共産党員だったらしい。
その事実自体に意味はないし、それによって差別されることがあってはいけない。
ただ、彼のものの見方が、悪い意味でのマルクス主義史観に毒されていたのは著しい欠点だった。
歴史を、階級対立のみで把握するというのはいかがなものか。
全てを階級対立に還元することは、事象の単純化であり、それを行うものの知性の低さを示すのみ。
剣闘士には、彼らなりの実存があった。
歴史はあくまで帰納的に観察されるべし。
私の信条です。
高校生なんて、知能はちび福以下のばか。
そこに偏ったものの見方を教えるのはいかがなものか。
でももしや、長谷川氏の真意は反面教師として愚かさを提示することにあったのでしょうか。


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