国際、イラク

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イラクのテロで、巻き添えになるイラク人に関してのテロリストの声明。
「外国人と共に働くことは認められていない。」だそうですね。
一体「誰が」認めていないのでしょうか?
ふと思い出しますが、アメリカ人はイラク人にとってみれば、同じ造物主を信じる人たち。
尊敬にせよ哀れみにせよ、歴代のイスラームは暖かい扱いを与えてきた人々なのでは?
いわゆる「啓典の民」とかいうやつですよね。
過去のキリスト教政権とおなじ非寛容政策を採っているようでは、十字軍云々と批判することもそのうちできなくなりそうです。
原理主義とは、偶像崇拝の一つの形である。
ノベルゲームで一つ思ったこと。
製作者と読者の間で、共通の前提事項が成立しにくいこと。
大雑把に言うと、その脚本がファンタジーなのか、リアルなのか、という前提。
ゲームといえば何でもありと言う悲しい前科があるいじょう、ここが難しい。
ストーリーを考えるにしても、登場の自己同一性に始まって、二重人格、ドッペルゲンガーなど考えていくと際限がない。
当然超能力もあって、挙句の果てには人間にミカエルやルシファーが宿って戦うことまで。
推理小説にたとえるなら、「新しい毒薬」(きっちり3日後に突然死)を使ってはいけないという前提条件が成立していない状態。
考慮すべき事項が多すぎて、ストーリーの解釈が著しく難しい。
素晴らしい物語とは、読者に適度な予測可能性を与え、大枠において予想に沿いながら程よく微妙にそれを裏切るもの。
ノベルゲームの場合も、何らかの状況描写で現実世界の物語か否かぐらいは、明らかになるといいのかな。
(でも、読者が必死に考え想像する物語があるもの自体が多くないかも・・・)
人様の文書(しかも一般人の手による洗練のなされないもの)を多く読むと、文書そのものに関するいろいろな要素が見えてくるのが思い白いです。
こういうあたりも、フリーウェアのゲームの魅力なのだと感じます。
(以上、水葬という素敵なゲームの感想)


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