ビデオゲーム、感動?

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落としてくるゲームは、専ら選択肢皆無のノベルゲームばかりです。
端的にいえば、別にゲームがやりたいわけでない。
いまだに大往生のパターン作ってて、ゲームやりたいときはシューティングやります。
ノベルものになってくると、選択肢は邪魔でしかないように最近感じます。
ゲームらしくするために選択肢なんて作ると、かえって根本のストーリーが駄目になるだけで。
(選択肢と物語性を並存しようとすると、「街」の水準が必須と思いますが、それは個人で不可能)
選択肢で試行錯誤させるくらいなら、その時間を考えさせる脚本を作ることが大切なのではと感じるところ。
素人の作るノベルゲームが面白いなと思うのは、それが強烈な主張の表れであること。
正確には、何らかの強く表出したいメッセージを持つ人が、ノベルを作ろうと考えるのでしょう。
だから、表現方法そのものは稚拙でも、その主張は著しく重みがある場合が多いようです。
(更には、実体験に基づいている場合もあるようで)
この手のフリーウェアのノベルによく書いてあるのが、「感動の・・・・」なる文句。
これを謳うものに、浅薄な内容に稚拙な表現である場合がままみられるように思います。
人を感動させるということは、意図的に行えるものではないですね。
たいてい「感動」というのは、よくわからない萌え少女が登場して死んだりするだけ。
勝手にキャラを出して殺して生き方を見つけて、それっぽい音楽を流せばいいというものではないと思うのですが。
それで感動するとでも思っているのでしょうか。
さらには、「涙を流すこと」を「感動」と取り違えているような気もします。
泣くこと自体は、単純な生理反応。
心を動かされた結果として涙が出るのであって、その逆ではない。
もっとも、生理学的にはその逆も真というわけですが、意図的にそのような横道を選ぶのは表現手段として邪道というもの。
表現手段として人を殺すという手法に頼らない、この様な制限をかけるというのはいかがなものでしょ。
(私が一番好ましいのは、笑えるものなんですが、これが実は一番難しいかも)
もう一つ疑問に思うのが、「幼馴染」なるもの。
「いちおう、俺の幼馴染だ。」という台詞をみたときには思わず笑いそうになりました。
幼馴染っていいなずけ並みに現実味のない言葉です。
人気取る必要がないなら、無理に女キャラを出す必要ないと思うのですが。


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