政治、農政

11/28
報道によると、農林水産省が今年の各県の米の生産目標(割り当て)量を決定したそうで。
減反云々をどうこう言うつもりは無いです。
この割り当ては、今年の冷夏の影響を考慮して、冷害の著しい地方の割当量を増やしたそうでした。
その、被害をこうむった方に所得を保証、という当面の観点では正しいんですよね。
ただ、現実的観点においてどうなのだろうと、これも私の理解を超える問題です。
冷害著しい=本来的に水稲には適さず米の品質悪い=質の悪い米が大量出荷=価格低迷=コメ市場全体の停滞。
(そもそも「生産管理=意欲停滞=市場低迷」)
この施策が実行されたなら、通常の市場原理に任せるなら、やっぱりこの流れが自然なのでは。
対処療法的処置は長期的視野に立てば、業界そのものの衰退につながるように感じます。
では直接的な所得保障を行うのが妥当かというと、それも結果は上に同じような気がします。
私個人は、水田というのは、食糧生産以上に、環境保全の役割が大きいと考えています。
特に山間地方は間違い無く。
昔面接でこの見解を述べて、「君は農林族議員のようだなあ!」といわれた過去あります。
あのころはまだ足も生えてなかったものです。
話題を戻すと、要するにお金をばら撒いても、(山間の)水田は残すべきだとどこかで思っている人間です。
でも最近思うのは、そこまでして水稲耕作を残しても、果たして誰が喜ぶのだろうということ。
耕作者たちの高齢化著しく、農業労働そのものがますます苦痛を大きくするだろうし。
休ませる方が彼らのためになるという見解は、十分な説得力を持っているように思います。
当然消費者は、特に私のように味に関心の無い心貧しい人間は、安価なカルフォルニア米のほうが望ましいし。
本当に必要なのは、彼ら高齢耕作者の「care」・自発的な若い耕作者の確保ではないのかと、思わないでもないところ。
(「失業対策として水稲耕作に・・」というと、唯一ネ申又吉イエスになってしまう)
農業政策は難しいですね。
どうしても食糧安全保障の観点ははずせないし、環境保全も機能として無視できないし。
その上で、「市場原理との共存を。」
人的生産性の向上や国産米の、ひいては米そのもののイメージアップを図るしかないのでしょう。
そして最後には、食糧安保と環境問題を意識させた上で、自発的な国産米の選択を促すと。
どうしても価値論に入らざるを得ず。
無理っぽいですね。
今のシューティングみたいなもので。


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