文化、らい病

12/9
googleでライ病について検索をかけてみました。
端的にいえば、症例の写真を見たかったから。
なにしろ「聖書」といえばライ病の記述が旧約からいっぱい。
ということで、中学生頃から「ライ病」には非常な関心があったのですが、その実物を見る機会を得ず。
唯一みつかったのが、ベトナムのハンセン病 Photography こちら。
写真が大きくならずいまいちです、(以前のNHL特集のハンセン病の歌人の番組の方がわかりやすかった)。
より大きな画像ご存知の方がいらっしゃったら、ぜひとも教えてください。
この欲求は、他人のセックスやプライバシーをのぞき見たいといった、嫌悪すべき浅薄なものではないです。
対象を知らなければ−特に外形上の変容をもたらすものなら−ハンセン病の差別の意味など分からないでないですか。
それにしても、少し前までは人類の一大業病として恐れられた病が、検索をかけても出てこないという事実は何を意味するのでしょう。
えっと、出てこないのは病状を写した画像です。
(ライ病、ハンセン病、患者、写真、症例、病気を組み合わせて結構探しました)
抗生物質によってライそのものが駆逐されつつあるというのは、確かに要因の一つでしょう。
そして国政の歴史に明らかなように、近辺までライの隠蔽隔離政策。
少なくとも情報隠蔽には、ある程度の成功を収めていたようです。
(ライ病すら隠蔽できないのに、たとえペンタゴンでも宇宙人の存在を隠蔽することはできないにょ。)
ただそれ以上は、隠蔽されるべきもの、という認識が差別・被差別の両サイドに存在することによるのではないかと。
いくら文字情報で病原や症例進行過程を認識しても、症例の画像一枚に如くはなし。
隠蔽が悪いわけではないというのは、私も理解できます。
そのまま次世代の誰もが知らなければ、ライ差別もなくなってしまう、という可能性は否定はできないでしょう。
実際、私の出身地方、富山県射水郡の新興住宅団地、における被差別部落の問題です。
富山県では「同和教育」なるものは行われておりませんでした。
私が初めて被差別部落の認識を持ったのは、大学の関西の友人と話したり、「ゴーマニズム宣言」をはじめて読んだとき。
以前母と話す機会があり、実家の近くにも、被差別部落の人々が集住する地区があることを初めて知りました。
(外見からは全く分からない)
この例の意味は、要するに、知らなければ問題の認識は起こらないということのみです。
でも、知らずに一生を終えるなど現実的ではないです。
正確な認識がないが故にこそ、ヒトラーのような扇動家が現れた場合に、安易に差別に走ってしまうということがあるでしょう。
それに仮に写真ででもライに免疫をつけておかないと、実際の患者に直面した場合に生理的嫌悪感を確実に抱いてしまうとおもうのですが。
勿論、写真を公開すれば悪用される危険があるのは理解できます。
コラージュに加工されて、画像掲示板に甜菜されまくったり・・・・というか、この程度ならまだかわいいか。
でも、厨房やドキュソは決して多数派ではない。
とはいえ、実際に病状を公開するとなると、多大な勇気が必要だろうな。
私が自分の内実を公開しろといわれれば、「その勇気をくださいと」願うくらいしかできません。
HIVのキャリアであることを告白される方は、なんと高潔な方々であることか。


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