文化、GLAYのサバイバル

12/20
時間がなく、忙しい日々でした。
片付けとは、哀愁漂う作業です。
このときに考えていたのは、実に形而上学的な命題でした。
「人間の存在に肯定的評価を下すか否か」。
これが思想宗教を分類する上での、最高レベルのメルクマールとなるのではないかとふと思いました。
この様なことを考えていたのは、ビデオテープを分類処分箱詰めしていたときのこと。
GLAYの「サバイバル」のビデオクリップが出土したので。
久しぶりに一度見て棄てようと思ったのです。
内容は、女子高生が主人公のアニメをバックに、グレイのサバイバルが流れるもの。
一言で言うと、こんなお話。
無自覚な放蕩を送るなか、現実の意味を見失った彼女が、現実を新たに肯定した超人として覚醒。
(ニーチェの超人みたいですが、ほんとにそんな内容)
えっと、グレイの「サバイバル」の歌詞そのものも同内容。
正直な感想として、どうしたら自分を肯定できるのだろうかという疑問。
そこから冒頭の、各宗教思想につながるわけです。
宗教思想のかたちとして、人間存在を肯定するものと否定するものが存在します。
否定派の代表として、善悪二元論が存在します。
ゾロアスター教に始まり、マニ教など、今日でも統一教会など多くの新興宗教に見られる思想。
霊肉二元論(霊は光であり、肉は悪の創造物)を基にした、徹底的な現実の否定。
悪の被造物である体に囚われた霊と人間を把握するがその端的な現れ。
悪を抑制して善の勝利をもたらすには、肉である人は死ぬことが救済であり、当然に性交によって悪の勢力を増やしてはならない。
これは現実のゾロアスター教の教説です。(岩波の「グノーシス」何とかという本が出典)
その対極としての人間の肯定が、キリスト教と大乗仏教にあるように感じます。
キリスト教は「「からだの復活」を初め、人を神の似姿と把握することによる徹底的な人間の尊重。
大乗思想は知識不足でほとんど理解できませんが、なんとなく親鸞の「往生」とイエスの「神の国」が類似概念のように感じます。
つまるところ、救済は彼岸ではなく、この現実世界に存在するという理解。
私思うのですが、一見厳しそうに見える二元論の方が、遥かに安易な立場です。
現実を否定して死ぬだけなら、私でもできる。
この現実世界を如何にして肯定できるのか、しかもその苦難を十分に知った上で。
話題を戻すと、グレイの「サバイバル」はキリスト教・大乗思想と同じサイドに位置するわけです。
「サバイバル」自体は、秀逸なメロディーラインを持った名曲ですが、その価値の多くはそのことばにあると断言してよい。
深遠な人の実存に関わるテーマを扱っています。
もちろん難解な用語や概念は登場しません。
昔の私ならその時点でバカにしたでしょう。
しかし今の私はその点を誰にでも分かる普遍性を有しているという点で高く評価します。
この曲はが現実の肯定の道として示しているものは、おそらくその歌の持つメロディーやテンポを含めたエネルギーそのものなのでしょう。
聞いていると、確実に元気の出る曲だし。
人の実存という深遠なテーマは、所詮人が頭をひねったところで回答が出るわけではない。
これも説得力を持った謙虚な回答の一つです。
「我も主人公の少女のような力をもてますように。」とお願いしておきます。
そして神様、大人になったら立派な犬福になれますように。
今後、本の入手が困難になる(少なくとも大量の書籍を手にとって選ぶこと)ことが予想されるので、少々買いだめ。
「書物としての新約聖書」という8400円の本をためらわず購入。
私ゲームは安いのしか買いませんが、本に金は惜しみません。


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