宗教、聖書を旅する

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年頭から晴天が続きます。
新年早々、何をバカなことをやっているのかと思いますが、素晴らしいものを発見しました。
こちらに在ります、「LadySword新章」。
かなり笑えます。
新年初の購入書籍は、100円の「ブラックジョーク大全」阿刀田高。
初の購入ゲームは、「キングスフィールド4」、1570円。
ゲーム機を起動できる見込みが当面ゼロなのですが。
アップスキャンコンバーターを買ってきて、パソコンのモニターに出力できるようにするまではお預けです。
少なくとも数ヶ月は先になりそう。
とりあえず昨日を持って、「聖書を旅する」読了。
総計12000ページあまり(3回分)、でも分量は無意味な数値。
阿刀田高のだめな本なら2万ページ読んでも疲れないだろうし、難解な専門書だと1ページでも疲れます。
要約とメモを作ったのが大変な労力でしたが、その恩恵で自身の理解と記憶は大いに助けられました。
製作物を置いて置く場としてのウェブサイトというのは、ありがたいものです。
営利目的皆無の、個人の趣味の領域としては、これが最も適切な在り方と思うところ。
「聖書を旅する」は膨大な知識と理解を与えてくれました。
しかし、理解というか同意できない部分も多し。
やはり現行の教説の中心をなす、体を伴っての永遠の生命への参与、いわゆる復活という部分が、理解を超越している。
より適切には、非合理の領域に到っているというべきか。
筆者の犬養氏は「信仰とは、ことばの自体の信憑性故に同意するもの」と定義されています。
しかし、「復活」(すくなくとも教会の説明するあり方の復活)は、ことばが信憑性をかいているとしか私には思えない。
より合理的な説明が成り立つはずです。
私の知性は犬福並みですが、物事の一面を見てそれで全体を判断する行為の愚かさだけは理解しております。
でも、この「復活」以外の大部分のキリスト教の教説は、宗教という(我にとっては)偏狭な領域を超えた普遍性を持っているんですよ。
とりあえず、違う人の見解を読んで異なる角度からの学習に勤めましょう。
今手をつけた、「どう読むか、聖書」(朝日選書)の指摘が著しく興味深いです。
筆者が犬養氏のような一般人でなく、聖書学者であるために、より文献考証に基く学問的普遍的見解を提示してくれるのが素晴らしいです。
ただ、この書の価値が見出せたのも、犬養氏おかげ。
彼女の著作によって他学説および基本の聖典そのものあるていど(簡略に説明できる程度には)理解できたからこそです。
故に本書の見解の独自性や立脚する価値が、他説との比較検討によって明白に浮かび上がってくる。


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