文化、作法

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ガルダようやく4250万。
「書物としての新約聖書」の再読開始。
最近思いますのは、ウェブ上での作法なるもの。
えっと、「ネチケット」という造語が嫌いなだけです。
既存概念の範疇に包括される事象に新語を当てる行為に、わが良識が違和感を覚えるだけのこと。
本文書をご覧くださる方が多数いらっしゃるそうなので、最初に宣言しておくです。
当方は、本サイト内掲示板を利用される方に苦言を呈する意図は全くないです。
本題に。
なかなか有名なのが、毒吐きネットマナーですよね。
初めてこれを見たときは、まさにそのとおりと思っていたものです。
でも読み進めるにつれ、自分の過去の所業が、その意味づけと共に脳裏に浮かび上がります。
あのころの私は、なんと人様に失礼な、迷惑をかけることばかりしていたのだろうか。
この罪の意識ばかりは、未来永劫ぬぐえるものではないですね。
自分の見解を、普遍であるかのように装って、一方的に述べ立てる。
相手の方がそれを見てどれほど不快に感じるかなど、当時は考慮したこともなかったし。
ましてや、内容が妥当性を持つものならともかく、単なる主観にすぎなかったわけだし。
この経験は見事に萎縮効果をもたらしてくれ、よそ様に顔を出そうという意欲を抑制してくれます。
自分の行為が相手方に不快感を催すのではないかと、必要以上に心配してしまうです。
人徳を磨くという、古風な言い方しかなさそうですにょ。
ですので、ウェブ上で不快感を覚える場合でも、昔自分もやった事だしと、怒りを覚えることも殆どなし。
「人の振り見て我が振りなおせ」。
まさにこの命題の妥当する場面だと感じてます。
ちょっと話題変わりますが、素晴らしいと思ったのがこれです。
ネチケットってなーに ? !
「HPを管理している方へ」という部分の製作された方の見解に、素直に感じ入りました。
「小学生にも分かるように振り仮名いり」というのは、何気ないようで素晴らしいものです。
ウェブ上には、「小学生もいる」という当たり前の事実。
考えたことすらなかったですが、指摘されて初めて認識したです。
どうも私、ウェブ上の見えない相手方は、教養学歴等が自分と同程度であると前提としてしまっている悪い傾向があるです。
勉強になるですね。
自分の過去を考えれば、中学程度までは馬鹿そのものだったことを思い出します。
私が相応の対応を取った相手の方も、実は年齢相応の知性であったという単純にそれだった可能性もあったのかもしれません。
反省させられます。
・「熟読し熟考し最大限の努力を払ってから質問せよ」
・「閲覧することはそれに伴う不快感に対する包括的承認である」
この様な自明の断りすら、中学生のときの私は理解できなかったという、悲しい確信をもてます。
後者に到っては、悟ったのはいつのことだか。


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