文化、リストカット

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自衛隊の「施設」部隊が、どうしても「私設」部隊に聞こえてしまうのは私だけですか?
昔聞いたネタです。
現場で複数の「男根」(弾痕)が発見されました。
笑っちゃいます。
「クローズアップ現代」見ました。
夜7時という時間を辞めて、以前のように9時半に戻してほしいと犬福は思います。
内容は、「リストカット」が若い女性に広まっているというもの。
私リストカットって自殺を試みた跡だと思ってたのですが、どうも違うようですね。
番組に拠れば、リストカットを試みる人には共通項があるそうです。
「若い女性で、両親や友人など対人関係にトラブルを抱え、それを言語的に表出することが不得意である」
ことだそうです。
クローズアップ現代の信憑性の程度はナゾ。
「オタク文化論」を「メディア文化論」と放送時点で事実を歪曲して報道してたし・・・・。
短い準備期間ですので、問題提起と現状リポートを得られるだけでも感謝することに私はしてます。
話題を戻して、そのような女性の証言が非常に興味深い。
・・・
自分に存在する価値がないように思えてくるんです。
私はいてはいけないんだって。
だからそういうときに手首を切ると、血と一緒に様々な感情が流出するんです。
それで、ああ、許されたって思うんですよ。
以上、女性証言。
非常に面白いと持ったのが、古代の宗教感情と極めて強い類似性を持っていること。
「血を流す」という行為によって、「許し」が与えられるという理解です。
勿論「リストカット」自体はその贖いのおこないの現代的表現に過ぎません。
断食などの苦行がその地位を占めたこともあったし、より直接的に自らを鞭打つなどはまま見られますよね。
そしてユダヤ教なら、神殿に生贄を捧げること。
もちろんこれらの場合は、自らの存在の義化の対象が宗教規範です。
宗教規範というとえらそうですが、その実たいしたことはないはず・・・
リストカットの場合の義化の対象は、対人関係ですか。
両者の共通項は、なんらかの「行為」によって自己の存在が許容されるという感情を得ようとすることか。
こう考えると、人間の心情って時代に変わらず同じなんですね。
そしてそれに対する解法が、法然親鸞の往生であり、イエスの許しであり。
つまり、既に自分は許されているのだ、という認識をもつことなんでしょうね。
それは難しい。
おめでとう、おめでとう、おめでとう。
(テレビ版エヴァの最後)


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