宗教、仏教

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所用あって、病院行きました。
至極立派でサービスのよい巨大な総合病院で、仏教系の宗教団体が運営母体であるそうです。
入り口ロビーで、奇妙な本を発見しました。

「仏法で触れ合う親子のマンガ」
薬の処方待ち時間に5冊ぐらい読みました。
えっと、その中で少々驚いたものを。

この作品の名誉のために申し上げれば、この回はたまたまこのパロディであっていつもはちゃんと仏教講座してます。
つらつらと読み進めるのですが、なかなか納得のいかないところが。
もちろん、この本は対象年齢が小学生程度と思われます。
その内容がどの程度仏教の主張に沿っているのかも、知識のない私には判断のつかないところ。
ただ、この本で非常に強調されていたのは、「因果応報」という概念。
しかも、懲悪的な側面ばかりが強調されている。
「悪いことをすれば、必ず悪い結果があるのです。
そしてそれは現世のみならず、来世にも及ぶのです。」
というもの。
(輪廻転生そのものも現行仏教の主張なのかどうかは不明ですが、ここでは触れない)
まあそれ自体は一つの概念として、そういう思考形態が存在することは理解できます。
ただ、それが法然・親鸞の説く、往生の概念とどう関わるのかが疑問です。
(「善人すら往生す、況や悪人をや」ってやつですよね)
端的にいえば、万人の往生という発想と、輪廻転生概念は矛盾するのではないかと。
だって、誰でも仏の慈悲にすがる気になれば往生しているんでしょ。
そこで往生したのに、どうして前世の行為の帰結や現世の悪行で来世に苦しむという自体が生じるのですか。
それとも、念仏を唱えて往生した時点で、文字通り輪廻の輪から解き放たれてしまうのですか?
この両者の概念は、調和しないように感じます。
えっと、「許し」と「贖罪死」の関係というキリスト教の問題意識と共通してるように思ったわけでした。
なんといっても、この病院「親鸞会」が母体なんです。
そこの雑誌なら、たとえ子供向けマンガとはいえ、なんらかの思想的統一性が欲しいなあと思ったところ。
思想<念仏とでもいうことか。
宗教は本来、宗教性を超越した信憑性ある普遍の言葉を語るものだと、犬福は思います。


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