宗教、仏教

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先の病院にもう一度いきまして終了。
風邪で病院に行った記憶は長らくないですが、皮膚科歯科なんてものはすぐにでも病院行くべきものですね。
副腎皮質ホルモンの合成法の確立は、青色ダイオートを遥かに上回る発明と思うのですが。
またしても待ち時間に怪しい「親と子で心触れ合う仏教マンガ」を読みます。
「仏教の中心原理は因果応報である」という言明が引っかかるところ。
それは本当に釈尊の語った内容であるのか、疑問の持たれるところです。
後の世に、釈尊の言葉として、理解不足の弟子たちが挿入したものなのではないだろうか?
本当にこれは仏教の教説なのでしょうか?
キリスト教における十字架という概念が、その中心として教会にドグマとされたものの、実際のところイエス本人にさかのぼらないということと同じなのではないかなあと。
「親の大恩」とかいう題名のマンガも、些か疑念の残る内容。
趣旨として、故にあなたは生きなくてはならないのだ、といいたいらしいと推測できます。
「あなたを育てるにあたり、親はこれほどの苦労をしているのだ」という主張は理解できる。
だからといって、親の苦労という事実と、人生は価値があるのだという命題は結びつかない。
論理性を感情論に挿げ替えるのはいけない。
「親は勝手に自分を生んだのだ」という問題にどう答えるというのか。
勝手に産んで、勝手に苦労しているのであって、それ以上に論は進展しない。
命の価値といった重要な問題を論じるにあたり、感情論に訴えるのは間違っている。
命の価値それ自体を、論理として成り立たせるのでない限りは議論に信憑性がない。
感情論に訴えることは、議論を提起するものの頭の悪さを示すにとどまらない。
その論証しようとする「命の価値」という命題そのものを、周囲の人間が胡散臭いと感じる効果をもたらすだけだ。
どうしてこうも、感動させたり泣かせたりして、自説を立証しようとするのだろうか。
もっとも信憑性のある命題とは、何らの感動もともなわない、自明なものとして存立するものであるはず。
それが真の救世主の姿だろう。
預言者の言葉は地下鉄のラクガキの中にある、という「Sound of silence」の言葉は真実だ。
現代においては、にちゃんねるの殴り書きや画像掲示板の中にこそ、預言者の言葉が現れるだろう。


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