文化、責任

2/9
昨日2時間あまり除雪作業。
翌朝既に筋肉痛が生じていることを確認してまだ若いと思っていること自体が精神の老化の兆しかも。
軒下の雪を除去する作業です。(屋根から新たに落下する雪もある)
雪の重みで家屋の破損の可能性を軽減することが目的。
渡り廊下そばの雪を苦労して全て掻き出し終えて廊下端に到達した瞬間。
新たに雪が落下して振り出しに戻る。
ふう。
私しばしば、フリーソフトで面白いゲーム まとめページなるものを見てます。
なんだか興味を引くものがあがってないかなーと思いまして。
本日久しぶりに見てみると、以下の告知が。
「2/8-削除予定ゲーム一覧 ついて専用スレで話し合っています。ご意見などお寄せ下さい。」
なんとなく興味引くので、専用スレッド眺めてました。
なにやらいろいろな経緯があったらしいです。
自分でゲームを作って公開するというのは、大変な負担を伴う行為なのですね。
勿論この場合の負担とは、ゲームそのものの製作以外の、公開に伴う不利益のことです。
フリーRPGとかいうのをめぐって、様々な問題があったらしい。
このサイトの「雑学&雑文」によると諸事情が推測されます。
世の中には「責任」という概念が存在します。
私はこれは、端的に「自身の行為の結果として生じる不利益」と定義するほうが分かりやすいと思いますが。
私の場合、このサイトでもっとも世に貢献できたことは大往生の攻略文書の作成です。
シューティングの経験のない人から、「考え方が分かったおかげで1周クリアできた」という意見は実に多数頂けました。
検索をかけても、それを参考にしている、という日記記事などは多数見つかります。
世に貢献できたという点では、実にこれはやってよかったと本心からうれしく思っています。
ただ、決してよかっただけではないということ。
さまざまなものが、正にDQNの体現ともいうべきものも集ってくるという事実がありました。
BBSなる媒体は決して便利なだけのものではないということが実によく分かる。
私自身はこの上なく平易な記述を心がけたつもりですが、そもそも論理の問題ではない。
ロゴス以前の問題で絡み付いてくるからこそ、DQNであるわけなのですが。
この事象は実に、責任という概念の意味を明らかにしてくれます。
何かをすれば(大往生の攻略文書作成)、それには必ず不利益がついてまわるということ。
完全に論理的結合を欠く帰結が訪れるわけですが、合理性を欠くことそのものが「不利益」である所以です。
だから、私は「サイト閲覧に当たって」などの注意書きは設けないことにしております。
論理が通じる大多数の人は当然に理解されていらっしゃるし、そうでない場合は言葉が通じないので告知の意味がない。
ですので、こういった不快感も自分の行為の責任なのだと、納得している日々です。
「言論の自由」は当然に不利益を甘受することを意味しているわけで、それが不快なら退出すればよいだけだし。
(憲法的には、完全な(他の人権すなわち公共の福祉以外の制限を受けない)無制限ですが・・・)
話題が少々ずれましたが、これが「責任」という言葉の現実的な意味。
フリーソフトを公開される方というのは、それ以上の不利益を負担されることになるのでしょう。
より「広い」年齢層がダウンロードするでしょうし、当然にそれは・・・・・。
(文字のみで、ACシューティングしか扱わないというのは閲覧年齢を嫌でも高くするという恩恵がある)
「責任」というものの意味は重大ですね。
法の制限を越えれば国家権力に訴えることになるのでしょうが、それに至らないものこそが真に重大なわけだし。
ということで、文庫本エッセイなどを読むと、プロの(収入を得ているという意味)作家さんがこの問題を結構扱ってらっしゃるのが面白いです。
まあそういう視点で読んでしまうせいでもあるでしょうが。
そういえば、「北へ、ダイアモンドダスト」で「エキセントリックなファンが」という表現は面白かったなあ。
それにジョン・レノンはエキセントリックなファンに殺されちゃったし。
関係ないですが、こちらで「北へ」の第一話が無料ダウンロードだそうです。


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