宗教、マトリックス

2/11
数日前の夕刊に、グノーシス思想の専門家の大貫氏のインタビューが掲載されていました。
その中の一説に、「マトリックス」に触れた箇所があります。
「グノーシス」は犬福レベルに簡略化して説明するとこの様な思想です。
「グノーシス」とは智・認識という意味であり、神の正確な認識をうる事によって自己の救済を獲得するというもの。
大貫氏はこれを自力による救済と位置づけ、キリスト教思想の「許し」と対比的に論じておられました。
そして氏は「マトリックス」をグノーシス的、即ち自力救済と位置づけていらっしゃいます。
(その後に、許しという思想の重要性に話は進みましたがここでは割愛)
なかなか興味深いなと、読んでいて感じたところ。
私がマトリックスを劇場見たときの感想は、大笑いしたというのを除けば次のようなものでした。
「あ、仏陀だ。」
ネオはマトリックス世界の意味の正確な認識で力を得たわけなので、仏教的意味の「悟り」を開いたのだと感じた次第です。
その仏陀が、「キリスト」と呼ばれるあたりがマトリックスの面白さでありばかばかしさでもあったと感じたのですが。
大貫氏の指摘で初めて気がついたことです。
仏教の在り方(勿論私は殆ど何も仏教は知りません、それに親鸞法然の思想は多分違う)と、グノーシス思想は共通性が高いんですね。
人類思想の2大傾向はやはりこの、自力救済と他力をめぐるものなのでしょうか。
関係ないですが、マトリックスの3作目は結局見に行かなかったです。
もう関心がなくなってしまったというところ。
ストーリー上の多数のギミックの存在は認識していますが、その形式はもはやエヴァンゲリオンのときに飽きました。
一見難解なストーリーがあるように見えるが、実際は些細で表層的な理解が全てであり何らの思想を含まない。
この事実を認識した上で、虚無であることを承知しつつストーリーを考えるという作業はもう私は無理です。
そういえば、あれほど楽しみにしていた「真女神転生3」も序盤で放置しています。
何でも終盤になると「黙示録」の騎士に天使が現れ、最後の敵は聖なる四文字であるとか。
昔なら楽しめたでしょうが、今となってはむなしさを感じるようにさめてしまいました。
「ヨハネによる黙示録」で非難されている「異なった福音」は、正統派のパウロ信仰である可能性が高いそうです。
小アジアの黙示録派の流れと、正統派復活信仰の間で相互非難を繰り返しているということらしい。
こちらの学問的認識のほうが、遥かに面白いです。


戻ります
inserted by FC2 system