宗教、スコプチ

2/19
以前の訂正です。
1/14の日記スコプチに触れた件。
(両リンク先を前提として以下書きます)
「独身者」を「不能者」と解さないと意味が通じないとスコプチは主張しているそうで、それが如何にばかばかしいかという話でした。
しかし、真相は異なっていたようです。
上記該当部分は結婚倫理の厳しさに弟子が「ならば結婚しないほうがましです」と答えたことに対し、イエスが述べた言葉。
「生まれつき結婚できないものが在り、
また人から結婚できないようにされたものがあるが、
天の国のために進んで結婚しないものもある。
これを受け入れることができるものは受け入れなさい。」
という「マタイ福音書19−11、12」の部分です。
この「結婚できないもの」は注によると、ギリシア語を直訳すると「宦官」であるそうです。
確かに「人から結婚できないようにされる」というのは、去勢されると解するのが非常にとおりがよい。
となると、スコプチのこの部分の解釈自体は正しいようです。
ただこの部分は、極端な禁欲を否定していない、という以上でも以下でも無いと読むのが素直と思われます。
何でも、属州エジプトの長官にアレキサンドリアの司教が去勢を願い出たが許可されなかった、というローマの公文書がパピルスで残存しているそうで。
この時代には、去勢手術をするほどの禁欲というのも、そこまで珍しいことではなかったらしいです。
だから上のイエスの言葉は、それを否定していないだけらしい。
(もっとも、上記部分引用元の「マタイ」氏の属する教団が、勝手に生み出した教説をイエスの言葉として権威付けしているだけの可能性が高いようですが)
閑話休題。
最近は「イエスキリスト」(講談社学術文庫、荒井献著)を読んでました。
が、原典の知識が無いと読むのが苦しくなってきたので、中断して新約聖書の福音書を読んでる所です。
無駄な知識が増えたおかげで、それぞれの著者の偏見・加筆修正・背後の教団組織といったものを示唆するところばかりが見えてくる・・・・・
上記の引用は「フランシスコ会聖書研究所」のもので、この本はそこそこ(本文の1/4程度)注がついているのがありがたいです。
(一番たくさん売られている「聖書協会」のものは注釈が一切無い)
しかも、いわゆる信心深い読みに反することが結構素直に書いてあるなかなか学術的なもの。
大使徒パウロさんは彼の生存中に世の終わりが来ると信じていた、という趣旨の注があります。
当然にそんなことはなかったわけで、パウロ氏はその点間違ってたわけですが、注でそれを一切弁解して無い。
これが犬養道子さんだと、きっと無理な理屈をつけて正当化しようとしちゃうんですよ。
やはり、書いてあることは素直に受け止めてそのまま評価しないとね。
フランシスコ会はカトリックなので、カトリック擁護的な注も多いですが、容易にそれも判別できますし。
というよりも、カトリックの教義を擁護している箇所は極端に記述のレベルが下がって理屈が通じなくなっているので一見して分かります。
自分の非を認める本を自ら発行しているというのは、やはりカトリック教会というものの素晴らしい部分なんでしょうか。
いい本ですにょ。
本当に、面白いんですが。


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