宗教、対観表、ユダ

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「イスカリオテのユダ」さんをめぐる奇妙なお話。
いわゆるキリストを裏切ったということで有名な方です。
「イスカリオテ」というのは多分出身地か何かでしょう。
端的に、裏切りの必要性などは全く不明であるそうです。
権力者側はイエスの個人の特定や居場所の把握を完全にしていたから、ユダの行為に意味が全く見出せないというところ。
(上記一行は田川健三氏の「書物としての新約聖書」の指摘から)
各人の離反の心理作用を演出する舞台装置として導入されたのがこの逸話だと私は把握しております。
その真実性を問うことに意味は無いでしょう。
以上が概要ですが、面白いのはそれをめぐる聖書の記述です。
4つの福音書ごとに、微妙にニュアンスが変化しているのが興味をそそります。
事前知識として。
イエスという人物の言行を記す書物が新約聖書内には、以下の4つありますにょ。
「マタイによる福音書」・「マルコによる福音書」・「ルカによる福音書」・「ヨハネによる福音書」
それぞれイエスの直弟子が書いたという名目で流布したもの。
実際の著者の価値観や所属教団の見解が盛り込まれており、この相違が今回の眼目。
以下にイスカリオテのユダをめぐる箇所の引用を。
同じく引用元は日本聖書協会のサイトです。
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  • マタイ福音書
    そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、
    「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
    そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
    (26章14節)
    そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し
    、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、
    「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。
    しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。
    そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
    (27章3節)
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  • マルコ福音書
    十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。
    彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。
    そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。
    (14章10節)
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  • ルカ福音書
    しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。
    ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。
    彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。
    ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
    (22章1節)
    「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。
    この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。
    ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。
    ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、
    その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。
    (使徒行録1章16節・・・この書はルカ福音書と同じ著者)
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  • ヨハネ福音書
    弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
    「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
    彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。
    彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。
    (12章5節)
    夕食のときであった。
    既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
    (13章2節)
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    以上引用箇所でした。
    上記書籍注では、「マルコによる福音書」が歴史的に最も古く、もっとも事実に忠実な姿を伝えていると考えられています。
    それを加筆改竄したものが「マタイ」「ルカ」の二つ。
    「マルコ」には単にユダが裏切りの約束を交わした記述があるのみで、その後は記述がありません。
    これが「マタイ」になるとイエスの具体的な売却価格が加わり、その後に首をつったことにされています。
    引用の先の箇所にはユダの裏切りと死は旧約聖書のこの予言の成就なのだという解説が続きます。
  • 「旧約」の記述に適合するようにユダが死んだことにされた
  • 悪者は氏ねという頭の悪い勧善懲悪思想
  • 実際ユダは首をつって死んだ
    こういった可能性が考えられます。
    これが「ルカ」(使途行録)になると、ユダさんは凄まじい死に方をしたことにされています。
    一応予言の成就なのだという記述が続きます。
    ただ予言の条件に沿うには血が流れればよいだけで、はらわたを出す必要が見出せません。
    この箇所を読んで「やったー、悪者が氏んだ!」といって喜んだ人もいたことは想像に難くない。
    結局こういうことを書くと、知性の低さが露見されるだけですな。
    一番面白いと思ったのが、「ヨハネ」です。
    ここにいたっては、ユダさんは単なるコソ泥扱い。
    (死んだ記述はありません)
    イエスが説いたのは宗教的な救済でしたが、弟子たちはイエスを政治的解放者を求めていました。
    (ローマからの独立)
    弟子の中で一番頭のよかったユダさんはその相違を理解していたので去っていった。
    他の弟子は頭が悪かったので、イエスが死ぬまでイエスを軍事的政治的指導者と理解していたそうです。
    (以上は遠藤周作さんの仰っていること)
    「ルカ」「ヨハネ」にはサタン・悪魔という要素が入ってます。
    人の内心の背反分離傾向を人格化したものが「サタン」の元来の意味であるそうです。
    ですので、この様に実際に「サタン」の行為というものを持ち出すと、その神話的意味が忘れられあたかもサタンという実体が存在するかの誤解をもたらすことになります。
    ただ、「ヨハネ」の場合はなかなか一筋縄でいかないそうで。
    この書物は実に奇妙な本で、小アジアの二元論(善悪の対立というゾロアスター的把握)を掲げるキリスト教徒に多大な支持を受けていたらしい。
    つまるところ、「実際に悪魔がキリストを殺そうとしたのだ」とも取れるわけです。
    この「ヨハネ」に対する反対もかなり強かったとか。
    教会勢力統一のためには、「ヨハネ福音書」を正典と認めざるを得なかったというのが歴史的事実の模様。
    今日的に言えば、自民党が選挙のために公明党を手放したくないのと全く同じ事象でしょう。
    いずれにせよ、非常に興味深い。


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