国際、イラン

2/25
週末に家から県庁所在地の駅まで15キロ程度を歩くと足が痛くなりました。
やはり、一番よく歩くのは東京居住の人間ですね。
ちょっと前までは否応なく毎日5キロくらいは歩いてたのに。
地方というものは、車自転車のおかげでかえって運動しない。
地下鉄に乗る時間が貴重な読書時間であったことに対し、車に乗る時間というのは完全な無為ですにょ。
それにしても、JR線内で「新約聖書」を読むのに恥じらいを覚えるのは私がまだお子様だからでしょうか。
おじ様のように、列車の中で正面にヘアヌードを見せ付けつつ夕刊紙のエロマンガを堂々と見入る程度の胆力が必要です。
エロマンガ読むのと新約聖書を読むのはどちらが恥ずかしいか、一概には決めがたい問題です。
昨日の朝刊のイランの選挙の記事が面白うございました。
なんとイランには、「農業聖戦省」という役所が存在するそうです。
タリバーンの勧善懲悪省ほどでは在りませんが、なかなかインパクトがある名称です。
「農業聖戦省」というものは、「農業の聖戦的遂行」を目指すための役所なのでしょうか。
「農業の革命的遂行」という中国や北のスローガンを思い出すのは当然のところです。
イランでも「ホメイニ村」とかがあって、そこでは聖戦的農業によって聖戦的収量を上げているに違いありません。
そこではきっと、村民がテレビのインタビューに「直径3メートルのかぼちゃが鈴なりです」などと真顔でしゃべっていることでしょう。
どうしてもあの、「大寨に学べ」の中国の捏造報道が頭をよぎります。
(水増し報告人民解放軍のてこ入れ等によって、「革命的」(一見して嘘と分かる)収量を上げた村の事件ですにょ)
革命イランでは何にでも「聖戦的(ジハード)」と形容する社会情勢がかつて存在したことは間違いないのでしょう。
中共しかり大日本帝国しかり、事物の名称の変更にという些事に全力を挙げるという頭の悪さは万国共通ですね。
マホメット氏の意図する「聖戦」の意味内容は全く知りません。
しかし、事物の名称を「聖戦的」と形容することがマホメット氏の意図する「聖戦」でないことだけは確実でしょう。
名前を聖戦に変えることで、宗教的義務を遂行した気になると・・・・
それで上役に取り入るつもりか、国民をそれで統制できるつもりか。
頭の悪さや、けちくさい宗教心がにじみ出る名称であります。
名前を「聖戦的」にしたから聖戦になるわけではない。
内容が聖戦的であって初めて、聖戦と呼ばれるだけのこと。
肝心の選挙に関する論評は、大変に説得力のある素晴らしい内容でした。
いくら保守派が大勝しようと、国民の大部分が望む世俗化の流れを押し留めることは不可能である。
だそうです。
昨夜のクローズアップ現代でイランの軍の高級官僚(?)がNHKのインタビューに答えていらっしゃいました。
「USAの強大な軍事力の前に、我々はUSAとの緊張緩和と友好を推進する必要がある。
それがイランUSA双方にとって有益である。」
保守派の方なんですが、非常に現実的な見解をお持ちの素晴らしい方ですね。
やはり軍人さんは現実を直視できるリアリスト。
その対極が、ラムズフェルドとかブッシュとか金正日とかいった軍歴を持たない政治家です。
ヒトラーもそうですか?
この視点に立つと、「文民統制」という原則も些か雲って見える。
ではまるで現実の見えなかった大日本帝国陸軍の軍人って・・・・・・


戻ります
inserted by FC2 system