宗教、パウロ

2/27
今現在、新約聖書中の「第二コリント人への手紙」なる部分を読んでました。
面白い部分は多いのですが、眠たくなってくる箇所のほうが多い。
それでも中間の印象を忘れないように書き留めておきます。
この書簡は地中海世界へのキリスト教宣教に最大の功績を果たしたと思われるパウロ氏が口述筆記させたもの。
おそらくキリスト教史上、イエスを抜いて最大の人物です。
彼自身は実際のイエスに面会したわけではないですが、イエスの招きを受けたと仰ってます。
「当人にとっては事実であるが、第三者はそれの真偽を否定も肯定もできない事件」
それを「幻視体験」というそうで、パウロ氏の経験もそれであったのでしょう。
阿刀田高氏はあれほどの宣教活動を行なったのだから、パウロ自身にとっては事実に違いないという趣旨のことを仰ってました。
(「新約聖書を知っていますか」あたりが面白いですにょ。)
それまでが厳格なユダヤ教徒でキリスト教徒を弾圧していた人物が、突然にキリスト教を語りだしたそうです。
(もっとも、当時の信徒が「キリスト教」という独自宗教の自覚を持っていた確証は薄いですが)
とりあえず、もっとも強く感じることはこれです。
(ただ、まだ知識が微小で確証が無いですが)
パウロ氏は、イエスの語ったことに関心が無い。
この一言につきます。
彼が注目するのは、「イエスは復活した」という事実のみのように思えるのですが。
-----------------------------------
口でイエスは主であると公に言い表し、
心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
(ローマ人への手紙、10−9)
-----------------------------------
何もこれは意図的な引用ではなく、この趣旨の発言はいたるところに見られます。
イエスはその言行が優れているからキリストなのではなく、復活したからキリストなのだということでしょうか。
イエスの言葉で有名な、「貧しいものは幸いだ」という事柄は一切無視。
信仰告白伝承(パウロ氏的)とイエス伝承(イエスの言行重視)の対立関係という事実があるようです。
このあたりはまだ知識不足で何ともいえません。
信仰告白伝承がキリスト教の主流を占めたということが、今日のキリスト教のあり方を決定したのでしょうか。
何しろ、「イエス教」ではなくて、「キリスト教」という名前がついているくらいだから。
結局イエスさんは、その言行を直視して正当な評価を受けることがなかったようですにょ。
草葉の陰で、イエスさんは悲しんでいらっしゃるかも。


戻ります
inserted by FC2 system