政治、司法、麻原

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麻原彰晃氏の判決が下ったそうで。
なにやら、新聞・テレビ見てると暗澹たる気分になります。
遅延は「司法の責任」だとか。
司法の制度問題は、直接的に立法府の問題だということをメディアは積極的に主張するべきではないのか。
裁判の遅延はあからさまな欠点ですが、制度的な遅延をもたらす構造そのものに問題があるのに。
「この国の正義は・・・」とかいうのをみると、不快感すらこみ上げてくる。
個人レベルの正義感という内省皆無の低俗な感情が、日本国全体の正義をゆがめるという意識は無いのか。
そもそも司法は非民主的機関であって、法の規定を遵守することのみに正義は存在するのに。
裁判官が一個人の怒りに任せて判決を下すなどの愚かしい行動をとればどうなるのか。
国民に殆ど統制権の無い司法が暴走したら、それは恐ろしいことです。
麻原ほどの重責を追うべき人物であれ、弁明の機会等の手続き的正義が貫徹されることに本質が存在するのに。
司法手続き皆無の特別高等警察などの歴史をいったいどう解釈しているのでしょう。
報道機関というのは不思議なものです。
個々の構成員は、良識と学識を十分にお持ちの素晴らしい方々なのに、全体となると恐ろしく頭が悪くなる。
三権分立や憲法中の刑事訴訟条項など、それらをこそ報道機関は取り上げるべきではないかと感じられるところです。
十分な説明さえあれば、誰でも分かる簡単なことであるはず。
「民主制における選択と責任の主体は国民である。」
この命題の(特に後者)の意味は、本件の事例に明らかなのかもしれません。
本件裁判のこれほどの遅延というかたちで、国民は十分な不利益を負担してますな。
「司法の責任」と責任転嫁で己を喜ばし続けるなら、ますますその不利益は大きくなっていくのでしょう。
もっとも、「国民の総意」という架空の実体の選択が、直接的には一個人の不利益するわけですか。
選択と不利益負担の主体が異なるわけで、やはり民主制とは擬制ですなあ。
麻原判決よりも、京都の鳥インフルエンザのほうが大事件だと思った人は決して少なくないと犬福は思いますにょ。


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