宗教、アーレフ2

3/12
続いて、アーレフ検討。
まず昨日の続き。
「カルマおとし」の名目で、対外のみならず、教団内部においていじめが正当化されていたのは有名ですた。
また、カルマの現実化たる因果において、その媒介条件に個々人の内面的要素を導入しています。
事実上、何が起ころうとそれは行為者の内面が原因であるとして、カルマ法則を想いのままに捻じ曲げることが可能に。
何が起ころうと、教団と教義を守ることができるご都合主義ですな。
証明不可能な事項なのだから、口先達者な教団幹部に言いくるめられて終了です。
本日は以下を検討。
「アーレフの教義入門」>「3世界観」>「神秘の身体」、「ヨーガ・仏教的世界観」
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神秘の身体
わたしたちの体には神秘的なエネルギーの流れが存在する。
物質次元とは異なる霊的な身体についてご紹介しましょう。

クンダリニーの覚醒。
クンダリニーとは、すべての人間の尾てい骨に眠っている内なるエネルギーのこと。
人間の精神を高い次元へと押し上げる力を有している。
正しい修行によってクンダリニーを覚醒させることができれば、わたしたちは、人間の限界を超えた様々な神通力(超能力)を得るだけでなく、最終的には解脱・悟りに到達することができるのだ。
チァクラの開発は、クンダリニーと並んで、わたしたちの霊的修行を進める上で必要不可欠なものだ。
チァクラとは、人間の身体にある霊的なセンターのこと。
クンダリニーが覚醒すると、スシュムナー管に沿ってクンダリニーが上昇していく。
そのとき、各チァクラを開発していくことができる。
そして、ムーラダーラ・チァクラの超健康体に始まり、肉体から完全に離脱することを可能にするサハスラーラ・チァクラまで、各チァクラが有している様々な能力や神秘的な力を身に付けることができる。
七番目のサハスラーラ・チァクラの門が開き、肉体とは別の「歓びの身体」と呼ばれる身体を抜け出させることができる。
この第七の門を自由自在に使えるようになったとき、わたしたちは様々な苦悩から完全に解放された境地を体験することができるのだ。
わたしたちの体には、七万二千本のナーディーと呼ばれる管が通っており、その中を霊的エネルギーが駆け巡っている。
その中で、特に重要な三つの管がある。それが、スシュムナー管、イダー管、ピンガラー管だ。
左のイダー管には迷妄のエネルギーが、右のピンガラー管には邪悪心のエネルギーが、中央のスシュムナー管には愛著のエネルギーが通る。
わたしたちの身体を構成している要素を、地・水・火・風・空の五つに分類したものを「五大エレメント」という。
 五大エレメントとは別に、わたしたちの身体を構成する要素として「五種の気」がある。
人間の身体は、この五種類の気によって動いているのだ。
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すべての世界を解き明かすヨーガ・仏教的宇宙観

ヨーガ・仏教的宇宙観
宇宙創世以前には、真我と三つのグナ(三グナ)しか存在していなかった。
真我とは、わたしたち生命体(魂)の根本となるもの。
三グナとは、サットヴァ(光のエネルギー)、タマス(音のエネルギー)、ラジャス(熱のエネルギー)という三つのエネルギーだ。
真我は、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の三つの特性を備えており、それ自体で最高の境地に存在していた。
絶対自由とは、すべての世界に対して自在に身体をつくって現われることもでき、そこからまた自在に元の世界へ帰ることができるということである。
これは生・死の自由を意味している。
絶対幸福とは、一切のカルマの制約を受けないということである。
つまり、老いや病の制約を受けず、また、過去の経験から来る苦しみ・悲しみ・愁いなどを経験しない。
絶対歓喜とは、真我自体がもともと喜びのエネルギーを内在しており、何もしなくても歓喜の状態でいられることを表わしている。
三グナが真我に干渉したとき、真我は三グナの持つダイナミックな光・美しさ・動きに感応し、その中へと没入してしまった。
つまり真我は、三グナが、自分の持つ特性よりも素晴らしいものを与えてくれると、錯覚を起こしてしまったのである。
そのとき大爆発が起こった(現代物理学でいうビッグバン)。
次々と宇宙がつくられた。
大宇宙の創世は、そのまま真我の落下の始まりでもあった。

この全宇宙は、愛欲界、形状界、非形状界、そして大完全煩悩破壊界に分類することができる。
愛欲界とは、今現在わたしたちが生きているこの世も含まれ、熱優位の粗雑な物質でできている世界である。
形状界とは、音優位の微細な物質でできた世界で、上位形状界と下位形状界に分かれている。
非形状界とは、光優位のデータの世界である。これは、上位・中位・下位と三つに分かれている。
上位非形状界となると、他のどの世界とも重なっていない。上へ行くほど、透明な光が強くなり、光が情報として存在している
真我が三グナに干渉されたことにより、大宇宙の創世が始まった。
最初に創造されたのが光優位の世界。次に音(波動)優位の世界、そして最後に熱優位の世界がつくられた。
これら三つの世界は、互いに連動している。
この愛欲界での出来事はすべて、非形状界にある光のデータが形状界に投影されてイメージが形作られ、それがこの世界に下りて現象化したものなのだ。

この流れは、わたしたちの表層・潜在・超潜在の意識とも対応している。
わたしたちの身体の動きは、
@ 超潜在意識に想念が生じる
A 潜在意識に投影されてイメージ化
B 表層意識に下りて熱を生じさせる
というプロセスによって生じているのである。
わたしたちの心身は、まさに大宇宙と連動した「小宇宙」といえよう。
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以上抜粋引用部分でした。
まあ一言で言うと、世迷いごと。
「チャクラ」「クンダリーニ」というと、「孔雀王」を思い出すのは私だけでは無いでしょう。
というよりも、オウムの年齢層から考えて、この教義を作った人たちも「孔雀王」を読んでいたはず。
それと、「カルマ」といえば「ポイズン」を飲むと5下がるんですよね。
何のネタか、分かりますか?
「チャクラ」「クンダリーニ」のを所与の事実として受け入れるとして、以下論じます。
チャクラが全部で七つ存在しており、それらは真理の覚醒の段階によって順次開発されてゆくものらしい。
逆にいうならば、チャクラ(の開発によって発言する超常能力)によって、各人の修行の到達具合が測定できるという発想。
これによってオウム真理教は、各修行者に明確な次の指針をあたえ、到達具合によって序列化することができたようです。
推測ですが、「正悟師」「正大師」などという称号は、いくつのチャクラを開発したかによって与えられるものなのでしょう。
「ゲーム的」という形容が非常に親和的です。
もちろん、予備校などの夏期講習などと同様、多額の布施によって「イニシエーション」を受ければ修行の到達ステージを一つ上げられる仕組みになっていたであろうことは想像に難くありません。
ちなみに、チャクラを開発すると、以下のような能力が得られるそうです。
超健康体の獲得、性欲のコントロール・多くの異性から好意を得る、名誉・高貴さの獲得
仕事・学問が好調に、地位・権力の獲得、一切の現世願望の達成、別の体を持って意識投影
以上、低級チャクラから順に並べてみました。
なんというか、非常に世俗的な願望ばかりが並んでいるように見えます。
非常に興味深いと思ったのが、一番の「ヨーガ・仏教的宇宙観」における宇宙創成の過程。
「真我」に「3グナ」が干渉することによって世界が創成された。
そして人の目的は、最終解脱によって「真我」に復帰することにある。
この物語がオウムによる世界創成なのですが、グノーシスの神話に類似性が強い。
強いというよりも、グノーシス神話累計そのものといってよいほど。
参考に、グノーシス神話の規範モデルを以下に提示しておきます。
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まず初めに、天上界に「父」あるいは「霊」と呼ばれる至高者なる神がいた。
そしてそのものは「知恵」とか「魂」などと呼ばれる女性的属性 -知恵(ソフィア)や魂(プシュケー)はギリシャ語で女性形- と対を成している。
そしてその両者との間に生まれた「子」が存在する。
この三者はいわば三位一体を形成していた。
ところが、この女性的属性は堕落して至高者を離れて天上界から中間界に落ちた。
そこで「諸権威」あるいは「支配者たち」と呼ばれる存在を女性的属性は産んだ。
彼らの中では「造物主」たる「デーミウールゴス」がその長として存在している。
彼らは至高者の存在を知らず、自らを産んだ女性的属性である「母」を陵辱し、下界すなわち地界と人間を生じさせた。
そのようにしてデーミウールゴスは万物の創造主であることを誇示し、下界をその支配下に置いた。
しかし至高者は、その女性的属性を通じて、人間のうちにその本質すなわち「霊」がわずかながらも残っている状態にした。
しかし人間はその自己の本質を知らずに、あるいはそれを忘却して、無知のとりこになってしまった。
そして人間は自力ではこの本質を認識することができない。
そこで至高者は、下界にその「子」を遣わして、人間にその本質を啓示する。
それによって人間は自らの「本来的自己」に目覚め、自己を認識して「子」と共に天上界に帰昇する。
中間界と地界、すなわちこの宇宙全体は解体され、万物は天上界の本質、すなわち「霊」に帰一する。
こうして「万物の更新」は成就する。
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以上、「どう読むか、聖書」(青野太潮著)242ページから引用。
端的に、節操が無いと言うべきなのでしょうか?
オウム真理教の場合、どうしてもどこか別の形而上学的思索概念が流用されている場合が極めて多いように感じます。
「(超)潜在意識」「投影」「チャクラ」「クンダリーニ」「カルマ」などなど。
もっともこれに関しては、以下の反論が確実に成立します。
実相は一つにであって、それを解釈する側の人間によって呼び名が異なるだけのことである。
ゆえに諸概念が他と共通性を持つのはむしろ当然である。
難しいものですね。
すくなくとも、オリジナリティに溢れすぎた「幸福の科学」の世界創成史に比べれば、アーレフの世界観のほうがまだ筋が通っています。
「太陽の法」などを参照してみられるよろし、目がくるくるしてきます。
(もっとも、「幸福の科学」発想自体が他の宗教家の者を受け入れているだけの可能性も有る)
信徒の方にいささかの他宗教思想の知識があれば、安易な入信はなかったのではないかと思うところです。
そこそこ首尾一貫した世界把握に、システマチックに整備された修行体系を持ったことが、オウムの隆盛の一因足りえたのでしょうか?
「不可視の真の幸福」を追求した人々が、可見の人為的な修行ステージに汲々としていたと言うのは、何とも虚しいことです。
目に見える具体的なものをもっとも強く求めていたのは、彼らが排斥した外界ではなく、彼ら自身であったと。


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