国際、イスラエル

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夕刊に、「地獄の扉を開けたのは?」という表題のパレスティナ問題の記事がありました。
執筆された方がこの様に仰っていたのが印象的です。
イスラエルの手法には反対だが、我はヤシンに同情しない。
彼は説教によって、多数の若者が命を棄てることを賞賛し、そのように仕向けていたからである。
ということです。
論述によるならば、イスラームの指導者の多くが自身は安全な背後にとどまって幼いものたちを多数自爆テロにかりたてている事は許容の余地がないとの事。
指摘を受けるまで気がつきませんでした。
現状では被抑圧者はイスラム側という図式が完成していますが、そのイスラム内部にも階級構造があるわけですか。
我々は原理主義勢力といえば、地元では病院・学校経営という慈善事業を行なっているものと思い込んでおります。
ただ、おそらくその全く同じ主体が、テロリズムへと無知な若者を駆り立てているわけですね。
(大学は愚か義務教育程度すら怪しいわけですから、ここは「無知」と評価してよいと思います)
人に捨て身の闘争を呼びかけるからには、まず第一に己が死ぬべきというのが同義的なあり方と感じます。
少なくとも、日本軍で「回天」を開発された方は自身が最初に搭乗されたんですよね。
この文書を書いていて気がついたのですが、イスラエルやアメリカに圧迫される側を形容する適切な概念が存在しない。
我は「イスラム原理主義」という用語は著しく不適切と感じています。
テロリストや原理主義者で十分なのに、それをイスラームと形容することで無理に宗教と結合させているからです。
無思慮の概念がイスラームへの偏見を発生させる、言葉の暴力ですな。
でも今回のヤシンの場合、やはり彼は法学者であってイスラムの指導的立場なんですよね。
政教一致の原則及び社会制度が未発達である故に、どうしても政治とイスラムが近い位置にある現実は否定できない。
ここでどなたか優秀な方が、「イスラム原理主義」などに変わる新たな概念を提唱して欲しいもの。


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