文化、首尾一貫性

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「イスラエルには自衛の権利がある」
合衆国の声明らしいです。
この調子だと、日本が忍者を送って偉大なる首領様を暗殺しても自衛権の行使と認定してくれるのでは?
大統領選挙って、本当にパンドラの箱のようです。
この比喩は阿刀田高氏が日本国の総選挙を評したものですが、合衆国のそれにはより適切に当てはまる。
ここ数日の新聞の論調(私読売しか読んでないので、一般化はできません)。
急変しました。
あの三人の解放があってから、「自己責任」や「家族が国策変更を要求する異常事態」と論じてます。
彼らは被害者から一転して、無自覚な無責任者扱いされるようになりました。
それ自体は妥当な主張だと私は思います。
ただ、新聞の側の、急激な論調の変化に不信感を覚える。
勿論解放前から彼らを肯定していなかったであろうことはほぼ確実と思います。
紙面の各所からも、行間にその意図を認定することは可能でした。
そして、それを口に出しにくい事情があるということも理解できます。
その事情が消滅したとたん、急激に立場を変させることは、彼らの首尾一貫性を非常に疑わせます。
首尾一貫性は、言論の中でもかなり重要な位置を占める規範であると我は認識しています。
勿論、首尾一貫性は言論のためにあるのであって、首尾一貫性が言論のためにあるわけではない。
一貫性の維持のために自身の考えと異なることを述べるとすれば、それは好ましくない事態です。
それでもやはり、主張が日々代わる場合にその主体を信頼することは、非常に困難というもの。
新聞社は個人と異なる意思決定機構を持ちますが、それでもやはり言論主体であることに代わりはない。
国民の知る権利は彼らの報道あって初めて充足されるものなのだから、もう少し責任感を持って欲しい。
首尾一貫性の維持は、決して多大な経費や手間を要求するものではないだろう。
閑話休題。
でも、本日の読売の社説は珍しく非常に説得的な素晴らしい内容でした。
(危険地帯)への渡航禁止法案を巡るものです。
憲法22条2項を引用。
「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。」
この外国移住の自由から海外旅行の自由を導き出します。
そして仮に危険地帯であっても、海外渡航は憲法の要請する基本的人権であると認定。
故に規制は絶対に許容できないと論じていました。
(記憶違いで、もしかしたら渡航の自由を22条1項から導いていたかも)
当たり前のことを普通に論じているだけ。
それでいて常に根本に立ち返って考えるという、思考の最も重要な役割を提示しています。
月に一回でもこのような記事を書いてくれるなら、購読料を払う意味もあるというもの。


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