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「PASSION」を観覧した。
その私個人の印象をここに。
オフィシャルサイトはこちら。
そちらによると、こういったストーリーです。
イエス・キリスト最後の12時間。
「パッション」は新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書の記述を基に構成された物語。
以上。
西暦30年ごろの4月頭のエルサレムにて、イエス氏がタイーホされて鞭打たれて処刑されるお話でした。
休日の初回の上演、しかも大ショッピングセンター内のシネマコンプレックス。
それであって人影はまばら。
20人くらい?
まず総論として。
「知識を持たない状態の方が、この映画の内容を正等に評価できるのではないだろうか。」
このように感じました。
本作は12歳以上対象と年齢制限が為されております。
それは端的に、イエスの鞭打ちのシーンが余りに痛々しいから。
「古代ローマの鞭は、先端部に金属片がついていた。
それでぶたれると、皮は引き裂かれ肉片が飛び散り、骨がのぞいたそうである。」
このような説明を読んだことがありますが、まさにそのような鞭が再現されておりました。
目を背けたくなった。
衝撃の度合いで言えば、「量産型のエヴァに捕食されるアスカの2号機」といい勝負。
ともかく、知識がない状態ならば、この映画の場面をそのままに評価することができます。
イエスを鞭打ち続けるローマ下級兵卒をみて、人間の残酷さをストレートに受け止めるでしょう。
そしてゴルゴダに向かうイエスをあざけるエルサレムの住人を見て、弱者をあざける己の姿を見出すはずです。
あの場面は人間の残酷さを理念的に描いた神話的描写である。
このように感じるはずです。
いえ、本当にあまりの痛々しさに、私涙がでました。
周囲からも泣き声が聞こえてきた。
(尤もこの解釈は、神話学の考え方が濃厚に現れているので、自然かと言われると疑問が伴います・・・・)
ところがやっぱり、この映画はそこまで素直に行きません。
キリスト教に基くイエスを提示している、これに尽きます。
イエスという男が、2000年前にエルサレムで処刑されたことだけは、確実な事実でしょう。
キリスト教は、このイエスを「キリスト」と同定し、彼の言説を復活信仰と贖罪信仰で置き換えて行きました。
この「パッション」で濃厚に表れるのは、贖罪信仰です。
すなわち、キリストは万人の罪を贖った、というもの。
劇中にイエスは自らの死が人類の罪の贖いであることを、その生前に何度も口に上らせます。
確かに福音書中のイエスが受難予告を何度も繰り返しており、それを映画化したのだから当然といえば当然のこと。
しかし受難や贖罪の預言発言は、全て後世の教団によってイエスの口に押し込まれたもの。
どうも贖罪信仰の知識があると、あのイエスの鞭打ちの場面を素直に評価できなくなるような気がするのです、
「キリスト様は、私の罪のために鞭打たれているのだ」
「キリスト様は、ああやって私たちの罪を贖って許してくれるのだ」
こんな感じです。
ドグマ(この場合はまさに「教義」という意味)が頭の中にあれば、その方向でしか現象を把握できなくなる。
監督のメルギブソン氏はカトリックだそうですし、本作の目的は「信仰のキリスト」を提示することにあるのでしょう。
それはそれで、尊重されるべき目的なんですよね。
とりあえず私個人の感想としては、「前提知識はない方がよい」で以上。
次はディテールを。
メモ帳を持っていってメモとりながら見てましたので、結構記憶に残ってます。
・まず一番驚いたのは、映画が全てアラム語とラテン語で進行していること。
それに英語の(日本語も)字幕がつくんです。
何でも英語にしないと気が進まない国民性かと思いきや、彼らにとって聖なるものには敬意を払っているようです。
自分たちに聖があるなら、他民族にも同様に聖があるのだと考えないのが一大欠点か?
とりあえずアラム語でイエッシュホァ(イエス)・メシアハ(メシア)という単語が聞けたのはうれしい。
ピラトもしっかりラテン語で「エッケ ホモ」(この人を見よ)と有名な一言を言ってくれます。
・誘惑者としての悪魔が登場。
キャストに「SATAN」があったので間違いないです。
途中で悪魔が抱いていた気持ちの悪い赤子は何だろう?
・マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4福音書をベースにした、と公式サイトにはあります。
しかし殆どマタイ・ルカという都合のいい部分ばかりが目立ち、マルコなどは意図的に無視されていたのではないかな。
最後は「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」とマタイから、「霊を御手に委ねます」のルカへ。
ローマの百人隊長の「まことにこの人は神の子であった」の宣言ない。
・聖書の表現が妥当でない場合は改めていました。
敵を愛しなさい、自分を愛してくれるものを愛したところでどのような報いがあるでしょう。
この部分は原典では、「収税人(異邦人、罪びと)すらそうするではないか。」が敵を愛しなさいニ続いていました。
イエスの処刑を要求するユダヤ人の「その血は我等とその子孫の上に」という発言部分が採用されていませんでした。
・ユダの描写が好意的で、決して彼が一方的悪人にはされていない。
以上は原作を知っていれば気がつきそうな部分。
ただ、原作を知らなくともストーリーの理解には関係ないと思います。
人間関係だけは、原作知識が必要かもしれません。
かなり細部まで再現してありました。
時々拷問中の場面に回想シーンが出てくるのですが、ここは原典の知識が無い解らないでしょう。
エルサレム入場の棕櫚の葉の上をイエスがロバで、「ホザンナ」と讃えられながら進む場面とか、字幕解説あったほうがいいのではないかな。
もう一度感想に戻ります。
やはりあの映画だと、どうして十字架で死ぬことが万人の罪の贖いになるのかさっぱり解りませんでした。
イエスの言説と贖罪信仰は本当に結びつかんです。
それに「罪」とは何であるかの説明が全くなかったし。
あいまいに考えるからこそ、イエスが自分の罪を背負ったことになるんですよね。