第三章

娯楽としてのクイズゲームの側面

ここまでに自分が述べてきたことは、主として挑戦の対象としてのクイズゲームです。
もちろん、その本質がこの側面にあることは疑いの余地がありません。
しかしながらクイズゲームはエンターテイメントとしての要素を強く持ちます。
決してストイックな側面のみではありません。
本章ではクイズゲームの挑戦以外の楽しみを述べてゆきます。

まずクイズといえば、その功利主義的な側面を抜きに語ることはできないでしょう。

  • 悟られること

    ある程度クイズゲームをプレイしてゆくと、雑多な分野の問題に多数出会い脈絡のない知識が蓄積されてゆくことでしょう。
    「釣り」しかり、「バイク」しかり、「F1」・・・・と。
    これらの知識自体は、至極些細で断片的であり、無意味といってよいでしょう。
    しかしながらそこから悟ることは多いはずです。

    これは自分の場合の限定された体験かも知れませんが、なかなか感銘を受けた事項なので書き留めておきます。
    「クイズなないろドリームス虹色町の奇跡」をプレイしていたときです。
    このゲームは「バイク」という分野があって、バイク関連の問題が多数出題されました。
    「WGP500ccの90〜92のチャンピオンは?」といった問題の嵐でした。
    まず「WGP」とは何であろうか?
    自分はモータースポーツには何の興味関心もなく、従ってほとんど知識を持ち合わせていません。
    「WGP」というからには、「ワールドグランプリ」の略称であろう事ぐらいは想像がつきます。(略称になっていませんね。)
    この時点で気がついたことは、これでした。
    バイクにもF1のように世界選手権があるらしいこと。
    そしてそれが排気量毎に細分化されているらしいことでした。

    しかも問題を進めてゆくうちにもいろいろな知識が溜まってゆきました。

    • 「阿部典史」「青木治親」といった日本人の方々が活躍しているらしいこと。
    • かなり古くから行われている競技らしいこと。
    • カワサキ・ヤマハ・スズキ・ホンダといったメーカーは競技用バイクを生産しているらしいこと。
    • WGP以外にも他の団体が管轄するらしいレースがあること。
    どれもこれも当たり前のことばかりなのですが、全く関心のない分野で思考も及ばなかった領域です。
    「深いものだ。」
    心の底から思いました。
    バイクという一領域でもそうなのですから、ありとあらゆる領域だって同じはずです。
    どんな分野でもそれに携わっている人はいるはずです。
    自分のゲームにおけるのと同様深い思い入れを持っているひともいるでしょう。
    ゲームで得られる知識は終局的には無意味ですが、そこから悟るものは大変に大きなものでした。
    (本当に当然のことですよね。)

    クイズゲームの知識は(特に関心のない領域は)正解のために仕方なく覚えることが多いです。
    しかしながらたとえ強制的に覚えさせられる事であっても、ほんのわずかでも知識として残るならばそこから関心が広がるはずです。
    例えば、バイクを見るたびにメーカー名とその型番を確認するようになたっり。
    芸能人の名前に関心を払うようになったり。
    いろいろなものに注意が向くようになるはずです。
    クイズで得られる知識はわずかですが、興味関心さえあればそこから無限の可能性が開けてくるといってよいでしょう。


  • 得られる知識

    知識の獲得というより直接的な側面を忘れてはなりません。

    間違えた問題を地図や辞書・資料集などを利用して調べてみる。
    これは大変に有益な行為です。
    例えば、「青天の霹靂」の「霹靂」とは何か。(すくすく犬福より)
    これなどは国語辞典を引いてみましょう。
    霹靂、「急に雷が激しくなること」(岩波国語辞典)としっかりと解説があります。
    日常生活で当たり前に用いる事でも、実際その意味を知らないということは多いはずです。
    クイズをやっていると意外なことに気付かされることも多いです。

    またゲームも後半になってくると、かなり難しい出題がなされることがあります。

    クイズゲームで難しい問題とは、「わからない」とは意味が異なります。
    そもそもわからない問題など日常茶飯事ですし、そんなものは間違えてから覚えればよいのです。
    「難しい」とは「出題頻度が低いこと」と同義といってよいでしょう。
    一度出題されて、問題も理解できなければ解答も覚えられない。
    これで再び出題がなされないようでは、記憶に残ることなどないですよね。
    問題文は読めない、答えも覚えられない(特にアーケードゲームの場合)。
    自分の間違えた相手が何であるかがわからないので、答えを調べることもできないですよね。
    問題文は読めない、答えもわからないという状況に陥るわけです。
    これでは解答を調べることもできません。
    当初はこのような問題にかなり悩まされていました。
    そこで自分は気がついたのです、ネットで検索することを。

    再び具体例を上げてみましょう。
    「すくすく犬福」の終盤では、歌舞伎の隈取りに関する問題が出題されました。
    問題文は長く読み切れない、しかも解答も確認できない。
    (「すくすく犬福」では90問目以降で3回目のミスを犯した瞬間にゲームオーバー画面に移行して解答が確認しずらいのです)
    わかっていることは、「歌舞伎」、「隈取り」、「正義の味方」という断片的な3つの単語のみでした。
    そこで検索サイトgoogleで、「歌舞伎 隈取り 正義」との3語で絞り込み検索をかけるのです。
    すると見事に歌舞伎関連のサイトが多数検出されました。
    その中には歌舞伎の基礎解説、さらには隈取りの種類別解説というまさに自分の欲しかった情報が網羅されたサイトまであるのです。
    それらを参照すれば、一体自分のわからなかった問題は何であったのか、そして解答は何であるのかまでが明瞭に理解されるわけです。
    ちなみに問題は「歌舞伎で正義の主人公の隈取りはなにか?」「紅隈」というものでした。

    実はこの問題を難しくしていた要因として、類題の存在がありました。
    「歌舞伎で2枚目の主人公の化粧は何か?」、「白塗り」
    という問題です。
    実際は問題文はもっと長く、かつ時間がありません。
    だから、上記二題の区別を自分はついていませんでした。
    したがって、「白塗り」「紅隈」という二種類の単語が頭に残り、ますます混乱を来していたのです。
    ネットでの検索を行うことで初めて、二種類の問題が存在することが理解できた次第でした。
    解答がわかるだけでも収穫なのですが、自分が強調したいのは次の点です。
    当該サイトを読んでゆくことによってその領域に関する知識を得ることができるのです。
    上の例では「隈取り」の意味から、その種類と役との対応関係に至るまで、十分な理解が得られました。
    しかも関連サイトは多数ヒットするし、ある程度興味もわいてくるので自然と読み進めようとの意欲がわいてくるのです。
    自分の主体性さえあれば思いも寄らない領域の理解を得ることができる。
    クイズゲームの無味乾燥な問題も、自分の主体性によっては大変に興味深くしかも有益なものに変化しうるのです。

    まさにこれはインターネットという媒体の、情報の集積体としての正しい利用法であると思いませんか。
    ネットあってこそ可能となるクイズゲームの利用法であり、ネットという媒体の偉大さを感じる場面です。
    この文書を書く前にも「犬福」出題の「F1 コンストラクターズ」で検索をかけて一時間以上それを読み込んでしまいました。
    問題だけでなく、それまで自分の知らなかったことが次々と明らかにされてゆく大変に素晴らしい事です。
    時間がいくらあっても足りなく感じられる程の資料と楽しさがあります。
    読書と同じで、ゲームよりも面白いかも知れません。
    こればかりは是非一度、皆様にお試しいただきたいことですね。
    いろいろなことに詳しくなれますよ。


  • 込められた制作者の思い入れ

    今度はこのような功利主義的な側面から離れてみます。
    クイズゲームには当然に問題を作成する人がいるわけです。
    そして問題には当然に作った人の思い入れが現れてきます。
    特にマンガ、アニメ、映画といった分野に多いです。
    思い入れのある事項に関する問題は、些細なことに至るまで複数の問題があります。
    例えば「すくすく犬福」ではこのような出題がありました。

    • 「バビル2世」で人型の僕は、「ポセイドン」
    • 「バビル2世」の3つの僕のうち怪鳥というと、「ロプロス」
    • 「バビル2世」のバビル2世の本名は、「浩一」
    • 「バビル2世」で黄泉がロプロスに似せて作ったロボは、「V号」
    最初のうちは腹立たしくもありますし、しかも紛らわしくて覚えにくくて仕方がありません。
    ある時自分は、知識を整理するためにマンガ売り場やプラモショップに行くことを思い立ちました。
    いやという程聞かされる、「バビル2世」「マジンガーZ」「赤影」「ダンバイン」「覚悟のススメ」などをこの目で確認してくるのです。
    それで実物を手に取ると、大変に興味がわいてくるのです。
    どれもこれもかっこいいし、しかもとても面白そうに見えるのです。
    結果として「バビル2世」「マジンガーZ」「赤影」「覚悟のススメ」などは実際にマンガを全て読んでしまいました。
    どれもこれも、面白いマンガでした。
    今まで知らなかったのが残念に思えるほどの内容です。
    (自分は横山光輝は三国志しか知らなかったのです)

    クイズの問題としては悪問であることは疑いの余地がありません。
    例示した「バビル2世」など、読んでいない人間にはわかるはずのない問題です。
    しかしながら制作者が情熱を持って伝えているもの、それを受け止めて見るのは決して損ではないはずです。

    そうですね。
    自分がもしクイズゲームを作ることがあれば、「北斗の拳」「めぞん一刻」というジャンルを作ります。
    (「マンガ」というジャンルではありませんよ。)
    それでこんな問題を作るのです。

    • 「北斗の拳で聖帝サウザーの散り際の台詞は?」、「退かぬ、媚びぬ、省みぬ」
    • 「めぞん一刻で「きら、きら」という語の意味するものは?」、「三鷹一族の歯の光りの乱反射」
    その意味するところは明かで、「北斗の拳」「めぞん一刻」を読め、ですね。



    またクイズゲームには問題文そのものが面白いものも多いです。
    下ネタ問題なども、笑ってしまいますね。
    ようやく仲良くなった女性とデートに行って、
    「松葉崩しは次のうちどの体位に含まれるか?」
    「交差位」
    などという問題に直面した場面を考えると、爆笑ものです。
    答えを知っていた場合には、解答した方がよいのでしょうか。
    それとも狸をかぶっていればよいのでしょうか?
    なかなか興味深い問題ですね。

    思わず吹き出してしまうような問題を見ると、隅々まで遊び心を忘れていないことに関心してしまいます。
    クイズゲームではこの誤答の選択肢のセンスもまた重要だと自分は思います。

    ドラマ「ひとつ屋根の下2」の主題歌でル・クプルが歌った歌は?
    「ひだるまの歌」
    (正解は「ひだまりの歌」)


    以上第三章でした。

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