熱海旅行記


3/10
初日、秘宝館編

熱海へ旅行に行きました。
東京駅を10時40分発、熱海駅に12時につきます。
快速アクティーに乗車、普通列車なのですが、特急並のスピードを誇ります。
で、熱海の第一印象ですが、越後湯沢駅に酷似しています。
駅をでるやいなや広がる土産物屋と旅館ホテルの数々。
とりあえず、海岸に向けて歩きます。
NHKなどでよく見ましたが、温泉地の観光客の減少というのは本当のようです。
休日の午後であるというのに、商店街の人通りはまばら。
土産物屋も閑古鳥が泣いているものが多いです。
詰まるところ、施設が過剰なのですよね。
基本的に熱海という土地は温泉以外の集客要素を持ちません。
そしてテレビ番組などによると、この温泉にくる観光客のほとんどが企業の宴会などの団体客だったということです。
企業収益の悪化にともない、団体客も減少していったのだそうです。
しかも10年ぐらい前のインフレ期の右肩上がりの観光客の増加が永続するものと思いこみ、みな宿泊施設の拡張に走りました。
結果として観光客は減少し、設備投資分の債務だけが残りました。
どうしてこのような単純なことが予想できなかったのでしょうか?
自業自得という以外の形容のしようがありません。
経営における合理性とは期待できないものなのでしょうか?

で、海辺を少し歩いた後に熱海城に向かいます。
この熱海城とは、観光客のために新しく作られた安っぽいものなのですが、目的は城ではありません。
城の隣にある熱海秘宝館です。
秘宝館は友人の話やトゥナイト2などでよく聞くあこがれの場所だったのですが、今回ようやく詣でることができました。
ちなみに入場料は山頂までのケーブルカーと込みで1800円、ぼってます。
結論としてなのですが、期待はずれでした。
自分は旧石器時代からの男根女陰信仰の偶像や、世界各地の性信仰の祭儀、各国宮廷で使用された奇妙な性具、春画などが展示されているものとばかり思っていました。
つまりセクシャルではあるがアカデミックなものを期待していたわけです。
でも、違ったんですね。
性信仰や春画の展示もあるにはあるのですが、ごくわずか。
ほとんどが最近になって作られた安っぽい扇情的なだけの展示物です。
それこそ中学生にでも見せておけば興奮するような品物ばかり、まっとうな成人男子の知的好奇心を満たすものではありません。
まず、入ってすぐに白蛇を祭った神社があります。
その隣には、石製の巨大な男根が立っています。
一体なぜ生殖器は信仰の対象となり得たのか、蛇と男性生殖器がなぜ結びつくのかという説明がまったくありません。
これじゃあ単なる見せ物にすぎません。

蛇は脱皮するので、古代人は蛇を不死の存在であるとしてあがめました。
この蛇の脱皮を真似て、男子の包皮を切除し不死を願ったたことが割礼の始まりです。
この習慣は古代エジプトで始まりました。
当時の最高の文明国であるエジプトの風習は、周辺諸民族によって模倣されました。
そのひとつに、ヘブライ人が存在したわけです。
こうしてヘブライ人に割礼の風習が取り入れられ、それはユダヤ教と共に世界に拡散しました。
次にはそれなりの量の春画が展示されています。
この春画というものは要するに江戸時代のエロ本だったそうで、制作された浮世絵の9割は春画だったのだそうです。(友人談)
ポルノグラフィックというものが成立するためには、大量の印刷の力、購買力を持った巨大な市場の存在、全国規模の運送路というものが必要なわけで、江戸時代の豊かさがしのばれます。
でもさすがにあのように性器を誇張した絵は、美しいとはいえませんね。
でもスーツの裏地に春画が描いてあったりすると粋ですよね。
面白かったのは、セリフの書いてある春画が存在したことです。
「もお、おまえさんたら、せっかちなひとねえ。髪を結うまで待てないのかい。」
とか
「お前みたいにふとった女がいちばんかわいい、好きだぜ。」
とかいうセリフがあの絵の脇に草書で書いてあります。
容易に判読できない分だけ、面白いものがありました。

その次にあったものは、なんと48手をかたどった男女の素焼きです。
細部まで作ってあって彩色してあります。
江戸時代にもこんなバカなものに情熱を傾けて作った人がいるのかと思うと、感激してしまいました。
この隣には、様々な性具の展示があります。
とっても少ないですけど。
日本武尊が作ったと日本書紀に記述があるという女性器を模したものがありました。
この肩書きはほんとうなのでしょうか、少々きになります。
温水や燗お酒を入れて使用したのだそうです。
さらには江戸城大奥で使用されたという張り型があります。
これにはご丁寧に葵の御紋が付いています、その横にはレズビアン用という同様の紋付きのものがありました。
張り型なんかに紋を付けると、かえってふとどきなのではないかと思いました。
獣姦ものの春画がありました。
昔も今と同様に理解しがたい性癖を持つ人は存在したようです。
あとはですね、江戸時代のシルク製のコンドームがありました。
こんにゃく芋を塗ってから使用したのだそうですが、とてもではありませんが有効性を持つとは想像できませんでした。

ちょっとは資料的価値のある展示物って、これだけしかありませんでした。
あとはもう、面白くないですね。
ひとつだけ興味を引いたのは、女性の嬌声がすべてルパン三世の峰ふじ子の人だったということです。
出口には土産物屋があるのですが、けったいなものを沢山売っています。
48手を書いた湯飲み、マグカップ、ハンカチなんてあまりにアホらしいので欲しくなりました。
こんなところですかね。
結局のところ、男性視点に立って女性をものとして扱っているだけなんですよね。
エロ親父にでもお似合いとしかいいようがありませんでした。
まあ、一回ぐらい行ってみてもいいですけど、1800円は高すぎます。

昼食を海辺の定食屋さんで食べました。
観光地価格1500円、高いですが仕方ないです。
あじのたたき定食を頼みました。
お店の水槽で泳いでいるあじをその場でたたきにしてくれます。
活け作り、初めて食べました。
大変においしいのですが、目前でアジの頭部がけいれんしているのを見ると痛々しくなってきます。
殺しているのは同じ事なのに、偽善者ですね。
オーストラリアで自然保護団体がロブスターの活け作りに反対したというのも納得できました。



3/11
錦ヶ浦編

前日の旅館での夕食に、サワラの焼き物がでました。
どういう魚を食べるか、これは地方により異なっていて大変に興味深いです。
自分は富山の出身なのですが、富山で刺身といえばふくらぎでした。
ふくらぎとは出世魚であるぶりの最終形態のひとつ前の呼び名で、他の地方ではハマチと呼んだりするようです。
ちなみに、家庭でマグロを食べるということは全くと言っていいほどありませんでした。
自分がマグロという魚を意識して食べたのは、東京に来て寿司屋に行ってからのことです。
でも、関東地方の人にとって刺身といえばマグロのことをいうようですね。
また大学の知り合いの四国の出身の人はまた全く違う魚を食べたといっていました。
地域による差違というのは、大切なものです。
画一化というのは文化の死滅、少数者への不寛容です。
魚の味もろくに分からない連中が、マスコミにのせられてトロとか叫んでいるようにしか自分には思えません。
サワラの他には、あじの刺身です。
あじ、いわしなどの近海魚っておいしいですよね。
劣化が速いので漁港の近くや、輸送の速い寿司やでしか食べられません。
じぶんはマグロよりもアジの方が好きです。
いわし、あじ、さんま、飛び魚の刺身ってとってもおいしくありませんか?
マグロは確かにおいしいですが、これだけ至るところでマグロがでると早々に絶滅してしまいそうな気がします。

旅館を出発し、来宮(きのみや)神社に行きます。
この神社のご神体は樹齢2000年の楠(日本で2番目の大きさだそうです)でした。
この神社の由来書きがとても興味深いものでした。

初めはこの楠は依代(よりしろ)であったのだそうです。
それが時代が下るに連れて、この楠そのものが神として信仰の対象となりました。
起源は憑依の対象にすぎなかったものが、時代を経て信仰の背景が忘れられて偶像化してゆく。
山河といった自然そのものが神であったものが、ある特定の場所に祭られるようになり、次第にその特定の場所すなわち神社そのものが神と考えられるようになる。
というモデルそのものの推移が伺われ、面白いものでした。
(もちろん、自分はこの楠を侮辱しているわけではありません、それ自体神々しい存在でした。)

もう一つ面白かったのは、この神社の第一の祭神が大国主であったということです。
出雲にいた大国主が、伊豆に上陸してこの神社に居を構えたのだそうでした。
こんな伝承は初めて聞きました。
この神社の名称である「来宮(きのみや)」は本来は「木の宮」であろうということが容易に察せられます。
明治期の廃仏毀釈、神仏分離の混乱の時代に、神社が取りつぶしになることを恐れてあわてて大国主を祭神に祭り上げたのであろう事が推測されます。
こんな神社、すごく多いですよね。
(ちなみに大国主の霊験には酒断ちがあるのだそうです、びっくりですね。)

この大国主という神格について、金丸健二さんに解説を頂きました。
自分的に保存しておきたいので、掲示板に書き込んで頂いたものを転載しておきます。

で、大国主どん。
もともとが天皇家から見ると反逆者としての神さんでしょう?
それでも国を開いた人物として祭る必要があると。
しかし、多くの大国主関連神社は変な祭り方してるんですよ。
鳥居と本殿が垂直に重なってたり。
拍手の作法が通常と異なってたり。
主役なのに片隅にいたり。
真ん中じゃなく脇においやられたり。
朝廷としては全ての先住民系部族の長をまとめて祭るつもりで大国主という神格をつくった、個人的にはそう捕らえてみて。
そういう場合おおっぴらに「オオクニヌシ」としてではなく「オオナムチ」とか「オオモノヌシ」とか色々地方ごとに名称を替えてみた、そういう気配。
早い話、大国主なるものを本当に祭っている神社は中国地方以西にしか無いと思うです。
だから、東日本の大国主って何だろな?とふと思って書き込みしたという訳で。

それから熱海梅園にゆきます。
大規模な梅園で、ちょうど遅咲きの梅が開いている時期でした。
これほどの梅の花を見るのは、初めてのような気がします。
なんでも日本は昔は梅文化だったのだそうです。
お隣の偉大な中華文明の影響です。
確かに三国志などにも梅園や桃園の描写は良くでてきますからね。
それに井上靖の「額田の大君」を読んでも、登場するのは梅園の描写でした。
それが遣唐使の廃止以降の国風文化の時代に、清少納言らの活躍によってサクラが評価されるようになっていったのだそうです。
桜も梅も、どちらも美しいものですね。
この梅園は山の合間にあるので、周囲の山地が一望できます、美しい山の景色でした。
実家の富山にいたときには、このような風景など何も思わなかったものです。
緑のない東京に来て、初めてこのような風景に美を感じます。
人は失って初めて悟ることがおおいですね。

最後に錦ヶ浦にゆきます。
海沿いの絶壁の景観です。
崖を降りられるように階段が付いています。
周囲の岩肌を見てみると、気泡のおおい火山岩(溶岩が急速に冷えたもの)でした。
富士山の石と全く同じです。
そういえば熱海の温泉も富士山と同じ火山帯なんだよな、ということを実感できる場所でした。
ここはとても美しいのですが、これ以外にあえて書くべき面白いところはありません。
ただ、もし熱海に足を運ばれることがあったら必ず行ってみてくださいね。
とても素晴らしいところですから。



以上、熱海旅行記でした。
目を通してくださった方、どうもありがとうございます。

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