本書の中核をなす「十字架の逆説」につき、私は悩み考え意味を見出したと考えます。
旧約聖書を貫くメッセージは、迷い戸惑う人間が、それをそのまま正しいとする神を受容する信仰によって正しいものとされる、というもの。
「ぶどう園のたとえ」にもその理解は現れているといってよい。
パウロはこれを「信仰義認論」というかたちで継承した。
神がすべての人間を愛しゆるしている事実を、イエスは次のように述べている。
「しかし聖霊を汚すものは永遠の罪に定められる。」
福音は無条件のものであるが、それは命令法と不可分に結合している。
イエスの語る神の無条件の許しという思想は、人間が罪深く誤りに満ちた存在であるという事実を前提にしている。
「マルコ」においては、イエスは十字架上に殺され、マリアが天使の蘇りの言葉に恐れおののいて逃げた、という描写で福音書が終了している。
マルコが「福音書」という前例のない文学類型を新たに作ったことには理由がある。
パウロは自身の回心には、内的体験としての復活者との出会いがあったとしている。
実際のところ、新約聖書には「復活」そのものの記述が存在していない。
福音書にはイエス自らの三日目の蘇りの予告が記入されている。
復活とは世の終わりに起こる事件ではない。
この認識は、イエス以前に復活や救いがなかったということを決して意味していない。
死者が一度眠り蘇るという発想は、ヘブライの考えである。
パウロは啓示であったとしても、それは十分な吟味が必要であると語っている(コリント人への第一の手紙)。
この様な批判的な聖書の読み方に対しては、次のような非難が寄せられる。
彼は旧約聖書の廃棄や徹底化によって、より厳しい戒めを人に与えることが神の意思であるなどという意図はない。
しかしイエスは、自らを旧約聖書よりも権威あるものと考えて振舞っているのではない。
律法は聖なるものであり、それは律法のあかすものが神の意思であるからだ。
パウロは信仰義認論の論証のために、旧約をいささか我田引水気味に用いている。
「太初の昔から、変わることなく一貫して神はすべてのものを、不信心で神なき存在であっても愛し正しいものとしてきた。
イエスが自らの死を贖罪と理解したことの歴史的信憑性は著しく低い。
パウロは書簡中で「罪」を必ず単数形で表記した。
注目されるべきは、「十字架」という契機である。
神はイエス以前や、イエス以外のところで働くことがないということは決してない。
聖書はカトリックとプロテスタントの間で含まれる文書が異なる。
初期キリスト教においては、上記マルキオンやグノーシスの影響は甚大であった、
この様な聖書が成立過程及び現状においても人間の相対的なわざ以外の何者でもないという事実。
本文書は上記著作物の要約であり、筆者自身の理解増進と復習の便のために作成しました。
本書の記述の順に要約を進め、末尾に論旨に関わらないが記憶にとどめるべき事項を一括記載するという形式を採用します。
なお()括弧内の数字は、その記述の本書における該当ページ数を示します。
しかしその理解が妥当なものであるという自信がない旨明記しておきます。
(これはダヴィデ王の生涯に明らか)
そしてイエスもその理解を継承した。
イエスが交わった人々が律法を守ることもできなければその意思もない「地の民」と呼ばれる罪人扱いされた人々であり、非難したのが律法を守ろうとして「地の民」を排斥した人々であった事実に明らかである。
またこのたとえには、自分の立場を考えてみよという意図も含まれていた。
即ち自分は、一時間の労働で一日分の給料をもらった人々と同じではないのか、という問いかけである。
それが明白に現れているのは、次の言葉であろう。
「誰でも、情欲を抱いて女を見るものは、心の中で既に姦淫しているのである」
この言葉自体は実行することが不可能であるし、イエスもそれを求めているのではない。
自分が「殺人」「姦淫」と無関係と決め込んでいる人々に対し、事実はどうであるか内心を見つめよ、と訴えているのである。
「働きはなくとも、不信心なものを正しいとする方を信じる人は、その信仰が義と認められるのである」(ローマ人への手紙)
即ちパウロはダビデ王を次のように理解していた。
まず不信心なものを義とする神が先にある、ついでそれを受けて悔い改めたダビデ王が続くのである。
ここにおいても先行するのは許しの福音であって、それを受容するのが悔い改めある。
決して悔い改めたから許しが与えられるわけではない。
この関係をブルトマンは、「あなたが既にそうであるものになりなさい。」と表現している。
「人の子らには、その犯すすべての罪も神を汚す言葉もゆるされる。」
上の言葉にはこの様な続きがある。
これはイエスの無条件の許しという思想の革新性を危惧した後の信徒が付加した言葉であるという説も有力ではある。
しかし、「すべての罪がゆるされている」という根本そのものを否定することは許されない、との意図であるならばイエスの思想として整合的である。
「私はあなたを罰しない、行きなさい」との姦淫の女に対するイエスの言葉がその具体例である。
即ち、許しが与えられるなら、その福音にふさわしくあるべく自己を改めるのは当然であるということだ。
しかし人は福音(直説法)のみを受け入れ、そこに結合した命令法をしばしば無視する。
なおそれでも、人をだめにする可能性すら包含しつつ、無条件で福音は与えられる。
福音を受け入れるが故に、「聖」に踏み出せとイエスは説くのである。
そうであるならば、その不完全な存在である人間の手による文書(聖書)が絶対無謬の文書であるはずがない。
仮にそれが啓示されたものであったとしても、それを受けた人間は「理解」という解釈を行なっており、当然そこに誤りが含まれるはずである。
つまり聖書だから誤りがないという発想は、聖書の主張自体に対立しているのである。
聖書(福音書)の記述は、記者が自らの信ずるところを自らの責任において書き記している。
そしてそこには彼らの解釈が当然に含まれている。
この様に考えるのが自然な理解であろう。
特に新約聖書は解釈でしかありえない。
なぜならイエスはアラム語で語ったが、新約聖書はコイネーで記されているからである。
「翻訳」は「解釈」を必然的に含み、それは英語の「interpritation」がその両者を意味する単語であることにも明らかだ。
この点、コーランは対照的である。
マホメットはアラビア語で啓示を受けたのであるから、他言語に翻訳したものは聖典とはみなさないからだ。
(その後の部分は、マタイが編集時に付加したものであると看做されている)
一見唐突なこの終わり方は、目的があってそのようになっているのである。
ローマの百人隊長は、無残に殺されたイエスに対して信仰告白を行なっている。
信仰告白とは、目に見えてで触る保証があるからなされるのではなく、何の確証もないものに対して為されるものだ、といっているのである。
無残に死んだイエスに信仰告白が為されるのであるから、それに続く復活者が神々しい力強いものとして描かれることはありえない。
そのような描写をすることは、十字架から降りてこいという人々の要求に答え、十字架から降り立って敵対者を力強くなぎ倒すイエスを描くことと同じだからである。
当時の信仰が、イエスの死と復活に焦点を置いた信仰告白定型を中心とした硬直的なものとなっていたことに対する批判である。
故にマルコは、生前のイエスの言行に注目を向けようとして福音書を記し、天使に「ガリラヤに行け」と語らせたのだ。
復活者イエスを目に見える形で描くことに意味はない。
生前のイエスの行為と言葉に注目し、それが読者の心の中に生き生きと動き出すものとなるとき。
このときにこそイエスは復活したのではないか。
マルコはこの様に主張しているのだと考えられる。
復活者に出会うのは生前のイエスに出会うことであると、「エマオの旅人」「マグダラのマリア」の逸話は物語っている。
(この逸話においては、生活の中のイエスに触れて彼を思い出したときに、イエスが消えている)
そしてその際には、客観的に実在する復活者を想定する必要はない。
我々は機能として神を理解する可能性を持つのであり、実在に縛られるべきではないからである。
(例えば、愛は実在ではなく機能であるが、誰もがその存在を実感しているだろう)
ルカが「使途行伝」で記すダマスコへの途上のパウロの回心の劇的な物語は、本人は一切そのように語っていない。
なお、実在としての復活者を想定すると、「イエスは雲につつまれ天に上げられた」という神話的描写が必要となる。
さらにこの描写は、フワフワ浮遊するイエスや、宇宙のどこかの王座につくイエスといった幼児的な空想を招くことになる。
(「死んだイエスが棺を破って現れた」という記述は、新約外伝偽伝の「ペテロ福音書」にしか存在しない)
イエスを復活者であると理解した人々は、死者の蘇りという当時の黙示文学の影響を受け、自分たちの体験を復活したイエスとの出会いであると解釈したのである。
しかしそれは、福音書自身の告げるところに矛盾しているといってよい。
十字架を前にしてのおののきや絶叫は、3日後の蘇りを知っているものの行為としては著しく不自然だからである。
つまり、イエス自身の復活の予告は著しく信憑性が低い。
実際それらは、イエスを神の子と考えた信者による事後予告(ことが起こった後になってから、それはあらかじめ予言されていたのだ、という形で為される予言のこと)であると考えられているのである。
イエスの絶叫は初期教会にとって極めて都合の悪い箇所でありながら、それでもそれが削除されずに残っているのは重く評価されるべきである。
神は死んだものではなく生きているものの神であり、その神がモーゼに「アブラハム・イサク・ヤコブ」の神であると継げていること。
このイエスの言葉は、アブラハム・イサク・ヤコブが復活の生を生きているということを示している。
そして「放蕩息子の帰還」のたとえにおいて死んでいた弟が蘇ったと述べられていることは、イエスが復活を精神的なものと理解していたことの現れである。
すなわち、「神のもとに立ち返ること」こそが復活であるというのだ。
パウロの「信仰義認論」とはこれに同じ意味である。
パウロはイエスを通して初めて復活や義認の現実を認識することができ、その限りでイエスはキリストなのである。
つまり普通名詞としての「キリスト」は太古から人に救いをもたらす存在として遍在していたのだ。
さもなくば、イエスによる「許しの宣言」・「神の国の臨在の宣言」はありえない。
イエスは太初の昔からの現実を十全なかたちで明らかにしたからこそ、キリストと告白されるのである。
そして天にある家に住むという発想は、(霊魂という単語はないが)ギリシア起源の概念である。
「からだの復活」という思想は、どちらかというとヘブライの復活思想に近い。
しかしヘブライ思想を直接、「死者の復活」と同視することもできない。
原初のヘブライ思想では、死者はすべてシェオールという黄泉に行き、終末にイスラエル民族としての全体が復活する、と考えられていたからである。
聖書に死者の復活という思想が導入されたのは旧約の「ダニエル」「エゼキエル」において初めてであって、当初から復活思想があったわけではない。
即ち、人の聞く神の声は啓示とはいえ、不可避的に自身の願望や祈りと結びついているからである。
この事を、「預言者の霊は預言者に服従するものである」と表現している。
故に聖書の記述であっても、それは厳しい批判を経なくてはならない。
ただしその批判の第一は、自分自身に向けられなくてはならない。
他者への批判のみで自己批判を欠くならば、それは容易に自己の絶対化を招くからである。
イエスの語った「人をさばくな」とは、まさにこの意味といってよい。
そしてキリスト教においてしばしば見られる敬虔主義の名のものとの聖書の絶対化は、この自己絶対化に他ならないのである。
なぜならそれは、特定解釈の絶対化であって、その正当性を保証するものが全く存在しないからだ。
神に対する熱心さのただなかに、反逆の契機が含まれることは留意しなくてはならない。
パウロは「あなた方の中で本当のものが明らかにされるためには、分派もなければなるまい。」と語っている。
(ここでの「分派」とは、「異端」を意味するハイレシスである)
一致のためには批判が必要なのであり、批判論争を欠くところに成立する「ひとつ」は全ての者が権力者の主張に塗りつぶされたグロテスクな姿に他ならない。
そしてそれは聖書の目指す、「和」ではないのである。
「そのような読み方の結論はあまりに統一性を欠いており、それは人間理性のみに頼って啓示を軽視するからである。」
しかし、自らの解釈は如何に客観的であろうとしても不可避的に主観的なものである。
逆に、そのことを知り尽くしている解釈こそのが最も客観的なのだ。
「汝自身を知れ」・「無知の知」というギリシャの思想は、聖書においても普遍に該当するのだ。
厳しい律法の戒めの前では、誰一人としてその完全な遵守により自らの義をたてることができない。
しかしそのような人間に対して、無条件な許しが与えられているのだ。
この事を、イエスはあかしているのである。
(マタイはイエスを旧約の成就者と理解して福音書を記したのであるから、そのようなイエスの描写は採用されるはずがない)
イエスが旧約に対置して「しかし私は言う」と語っているのは、誰にでも与えられている現実であり事実である。
即ち、「よい者の上にも、悪い者の上にも太陽は昇る。」という事実を以って、万人への許しを語っているのだ。
そしてその意思とは、良心というかたちで万人に与えられてるものなのだ。
しかし律法は文字に記されることによって、ひとに違反を促すためのものとなってしまった。
(「律法が貪るなといわなければ、私は貪りを知らなかっただろう」)
それは、罪が原因なのだ。
しかし、この様な不信心で罪深い人間を神はそのまま正しいとしているのである。
この信仰義認論によって、パウロは罪の苦悩を乗り越えたのだった。
しかしそれは命の現実が先行しており、それを明らかにしているのが聖書なのだ、という認識に基いている。
これはイエスが安息日に麦を積んだ弟子を咎めなかった逸話と共通する理解といってよい。
「安息日は人のためにあるのであり、人が安息日のためにあるのではない。」(マタイ)
命という現実を明かすために聖書が書かれたのであり、聖書の文字そのものが権威として独立に存在するわけではないのだ。
上のマタイの引用は、「それだから」、人の子は安息日にもまた主なのである、と続いている。
ここは、「なぜなら」とつながらない事実に注目しなくてはならない。
安息日は人のためにあるという当然の事実があるからこそ、人であるイエスも安息日の主なのである。
イエスが旧約聖書よりも権威がある存在であるから、安息日規定に関わらずイエスは主であってそのことばが正しい、というわけではないのだ。
そしてそれは旧約聖書のときから新約に到るまでの一貫した真実なのだ。」
この本書における筆者の主張は、次のキリスト教の伝統的理解とどう関わるのか?
「聖書の中心的福音はイエスが十字架上で贖罪死を遂げたことであり、それを受け入れて悔い改めるときに永遠の命が与えられる。」
しかし信徒がそのように考え、それを福音の中心として宣教したことは事実である。
問題は、イエス初期の宣教(徹底的な許しや神の国の臨在)と、贖罪を中心とする理解の関係にあるといってもよい。
それは罪を分割不可能な人間の根源的倒錯と理解したからである。
対してユダイズムの伝統的贖罪論においては、「罪」は必ず複数形で語られた。
それは、罪を律法の違反であると理解しているからである。
そしてその贖罪論においては、罪を贖うには必ず何かしらの代償が必要と考えられていた。
すなわち、イエスの死はこのユダイズムの伝統にのっとって、贖罪のための代償と理解されたのだ。
しかし、律法に否定的なパウロは、決してユダイズムの伝統にのっとった贖罪という理解はもたなかったのである。
さらには、「第二イザヤ」の「苦難の僕」の像の影響も大きかった。
即ち、第二イザヤがイエスを預言していたのではなく、誤ってイエスを苦難の僕になぞらえて理解してしまった、と解釈するのだ。
聖書中に十字架と贖罪という認識が結合されている記述は存在しない。
十字架は「弱さ」「呪い」の具現化であって、それはあくまで逆説的な在り方でのみ肯定されるのだ。
「私のめぐみはあなたに対して十分である、力は弱いところに完全に現れる。」(コリント人への第二の手紙)
この記述に、逆説は明確に現れている。
「神の力は万物の背景に遍在するが、手前の存在が弱弱しいときにはそれが明確に認識できるようになる」
端的に、この意味であるといってよい。
イエスは弱々しく十字架上で死んだ。
その弱さゆえに、常にそれはパウロの心中に在り続けるのである。
この心中に生き生きと現れることこそが復活であって、イエスは無力に死ぬことで復活の現実をまざまざと示しだした。
背景には、復活のイエスは今も十字架上でうめいているという認識がある。
この逆説的な理解は、生前のイエスの言葉とも一致している。
「つける」という動詞が現在完了形であり、ギリシア語文法で現在完了は状態の継続という意味を強く持っている。
イエスはすべての人を許し愛する神の在り方を明かしたのである。
そしてそれを受け入れられるのは罪人・貧者・孤独者・泣くもの・悲しむものという、幸せでないものだけだという逆接だ。
ブルトマンはこの事を、次のように表現している。
「人が沈み込んでいる罪は、人が神の恩寵を受けるための逆説的な前提であった。」
十字架上での絶叫や、ガリラヤでイエスに出会えるという天使の言葉、これらを描いたマルコは「十字架の逆説」の理解を共有している。
太初の昔から、いかなるところにおいても、神は変わらずすべてのものを許し愛しているのである。
さらには多数の聖書外伝・偽典が存在し、イエス・パウロの思想の変容を明かす重要な「使途教父文書」も存在する。
そしてまた、聖典の成立に大きな影響を与えた、下記の事件もあった。
正典として旧約聖書が含まれるのは、それが決して統一的な人間や神の理解を示していないに関わらず、中心思想においてイエス・パウロが連続性を認めているからである。
また四つの福音書が相互矛盾を残したままに包括されているのは、その相互矛盾にこそ人為的でない真実味が浮かぶからである。
むしろこれらの異端的理解こそが福音解釈の多数派を占めていたという仮説すら存在するほどである。
これらの事情を考えれば、今日正典として一つのまとまりを為している文書は、他の文書と次元が異なる集まりであるとは到底主張できない。
むしろ全く偶発的に、人間の誤り多き判断において一回的な過程で成立したものだと理解されるべきなのである。
そしてさらには、現在の聖書の定本すら、新規解読や学問上の進展によって絶えず揺れ動き、改定を重ねている。
さらにその日本語訳に到っては、訳者の原文を無視した行為さえありふれており、全く統一性を欠いているのが現状である。
それは人間が決して絶対的な正しさを持ちえず許されなくてはならない存在である、という聖書自身の告げるメッセージの証でもある。
神の意思は絶対不可侵なままのかたちで人が手に入れることはできない。
人の解釈という誤り多い作業を経た、即ちそれが絶対的に正しいとは決して主張できないものしか手に入らないのである。
この自らの誤り多き事実を知る中にこそ、おぼろげながらも真理への希望が存在するのだ。
キリスト教の存在そのものがユダイズムへの脅威として認識されて、正典制定の契機となった可能性がある。
ぶどう園のたとえから。
律法を守らぬものに対しても、福音は与えられる。
そのとき遵法意識すら持たなかったものは、感謝と自己の改めを考えるであろう。
律法の機能はこの点に集約されるのであり、律法を守ることで福音が与えられるのではない。
パウロが行為義認論を否定し、信仰義認論を唱えたのはこの理解である。
これは歴史的信憑性のあるイエスの言葉とは殆どすべての研究者によって看做されていない。
時代的に、イエスがこの様なことを述べることが不可能だからである。
詩篇22の冒頭、即ち神の賛美をイエスは十字架上で行なったのだ、という解釈は殆ど支持されていない。
それは、以下の理由である。
ルカはイエスの最後を美化して描くこと同様、最初期の教会史も美化して皆の一致団結があったかのように描いている。
彼がヘレニストとヘブライストの配給の問題として記したものは、実は重大な問題であった。
異邦人にも伝道すべきとするヘレニストと、まずユダヤ教徒になってからキリスト教徒になるべきだというヘブライストの神学的な大論争があったのである。
このようにルカは教団内大論争を、食糧問題として隠蔽したのである。
事実の歪曲は、異邦人の割礼問題にもあった。
律法を守らねば救われないという行為義認論に対し、信仰義認論を主張したパウロである。
その彼が割礼問題の対処として、「血を流さない」などの律法要素が含まれる妥協案を肯定するはずはないのである。
実際パウロ個人の書簡にはこの様な妥協は一切記されず、それはルカの使徒言行録にしか記述がない。
それは後のキリスト教徒がイエスの口に当てはめた信仰の言葉であろう。
多くの研究者によって、その真実性は否定されている。
以上です。